*伊兼 源太郎 著『密告はうたう 警視庁監察ファイル』 

 実業之日本社文庫 2019.4.15 

 (『密告はうたう』 実業之日本社 2017.3) 

 

 

 狭く、窓ひとつない会議室は静かで、佐良(さら)は自分の息遣いが聞こえていた。室内は寒々しいのに、体はにわかに熱くなってきている。 

「なぜ私に?」 

「適任者だからだ」                         (7頁) 

 

佐良の問いに、上司である能馬(のうま)は、答えにならない形で応えた。 

冒頭のこの一節に、この男、佐良の孤立が凝縮されている。 

 

佐良警部補は、警視庁警務部人事一課監察係主任である。 

免許証のデータを売っている者がいる、という密告が届いた。佐良は、その女、皆口菜子(みなぐち さいこ)の行動確認(行確)を命じられた。 

皆口は、佐良のかつての部下であり、ある事件捜査で致命的な失敗を共有した間柄でもあった。その時、皆口にとっては同僚で婚約者、同時に佐良にとっては部下で友人である斎藤を射殺された。どこかで捜査情報が漏れていた。結果、佐良は監察係に、皆口は運転免許試験場に左遷された。 

 

佐良が、係長の須賀とともに、皆口の行確を始めると、不審な男と会う。佐良も知っている現役の刑事と密談する。佐良達とは別の人間が、皆口を行確しているのに気づく。佐良もよく知る退職刑事だった。何かが起こっている。しかし、免許証データに関して、決定的なことは何もない。 

 

< 裏切り。多くの警察官の目に監察の仕事がそう映っているのは現実だ。不正行為の方が組織にとっては裏切り者だと頭では理解しているのに、佐良自身も監察を敵だと思っていた。では、今はどうなのか。……漠としている。>(17頁) 

 

刑事部と公安部、刑事部と監察係、本庁と所轄。様々な対立がある。誰しもが、自らの立場にたって、自らの為すことを判断している。立場が変われば、その風景は変わる。 

 

捜査一課の管理官高崎が思わず言う。 

<高崎「君は完全にそっち側の人間になったのか」 

 佐良「あっちもこっちもありません。私は私がいる場所に立ってるだけです」>(265頁) 

 

監査の面接が進むたびに、ひとりひとりの「失敗」が明らかになるたびに、過去と現在が交錯し、薄皮が剝がされるように、事件の相貌が変わっていく。 

 

結末近く、上司がエラそうに言う。 

<絶望は希望の裏の顔だからな。人は誰だって失敗する。一度も負けずに人生を終える人間がいるとすれば、そいつは単に逃げ続けただけさ。失敗をどう扱えるのかが問われるんだ。>(331頁) 

失敗するたびに、この言葉の含みも変わりそうである。