格差拡大社会=株主至上主義的社会 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
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格差社会は問題、と言われますが、格差自体は問題の本質ではありません。

 

なぜかというと、格差があっても、貧しい人が限りなく少なくなれば、それは豊かな社会と言えるからです。

反対に、例え格差が無くなったとしても、みんなが貧しくなっては意味がありません。格差を無くす事が問題の本質ではなく、みんなが豊かになることが本質だと考えれば、多少の格差は許容できるでしょう。

 

極論すれば、格差は無くてもいいが、みんなが豊かであるのならば、格差が多少あっても特に問題はない、と言えます。

 

何より格差を“完全に”なくすことは、少なくとも資本主義社会においては非現実的な話であり、限りなく格差が縮小した最も現実的な状態は、分厚い中間層に支えられた経済構造であると考えられます。

 

つまり格差社会自体はそれほど問題ではなく、格差“拡大”社会が問題なのです。

格差が拡大していく社会、あるいは格差が急速に拡大していく社会、ということです。

 

では、どのような社会で格差は拡大していくのでしょうか。

 

その国で生み出される、いわゆる“富”といわれるようなモノが、一部の人によって独占され、その他大勢の人に行き渡らないような社会です。

 

無論、何をもって“富”というかは、時代、場所によって変化します。

 

食料などの生活物資の生産力が貧弱な国や時代においては生活物資自体が、逆にその国の需要を満たす程度に生産力が発達した国では保存ができあらゆるモノやサービスと交換可能な貨幣、あるいはそれに準じる金融資産を富という場合が多いでしょう。

 

例えば大昔、生産力が貧弱だった世界においては、生産物自体が王侯や貴族などの権力者に税として納められ、その時代の富をほぼ独占するような時代もありました。

つまり、その土地を所有者である王侯や貴族が、庶民に対してその土地を貸し、庶民が耕作して食料を得る代わりにその土地の生産物を税として徴収するというもので、いわば庶民は王侯貴族への負債として税を納めるような状況です。

 

この場合、その土地の所有者が絶対的な権限を持ち、労働者が生産するモノの量のうちどの程度を徴収するかによって、格差がどの程度開くのかは決まります。

温情的な王侯貴族であれば庶民の取り分も増やすでしょうし、自分の利益を増やすことしか考えない者であれば庶民の取り分は限りなく減り、格差も拡大します。

 

翻って現代で考えると、大部分の人は労働者として企業に雇用され、生活に必要な賃金、所得を得ます。

そして企業は、出資者である株主の持ち物とされます。

その企業の“利益”とは、生産・販売など企業が売上を上げるために使った経費を引いたものを言い、企業の上げた純利益は、金融機関から融資を受けていればその返済に使われ、そして企業の内部留保と、企業の持ち主である株主への配当となります。

 

つまり、構造としては、王侯貴族による税の徴収も、株主による配当利益の要求も大差はないのです。

 

ただし、大きく違いがあるとすれば、王侯貴族はその土地の所有者であると同時にその国の権力者であったのに対して、現代のような民主主義国家では株主の上に政府という権力機構が存在し、極端な低賃金や無報酬での労働を規制することが可能な点です。

 

特に通貨発行権という極めて強大な権限を政府が持っている場合には、各種の労働規制に加えて税制度を整えたり、政府支出を増やしたりすることによって、企業の経費支出や賃金支払い、つまり企業による再分配を促進し、過度の利益最大化、すなわち一部の人への富の集中を抑制することが可能なわけです。

 

政府の権力によるこのような活動は、一部の資本家への富の集中を抑制し、その他大勢の庶民への所得分配を促し、格差拡大を抑制します。

 

しかし、企業所有者である株主の権力が強まる株主至上主義的な社会では、それも難しくなってしまいます。

特にその株主が株を所有している企業の活動に対して何ら利害関係を持たず、ただ利益の要求のみが目的である場合、利益最大化要求は企業活動に多大な影響を及ぼし、さらにそれは、特に物価に対して極めて強い影響を与えます。

 

なぜなら、企業経営者が賃金を上げようとしても、そういった株主たちは自分たちの利益を守ろうとしますから、賃金を増やした分、自らの利益を減らすなどという方針には絶対に賛成しません。

それゆえに、株主利益の最大化を考えざるを得ない企業は、賃金を増やした分を価格に転嫁しようとするでしょう。

 

そうなれば、賃金が上がった分、物価も上がるということになり、実質賃金は抑制されるということになってしまいます。

 

労働者庶民が豊かな暮らしをするためには、物価の上昇よりも賃金の上昇の方が大きい必要があります。

いくら賃金が上がっても、それ以上に物価が上がってしまったり、物価の上昇に賃金上昇が追い付かない状況では、いつまでたっても労働者庶民にゆとりのある豊かな暮らしは訪れることはありません。

 

株主至上主義的な社会である以上、賃金は抑制され、よしんば賃金が上がったとしてもその分確実に物価が上昇する、つまり物価が不安定化し易い状況になるのです。

 

かつて昭和の時代、日本においては取引企業同士がお互いの株を持ち合う“株の持ち合い”という商習慣があり、株主が株主利益よりも経費の積極的支出を促すような風潮があり、また銀行融資、すなわち民間の信用創造が活発で、資金調達を株主による出資ではなく金融機関の融資に依存しており実体経済に活発におカネが流れていました。

 

しかしその後の平成時代、バブル崩壊によって土地を主な担保としていた銀行融資が停滞し、BIS規制に基づく貸し渋り・貸し剥がしによる金融不信が起こり、企業が自己資本を第一に考えるようになった結果、企業は内部留保の獲得や株主優遇の風潮を強め、コストカット・利益最大化を是とする風潮を強めていきました。

 

すなわち、株主至上主義的社会の到来です。

 

その結果、企業の再分配を促す最たる税である法人税は減税され、経費支出インセンティブを抑制する消費税が導入・増税され、景気は停滞し、多くの企業が倒産し、賃金は抑制され、国民は貧困化していきました。

 

つまり今現在の日本は、確実に格差拡大型社会にあり、格差拡大型社会とは、株主至上主義社会とほぼ同じなのです。