保守って何なのか、考えてみた。8~日本の保守~戦後① | 門前小僧、習わぬ今日を読む

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反グローバリズム、反新自由主義、反緊縮財政。
アイコン,ロゴ画面はイラストレーターtakaさんより。
takaさんの詳細情報はブログ画面にて。


1945年、日本はアメリカとの戦争に敗れました。敗戦です。

それに伴い、日本には占領軍が進駐、GHQによって、日本における旧来からの伝統、習慣、そして制度、すなわち國體は、主にアメリカからやってきた秩序に汚染されていきました。

もっとも象徴的なものが憲法であり、さらにその中でも際立って汚染効果を発揮したのは憲法9条であったと考えます。
なぜなら、自主独立、つまり“日本という国家の保守(=秩序維持)”を考える上で、軍事力の保有と国防問題は決して避けて通れぬ問題だからです。

敗戦という大きな傷口に、浸食性旺盛なガン細胞を植え付けられるように、国家の根幹を成す憲法を押し付けられた日本は、その文化や伝統を、秩序、すなわち國體を、旧来のものから徐々に、徐々に変質させられていきます。

結果、國體(国家や社会)を秩序の急激な変化から守るために働く防衛機制、いわゆる保守主義はどうなったのでしょう。

“直接的に現実問題に関わる政治や社会における保守主義”、すなわち主流派保守とも呼ぶべきものにあったはずの旧来の保守主義は、アメリカ自由主義という日本の秩序とは異質な秩序と融合させられた結果、グローバル保守(略してグロ保守)ともいうべき奇怪なモノへと変貌し、日本という国家にとって、國體を変質させるガン細胞のような作用を持つに至ります。

 

すなわち、敗戦という深刻なダメージを受けた日本は、その國體は何とか護持したものの、自らを滅ぼす種を植え付けられてしまったのです。

国防とは、そもそも日本という国体を守る、保守を構成する重大な要素の一つです。アメリカという外国の秩序に根こそぎ奪われたのですから、当然と言えば当然です。

無論、それとは対立的に働く抵抗力、すなわち日本旧来の國體を維持し、伝統を保とうとする保守主義は、日本国内で現在でも生きています。
主に思想という“現実世界に直接的な影響力の無い世界でしか生きられない希少種”のような存在として・・・。

グロ保守と旧来の保守、両者の間には、方向性という意味で大きな隔たりがありますが、どちらも本物の保守主義であるといえます。

前者の保守も在り方の一つであっても、決してフェイクや偽物という訳ではありません。

要するに、保守主義というものを考えるうえで、国体を守るために、保守主義という力のベクトルをどの方向に向けるのか、ということです。

 

国体を守るために、何を攻撃し、何を守るのか、と言い換えても良いかもしれません。