今度は私に起きた、これまた
言語化の難しそうな話し
彼の電話の切り際
ひとしきり話した後、
「◯◯(私)と話していると、いつも切りどきが分からないんだよね」
と言って、
「今日は徹夜だ、、仕事が間に合わない」
と言い出した
はよ言わんかい!ってか、いくらでも早く切れただろうと内心ツッコミながら
頭に"はい、お邪魔しました〜"と
明るく言ってるセリフが浮かんだ
(いや、何でずっと聞いとったこっちが"お邪魔しました"なんだ?)ともう1人の自分が冷静にツッコむ
だから言わないのかなぁと思ったら
結局、そのセリフは自然に口をついて出てきて
直後電話を切った
✳︎
すると、
まぁ気遣いの挨拶みたいな言葉だし
という、さぁ〜っと流れていこうとする感覚と
その流れをちょっと止める(気にする)感覚があった
"私もお腹空いたから帰ろう〜"とか
こっちだって、21時過ぎまで話していてもぅお店もやってないし
そのくらいの返しでよかったんじゃない?
なんか下に入ろうとしてない?
みたいな感覚がふわっと訪れる
(無視できるくらい微かな感覚だったかもしれないけど)
言ってしまった言葉を後悔するのは
快適な気分じゃない
こう言えば良かったなぁとか
その時だった
ふと、その感覚・感情に味をつけたら
こんな感じ-
みたいな感覚が右上あたりからやってきて
青菜とラズベリーの様な色と共に
"グリーン・ラズベリー"という名前がでてきた
その時残っていた不快さが
色と感覚のジュースみたいになっていて
ジュースにして、それを味わってみる
「うわ〜面白い!」
✳︎
これまで
感情を感じるとき
身体の感覚だけにして感じてみたり
イメージでデザイン(形づくって色や重みや匂いをつけたり..etc)したり
様々やってきたけど、
ジュースになっちゃうのは、
初めてのパターンかも🍹笑
✳︎
帰り道、
青汁×ラズベリーみたいなジュースが浮かび
そっかぁ
普段自分では意図して作らない味だよね、と
そう捉えると、
自分で意図しては作り出さない味を
教えてくれる、味わわせてくれる
これも恩寵だなぁと有り難く感じる気持ちが湧いたり
とにかく、新しい
その"ジュース"にウケていた
(不味そぅ-とか、笑)
✳︎
世界が何一つ排除しないように
"私"という一世界(本質)は
どんな感情も良し悪しで排除しない
もしも旅先で、珍しい地元産の野菜やフルーツを使った飲み物が出てきたら
せっかくだし、旅の思い出にと
私だったら飲むだろうと思う
それがめちゃくちゃ変わり種の味だったとしても、
むしろ珍しいからこそ話の種にでも、、と
それと一緒だと
この例えも帰り道にやってきて、
私にとっては腑に落ちた
✳︎
ちなみに、お気に入りの言葉(考え方)に
"レモンを与えられたら、レモネードを作りなさい🍋"というのがある(デール・カーネギー)
与えられた状況が不快なものでも、それをどう調理できるか
高杉晋作の"おもしろきこともなき世をおもしろく"も想起する
そんな感覚が突然イメージ化されて
ジュースを味わえた🍹✨
ようでもある
✳︎✳︎
↑は私が繰り返し想起するうちに自分なりの言葉にしてしまっていたので、
カーネギーの著書からレモネードの原文を引用しておきます🍋
愚か者は人生の贈り物がレモン(不快なもの)だと知ると、あきらめ顔で「私は負けた。これが運命だ。もはやチャンスはない」などと言い出す。そして世間に文句をつけ、自己憐憫にどっぷりひたり込んでしまう。
けれども、賢い人はレモンを手にして質問する。「この不運からどんな教訓を学ぶべきだろう?どうしたら周囲の状況が良くなるであろう?どうすれば、このレモンをレモネードに変えられるだろうか?」
(デール・カーネギー「道は開ける」より)
✳︎
不快な感覚は意図的(顕在意識的)には作り出さない、作りたくない人が多いと思う
そんな意図せず化学反応で得られた"不快"を
珍しい果物等にイメージして
ジュースにして味わってみる
(不快を味にすると、やっぱり不味そうだけど..)
自分でこのメニュー選ぶことなかったな
天の恩寵だな
面白いな
ご馳走様-(不味かった!
でも、唯一無二の一点ものを飲めたことによる
心が満たされる感覚が柔らかく残る)
✳︎