読書とドラマと宗教の時間 ミッション・バラバ | パパンズdeアトリエ

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芸術、宗教、思想、科学、宇宙、夢のことなどを筆が勝手に紡ぎ出すがごとく綴ります。

事の発端は、イエス・キリストの公開裁判でのことだった。

ポンテオ・ピラトという、ローマから派遣されたユダヤ州総督立ち合いの裁判席上でのことです。
その時、バラバという重大な犯罪人が、イエスと共に裁かれる側の罪人として立たされていた。
強盗の容疑で罪を問われたとも言われているが、もっと重大な国家的犯罪で裁かれているのでしょう。
なぜなら、十字架刑はローマで最も重大な犯罪の刑罰だからです。
当時、ローマ帝国に対する民衆のレジタンス運動は底辺で活発化し、バラバは、その先導者だったのかも知れません。

ローマ帝国は、征服したその地の宗教に関しては寛大だった。
それは、民を暴動反乱から遠ざけ、平和裏に支配することが出来ると考えたからでしょう。
日本でも、先の戦争で日本を占領したGHQが、忌むべき天皇制度を認めたのは、その民族の根幹をなす天皇制を破壊すると、国体を失った彼らが、どんな報復、暴挙に出るか分からないことを恐れたからでしょう。
また、今でもテロ行為が重罪として裁かれるのは「地下鉄サリン事件」でも知られています。

過ぎ越しの祭り

異国の地にある多数のユダヤ人がエルサレムに集まる「過越の祭り」では、ローマ総督が、囚人を一人だけ赦免するという慣例があった。
今から、二千年前のユダヤの地にも、盛大な祝い事があると適用される恩赦があり、それは、この国を治めている支配者は誰なのかを、民衆に喧伝する意味もあったのだろう。
ローマが恐れていたこと、それはあの民衆に大人気がある「ナザレのイエス」と呼ばれる男を裁判で断罪することは、暴動反乱に繋がりかねないことだった。
そこで、裁判の席上、イエスともう一人バラバと呼ばれている罪人のうち、どちらを釈放してほしいかと民衆に尋ねた。

聖書には次のような記録がある。

ピラトは、群衆に向い「あのユダヤの王を釈放してほしいのか?」と訊ねた。
祭司長たちが、イエスを引き渡したのは、彼らの妬みのためだということをピラトは見抜いていたからだった。
祭司長らは、バラバを釈放するように民衆を扇動した。
彼らの本意は、バラバを支持していたからではなく、あの憎きイエスを抹殺することにあったからだ。
そこで、ピラトは改めて「それでは、お前らがユダヤの王と呼んでいるあの者はどうして欲しいのか?」と訊ねた。
民衆は、「十字架につけろ」と叫んだ。
ピラトは言った「あの者がいったいどんな悪事を働いたというのか」と問うと、民衆は、更に大声で「十字架につけろ」と叫んだ。
こうして、バラバは何の因果か不思議な巡り合わせで、あの「ユダヤの王」とかいう男に命を救われたのだった。
 

思いもよらぬ成り行きで赦免されたバラバは、その後、どんな人生を歩むことになるのだろうか。


小説『バラバ』

スウェーデンの作家ペール・ラーゲルクヴィストが1950年に書いたもので、出版されると、たちまちベストセラーとなり、翌年ノーベル文学賞を受賞した。

あらすじ

釈放されたバラバは、かつての愛人ラケルと再会する。
愛人ラケルはキリスト教に回心し、バラバにも、それを勧めるものの、あの裁判でイエスという男が、自分の代わりに十字架刑になった忌むべき出来事を払拭したい為、頑なにラケルの進言を拒絶した。
「あの男は、自分以上に悪人なのだ。だから、彼の方が十字架刑になったのだ。だのに、なぜお前はあの男を庇うのだ。」

 

そんな中、愛人ラケルは他のキリスト教徒らと共に捕らえられ処刑されてしまう。
バラバは、彼女との、束の間の幻想のような愛から突き落とされ荒れ狂うようになり、再び投獄されシチリアの硫黄鉱で強制労働に従事させられることとなる。
毒ガス溢れる地獄のような労役を生き抜いたバラバとその友人サハクは総督の計らいで、剣闘士養成所へ入ることになった。
当時、ローマには奴隷制度があったが、それでも有能な奴隷は、身分も高く厚遇され、特に強い剣闘士などは皆が憧れる英雄のような存在だった。
ところが、キリスト教徒であるサハクは、闘技場で相手にとどめを刺すことを拒んだ為、反逆罪に問われ、隊長のトルヴァドに処刑されてしまう。
そのことに激怒したバラバは、そのトルヴァドと対決し彼を打ち倒すことに成功した。
この話がネロ皇帝の耳にも入り、感動した皇帝の権限により、彼は奴隷から解放されることとなった。

自由になったバラバが、友人サハクを墓地に葬った後のこと、ローマの大炎上という歴史的事件が起こった。
「これはキリスト教徒の反乱だ!」という民衆の声に、バラバは、神の声を聞いたように目覚め、怒り狂ったようにローマ市街に火をつけて回り、再び捕えられたのです。
こうして、他のキリスト教徒らと共に十字架にかけられたバラバは、静かに神に臥し祈りを捧げ刑罰に下るのだった。

コーヒーブレーク


ローマの大火

西暦64年、皇帝ネロの統治の時代にあった大火災だった。
あらぬ風評をもみ消す為、ネロ帝は、ローマ市内のキリスト教徒を反ローマと放火の罪で大量処刑した。

 

関東大震災

東京の大火災の時も、朝鮮人らの火付けのせいだという、あらぬ風評が町中に広がり、多くの朝鮮人が迫害に遭ったという。
何か、不幸な出来事があると、少数者マイノリティーにその怒りの矛先が向かうという悪の歴史がある。
 

原爆の乙女

広島で原爆に被爆し、全身にケロイドを負った乙女たちの治療に携わった医師の手記が朝日新聞に連載されたことがある。
「まるで、私が罪人であるかのように、人々は、私を穢多非人の如く罵り石を投げつけるのです。」と涙ながら医師に訴えていた。
医師らの助力もあり、米国での慈善医療があることを知ると、彼女らは日本を離れアメリカに渡った。
「日本では化け物扱いだったが、アメリカで、ようやく一人の人として扱われ、人間性を取り戻すことが出来たのです。」と手記に告白していた。
原爆を投下した憎むべきアメリカに渡り、やっと人間らしさを取り戻したとは、何と時代の皮肉だろうか。

バラバの独白
『ナザレのイエスとかいう男のお蔭で、俺は十字架刑を逃れ命を救われたのだが、愛人ラケルが、今度は自分の身代わりのように十字架で命果て、他人の命を奪うことを拒否したキリスト教徒のサハクが処刑されると、その彼を処刑した奴を、俺は仇として討ち取った。
思えば、十字架刑に処せられるべきは、あのナザレのイエスという男でも、恋人ラケルでも、我が友サハクでもなく、俺自身だったかも知れぬ。
幸か不幸か、あの男が俺の身代わりに十字架刑になったお蔭で、俺は命を救われたのだ。
たが、そのもやい模様が織りなすところ、俺は今、こうして世の不条理と罪科を背負い運命の定めるところ、その十字架という極刑にある。
 

思えば、俺の身代わりとなって罪を背負ってくれたあの男の、真の人としての道をこうして今、骨身に染みて叩き込まれたのだ。
あの方こそ、真の勇者であり、まさに神の人であり、俺の本当の救い主だったのだ。』

裏町のやくざバラバ

1993年(平成5年)の暮れにキャンパス・クルセード・フォー・クライストの宣教師アーサー・ホーランドの呼びかけにより、元暴力団組員7人と牧師2人の9名で「ヤクザ・フェローシップ」という聖書研究会を結成する。
新約聖書の「バラバ」にちなんで「ミッション・バラバ」と改称し、伝道団体として活動を始める。

※アーサー・ホーランド 1951年 大阪で米国籍のアメリカ海兵隊員の父と寿司屋の娘の間に生まれる。
若い頃から、柔道やレスリングで鍛えた頑健な肉体で、バーの用心棒のようなことをしていたこともある。
米国に移ってからは、FBIの捜査官になるため犯罪学を専攻、大学jでサンボを習い、全米柔道選手権で優秀な成績を残す。
その頃、人生の空虚感からマリファナやハッシュの依存症になり、1974年(昭和49年)アメリカに滞在していた東京オリンピック柔道男子80kg級金メダリスト岡野功から誘われ、教会の礼拝に参加するようになり、彼に導かれクリスチャンになる。

新宿歌舞伎町で路傍伝道をしていると、元暴力団員の神学生鈴木啓之らが路傍伝道を手伝うようになる。
こうして「ミッション・バラバ」は誕生した。

長々とご清聴ありがとうございます。