MMTとベーシックインカムとインフレ 蛇足~ベーシックインカムと人の尊厳 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。

結局、ベーシックインカムに賛成するか反対するかというのは、

最後は国家観によって左右される、

と最近では思っています。

 

金融資本主義的、株主至上主義的社会で、

生産に寄与するという権利すら剥奪され、

ただ金だけ与えられて消費して

企業や株主に利益を献上するだけの

金融的家畜として生きる社会を是とするか否か、という問題。

 

 

働きたいんだけども、能力がない人間というのを徹底的に、多分排除する社会になるんだろうなと思います。

 

~中略~

 

つまり、役に立たない奴は、

11万円もらって遊んでろっていう制度、なんですよ。

ベーシックインカムというのは。

(15分52秒あたりから)

岡田斗司夫さんが、見事に喝破してますよね。

 

まぁ似たようなことを、ホリエモンも言ってます。

 

 

そういう人は無理して働かなくていいと思う。ベーシックインカムで最低限の生活費をあげて、大人しくしてもらう方が世の中のためだよ。無理に働かせるためにかかるコストの方が、その人が生み出す富よりも大きいでしょ。

 

まぁホリエモン的には、

そっちの方がいいだろ的な、

肯定的な感じですけど、

果たして本当にそれでいいの?

 

ってところだと思うんですよね。

 

確かに、

 

ベーシックインカムもらってても、

働こうと思えば働ける。

 

でも企業側、

職場側から、

もしその人が無能と判断されれば、

バッサリ切られるでしょうね。

 

ホリエモンの言うように、

無能な人間を育て上げるより、

見込みのある人間を育てる方が

(ネオリベ的な意味で)合理的ですし、

 

ベーシックインカムがあれば、

クビになっても無収入になるということもありませんから、

企業側も職場側も、

良心の呵責なく

使えないと判断した場合はバッサリと切れる、

というわけです。

 

しかしそれは、

 

その人の“働きたい”という意思を

踏みにじることになる。

 

働きたいけど何らかの理由で働けない人というのは、

確かにいます。

 

でも、

 

働かなくてもいいという選択肢のみしか

与えられないというのは、

ある意味人権侵害のようにも思えます。

 

働きたい、と思えるだけの知能さえあれば、

何らかの形で働ける場が提供され、

十分な報酬が得られる社会の方が

理想的ではないでしょうか。

 

ただし、

 

それを実現するためには、

多くの労力、時間、技術革新と、

様々な試行錯誤のような

膨大なリソースを割くことが必要かもしれません。

 

現時点でも、

 

働けない理由というものが、

選択可能な仕事環境や仕事の性質などが

非常に少ないことが原因であるということは

私たちが思っている以上に多いのではないでしょうか。

 

現状、

こういった働けない理由、責任というものを、

本人の個性に押し付ける傾向が非常に強いわけですが、

 

それは本人のせいなどではなく、

単に今現在、

選べる仕事の種類や環境が

少ないためではないでしょうか。

 

こうした発想は、

新自由主義的自己責任論的な世界観では

決して出てこない発想だと思います。

 

例えば、どんなに貧しくても、

生活保護の受給を拒否する人が居ます。

 

彼らはなぜ、生活保護の受給を拒否するのでしょう。

 

恥ずかしいと思うから?

国からの施しを受けることを潔しとしないから?

生活保護受給者というスティグマ(差別や偏見、刻印)を恐れるから?

 

私は違うと思います。

少なくとも、

人間という存在に対する掘り下げが浅い、と思います。

 

 

 

 

 

 

いかに貧しくとも、

その人が生活保護を拒絶する理由は、

 

人の尊厳にかかわる部分にあると、私は考えます。

 

人の承認欲求が昇華された、

人を社会的動物たらしめる動機。

 

自らの価値を、金銭的価値などではなく、

人とのかかわりあいの中で見出そうとする欲求。

 

誰かの役に立ちたい、

誰かの力になりたい、

誰かの笑顔が見たい。

 

そうした人の善良な側面が、

結果として生活保護の受給を否定させるのです。

 

その人の善良な側面に浸け込んで、

緊縮論者は生活保護給付を削り、

ピンハネ株かじり経営者は

労働者を低賃金でコキ使うわけです。

 

責められるべきは誰かなんて、

ハッキリ解るでしょう。

 

その人の意思を尊重できず、

人の善良性を活かしきれず、

 

あろうことかそれに浸け込んで、

 

自分たちだけが得をする

自分たちの考える政治的、経済的な目標を達成しようとする。

 

そんな社会に発展性などあるわけがありません。

 

確かに今現在、

私たちは相対的貧困に苦しめられています。

その対症療法としては、

たしかに給付金政策はある程度効果的ではあるでしょう。

 

だからと言って、

 

私たちは、私たちが生きるこの社会のあるべき姿、

理想とする形を想像し、創造していこうとする意志を

見失ってはいけないと思います。

 

貴方が想像する

理想的な社会とは、

どんな社会ですか?