誰がための企業か~コーポレートガバナンス | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
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コーポレートガバナンス

って聞いたことあります?

 

私この言葉、何かムカつくんですよね。

見かけると必ずイラっとしてしまう。

 

まぁ日本語で言うと“企業統治”っていう意味らしいんですが、

まず何で英語で言うねん、と。

 

英語で言うのはまあええとして、

何でカタカナやねん、と。

 

日本人への読みやすさを考えるなら、

何で日本語で表記せんのや、と。

 

まぁ最初にこの言葉を知った時、

何の意味だか解らず、

パッとググっても

企業統治とかふわっとした和訳しか出てこなくて

イラっとしたっていう第一印象を

そのまま引きずってるだけなんですけどね。

 

さて、企業統治とかいきなり言われても

何のことやら解りませんが、

要するに、

 

企業(会社)は誰のモノか

 

という議論ということです。

 

え?そんなの決まってんじゃん。

 

とか一瞬思いそうですが、

株式資本主義的な近現代の企業形態を考えると、

ちょっと考え込んだ後に、

そういえばそうだな、

と思わされる議論

ということが出来ると思います。

 

まぁ単純短絡的で素朴な株主至上主義者に言わせれば

株主に決まってんじゃん

という話になるわけですが、

これが有害なのは誰でもがよく解る話ですよネ。

 

企業が

株主利益を上げるためだけの道具だ

という考え方になれば、

コストとして支払われる人件費で所得を得ている労働者を

低賃金奴隷として見なすような考え方が

当然生まれてくるわけで、

 

こういった考え方は、

良識のある人間なら誰でもダメだと思うところでしょう

 

もっとも、

経営者目線で語りたがる

意識他界系の連中は、

人件費とか賃金という言葉は使わず

コスト

とか言って誤魔化して、

コストカット(人件費カット)を

まるで良いことのように語りたがりますが、

意識的にしろ無意識的にしろ、

そういう連中は労働者の敵として認識されて然るべきでしょう。

 

もっとも、

 

当の労働者がそういう目線で語ってたりするので、

こう言う人を肉屋を支持する豚っていうんでしょうね。

 

 

 

この企業は誰のモノか、という議論、

所有と支配という二つの議論に分かれます。

 

まぁ支配というと何となく聞こえが悪くなりますが

この支配という議論は、

要するに経営、

すなわち企業の統治とか運営とか管理とか、

そういった意味も含まれるということです。

 

このコーポレートガバナンス論、

つまり企業は誰モノかという議論は、

 

企業の所有=支配、

すなわち、

所有権を有するということは

支配権も同時に有するということなのか?

 

そもそもそれは正しいのか?

 

正しくないとすれば、

所有と支配の関係性はどうあるべきなのか?

 

そういう議論になります。

 

こうした議論の延長線上に、

株主資本主義とか、

公益(ステークホルダー)資本主義とか、

そういった議論が生まれてくるわけですね。

 

これは突き詰めると、

企業とは何のためにあるのか

という割と根源的な議論に繋がる話でもあります。

 

ザックリ分ければ、

社会のためにある

という議論、

所有者(株主)のためにある

という議論と、

2つに分かれることでしょう。

 

前者は社会主義的、

後者は自由主義的と言えるかもしれませんね。

 

自由主義経済社会において、

企業は法的には出資者(株主)のモノ、

って話になりますが、

それは必ずしも実態に即した話ではありません。

 

モノやサービスを供給し、

雇用を生んで労働者に賃金として

所得を分配する、

社会を維持するための重要な機能を

企業は資本主義社会で担っているわけですから、

 

法律上、企業は株主のモノだ!

とか言って、

企業が株主の利益ばかりを追求するようになってしまえば、

社会は混乱してしまうでしょう。

 

っていうか実際に混乱しています。

 

そもそも企業とは法人、

即ち法律によって人格を与えられたモノ、

つまり人造人間とかアンドロイド、

ロボットのようなものです。

 

しかもSFに出て来るような高度なAIや

人工知能など持ち合わせていませんから、

当然企業自体が主体的に目的を持つなんてことはあり得ず、

もし企業が目的を持つとするなら、

それはその企業を支配する

人間の意思に基づくものであるはずです。

 

企業は誰の意思に基づいて行動すべきなのか、

誰のためにあるべきなのか。

 

 

これは一種、

価値観の問題として議論される話ではありますが、

 

少なくとも国家の方向性とか、

政治議論として行政や政府の方向性をどう考えていくのか

という私たちの生活に直結した議論といえるでしょう。

 

<参考>

法人所有と法人資本主義論 勝部伸夫(PDF)