新自由主義と共産主義の共通点 | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
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新自由主義

新自由主義(しんじゆうしゅぎ)とは、政治や経済の分野で「新しい自由主義」を意味する思想や概念。日本では以下の複数の用語の日本語訳として使われている。

「ネオリベラリズム」(en:Neoliberalism)。

1930年以降、社会的市場経済に対して個人の自由や市場原理を再評価し、政府による個人や市場への介入は最低限とすべきと提唱する。1970年以降の日本では主にこの意味で使用される場合が多い。

新自由主義 - Wikipedia

 

共産主義

共産主義(きょうさんしゅぎ、英: Communism、独: Kommunismus、露: Коммунизм、コミュニズム)とは、政治や経済分野での思想や理論・社会運動・政治体制のひとつで、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。

共産主義 - Wikipedia

 

共産主義というのは、ざっくり言えば引用したWikipediaの言うような経済構造のことです。

要するに財産すなわち資産を共同所有、

つまり個人ではなく社会を構成する共同体全体の所有として管理し、

経済的な格差を無くして平等な社会にしましょう、

というような考え方です。

 

この資産には、

モノの生産手段である工場や農場、

そしてそれを運営する企業も含まれます。

 

つまり、モノの生産手段(企業)を

個人ではなく共同体、

多くの場合は国家の所有とする、

つまり国営企業として管理していく、

という考え方です。

 

極論すれば、共産主義というのは、

国家による生産供給手段の独占、

ということが出来ます。

 

さて、この共産主義の対局として語られる(新)自由主義ですが、

実はこの自由主義経済を放置すると、

最終的には共産主義的な経済社会へと移行します。

 

何故かというと、

 

何にも、誰にも管理されるすることもなく、

自由主義経済を放置すると、

弱肉強食による淘汰で、巨大企業による

生産・供給手段の寡占・独占に至るからです。

 

つまり、

究極まで進んだ自由主義経済社会と、

共産主義社会において、

 

両者の違いは

「誰が生産供給手段を独占するか」

の違いしかありません。

 

共産主義の場合は国家が、

自由主義経済社会(最終形態)では個人(巨大企業=資本家)が、

生産供給手段を独占するのです。

 

自由主義経済の特徴、あるいは前提は、

多数多様な企業や個人が自由に経済活動、

すなわちモノやサービスの生産や供給、

そしてそれらの消費を行うことです。

 

しかし、

 

国家にしろ巨大企業にしろ、

生産供給手段が何者かに独占された時点で、

自由市場経済というものは実質的に消滅します。

 

何故かと言えば、

生産供給手段が独占された時点で、

自由経済の特徴であり前提でもある

多数多様な企業や個人による自由な経済活動も、

その中で起こる自由競争もなくなるからです。

 

さらに、共産主義における私有財産の否定は、

生産供給手段のみならず、

個人所有の金融資産、

つまり私たちが持つ貯蓄なども含まれるわけですが、

(新)自由主義においても、

特に労働者庶民にとっては、

実質的な意味で私有財産の形成が困難になってしまいます。

 

何故かというと、

 

生産供給手段の寡占・独占と並行して、

企業資本家の力が強くなりますが、

そうなると、当然彼らは利益を最大化しようとします。

 

労働者の賃金は、彼らにとってはコストに過ぎませんから、

企業資本家が利益を最大化しようとすれば、

コストである労働者の賃金は極小化され、

貯蓄が困難になります。

 

つまり、実質的な私有財産の消滅です。

 

あれ?

 

すでにどこかの国では、

そのような状況が起きていますヨネ。

 

 

つまり新自由主義者の言うように、

自由市場経済を何の規制もなく放置すると、

 

最終的には、

 

共産主義のように自由競争に基づく自由な経済活動は消滅し、

労働者や庶民が私有財産すら実質的に消滅してしまう、

ということになるのです。

 

何とも皮肉な話ですよね。

 

自由を追い求めた挙句、

最終的に行き着くのは究極の不自由。

 

まるで寓話のようです。

 

本当の意味での自由経済、

すなわち多様な企業や個人による自由で活発な経済活動、

その環境を維持し、発展させるためには、

自由市場に規制を加え、

強者を抑えて弱者を保護する必要があるのです。

 

例えば、

自然環境保護のために、

自然に人手を加えて環境を保全するのと同じで、

 

本当の意味での自由経済を維持するためには、

法律や規制を大企業や資本家個人にかけ、

その自由を抑制することが出来る国家が適度に介入し、

巨大企業の横暴を抑制し、

中小零細企業を保護する必要があるということです。

 

逆に、

 

市場に対する国家の規制を否定する新自由主義者は、

実は共産主義者と同根であるということが解ります。

 

なぜなら、

弱肉強食の自由放任市場の容認は、

巨大企業の独占市場到来を許容することと同じであり、

独占主体が企業か国家の違いだけで、

彼らの望む市場の姿は、

共産主義者が望む姿そのものだからです。

 

新自由主義とは、

すなわち資本主義が闇堕ちした姿そのものであり、

共産主義に繋がるものです。

 

それも旧ソ連に見るような、

庶民労働者にとっては悪夢のような共産主義です。

 

新自由主義者は共産主義を忌み嫌います。 

しかしそれは、単なる同族嫌悪に過ぎないのです。