「ただ一撃にかける」その2:剣道の最高の「無心の技」 | アスリートの錬金術 〜スポーツの美を語ろう〜

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2000年11月3日の、第48回全日本剣道選手権大会。

全国の都道府県の予選を勝ち抜いた剣士が、日本一を争うこの大会は、NHKで全国中継され、剣道が最も注目を浴びる檜舞台です。




もともと剣道という種目は、高い瞬発力、持久力、技術力が要求される以上に、大変な集中力を要し、どんなに最強の剣士であっても、各都道府県の予選を勝ち抜き、「日本一」のタイトルを獲得することは至難の業、「連覇」ともなれば神業に近く、これまで二連覇を果たしたのは宮崎正裕先生、高鍋進先生の2人のみです。




昨年度の覇者、3回目(!)の優勝を果たした内村良一先生



組み合わせの運も皆無ではありません。人間同士のぶつかり合い、格闘技なので、選手同士の相性というものもあるようで、総当たり戦などの場合、A選手に負けたB選手が、A選手に勝ったC選手に勝つ、という場面も日常茶飯事です。

実力が伯仲した選手同士の試合では、5分の規定時間内で勝負が決まらない場合も多く、時間無制限の延長戦に突入し、双方一歩も譲らず、小一時間もにらみ合いが続くこともあります。
選手も大変ですが、ずっと立ちっぱなしで集中して技を見極めなくてはならない審判の先生方も大変です。


大会前に行われる審判会議



また、決まり技の速さは、有名な高鍋進先生の0.1秒の「世界最速の面」のように、まさに一瞬ですべてを決めてしまう。
剣豪小説の描写は決して誇張ではなく、目にも留まらぬ速さの決め技は剣道の醍醐味、そのカッコよさ、爽快感は、言葉では言い尽くせないものがあります。




前置きが長くなりましたが、この第48回全日本大会の、栄花先生と宮崎先生の勝負は、名勝負揃いの全日本大会の中でも、特に見事な一戦となりました。




構えた立ち姿の凛とした美しさ、気迫みなぎる気合い。
心が洗われるような試合です。




当時37歳の宮崎先生。お若いですね。
剣士の選手としての円熟期は、優勝当時の年齢を見ると、30代前半~半ばのようです。
30代後半で、史上初の3連覇がかかった決勝進出は、見事としか言いようがありません。


面を通しても緊張と集中が伝わって来る栄花先生。
33歳で、初の決勝進出。
悲願の初優勝をかけた挑戦者の、静かな気迫に満ちています。



延長に入って8分。
面を仕掛けてきた宮崎先生の技をかわしながら、文句の付けようのない小手が決まった瞬間!

一瞬の、隙とも言えぬ隙を衝いた、防御即攻撃の見事な技は、残心の構えまで完璧です。


最高峰の全日本決勝レベルでも、これほどの会心の一撃は、滅多に見られないのではないでしょうか。

これほどの技に至るまでには、「勝ち」にこだわり、「勝ち」を追い求めてもがいた年月があったことが示されます。


この対戦の前年の、1999年第47回全日本選手権大会準々決勝。


「超人」とまで言われていた天才剣士・宮崎先生を倒すために、栄花先生は策を練り、面を誘って返し胴を狙いました。



ところが、審判は3人とも何の迷いもなく面一本の判定。


この対戦の判定については、宮崎先生の面は打突部位を外れており、栄花先生の返し胴の方が決まっていた、との意見もあります。


剣道が、フェンシングのように電子機器で精密に有効打突を判定する種目であれば、そうだったかもしれません。

しかし、剣道で一本の判定が下されるのは、気剣体の一致が認められたとき。

気迫、剣の刃筋や動き、体捌き、残心のすべてが正しく美しく調和しなければ、一本とはならない。


ここで頭が下がるのは、栄花先生の負け方、敗北を受け入れる強さです。


自分が「作戦を練って打った技」と、宮崎先生の「その瞬間その一本にかけて捨て切った」技との違いの差を、この対戦から学び取る謙虚さこそが、栄花先生の非凡さだったのではないでしょうか。


「自分の剣道には何が足りないのか」

全日本選手権の常連のようなレベルの選手が、毎朝7時に道場に通い、雑巾がけからやり直したのです。




子供たちは稽古の前後に雑巾がけを行いますが、そこまで原点に立ち戻り、自らの剣道を一から見直したのですね。


一流のアスリートは、常に原因を外に求めず、まず自分を省みて、原点に立ち戻る勇気が共通しています。

この強さ、勇気こそ、「武道の精神」に通じるもの。

五輪で銀メダルに輝いたほどの実績と実力にもかかわらず、スケーティングを一から見直すリスクをあえて取った浅田真央もしかり。

「武道の精神」は、いかにも強そうな偉そうなポーズを取る武道家よりも、武道にはまったく関係のなさそうな、可憐な女性に息づいている場合もあります。

多くの剣道の先生方も、彼女を絶賛するのは、そこに紛れもない「武道の精神」を見るからに他なりません。




「ただ単に勝ち負けにこだわっているかぎり、『無心の技』というものは出ない」

「勝ちたいという欲、敗れることへの恐れ。目指したのは、すべてを捨て切った一撃」


この最高の「無心の技」「捨て身の技」。
何人の剣士が到達できる境地なのでしょうか。
「蝉しぐれ」の作品中でも、「神がそこに竹刀を導いたかのよう」との描写があります。
凡人には想像もつかない境地であるに違いない。




この技が、栄花先生を「日本の大将」として認めさせることとなり、世界大会の死闘へと続きます。




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