これは新ヨゴ皇国(おうこく)の皇太子チャグムが帝国というものに、初めて触れた時の物語である。
チャグムがこれまで知っていたのは、故国を含めすべて王国であった。外交は、王国の間に成り立つものとして、あった。それらの国の間には、圧倒的な力の差がない、という意味では、本質的な違いはない。その時々の外交の結果がどうであれ、結局は妥協の産物である。
では帝国とは? 例として、ローマ帝国を考えてみる。ローマは、条件さえ満たせば他都市の者にも市民権を与えた。ローマ法を整備した。一都市国家であったローマは、望まれて、巨大な帝国となった。すべての道はローマに通じた。
同じく、アメリカ合衆国は、近年、領土こそ増やしていないが、その世界に対する影響力はより大きくなった。アメリカ合衆国の市民権は、多くの国の国民が熱望するものである。
同じように、タルシュ帝国には圧倒的な力がある。優れた国、利益を生む国であったからこそ、大きく、強くなれた。原理的には、周りの国がすすんで傘下に入ろうとしても不思議ではない。より大きな利益を得たい人間が多く、それを与えることができる国であるからだ。
ただそれは、長い目で見れば、ということである。さらに、利益よりも優先されるべきものを持つ人も多い。その人によって重視するものは異なる。とはいえ、突き詰めていけば、大多数の人にとっては、経済的なものは無視できない。
長い目で見る余裕がなければ、侵略しなければならない。当然謀略が、時には戦争が必要となる。
チャグムは、サンガル王国の<新王即位の儀>に招待される。相談役として星読博士シュガを伴い、王宮を訪れ、サンガル王国に対するタルシュ帝国の謀略に巻き込まれる。
チャグムは、謀略の渦中で、国家の論理で個人を殺すべきだ、という場面に何度も遭遇することになった。皇太子として、チャグム個人として、判断を迫られる。
サンガル王国にはいくつかの特徴がある。
半島の南端に首都があり、南には多くの島が領土として広がっている。サンガル王国と海は切り離すことができない関係を持つ。より南ではタルシュ帝国に至る。
北の諸王国にとって、サンガル王国はタルシュ帝国に対する防壁となっている。
特異な習俗もある。王族の女たちが中央、地方の統治者の妻となり、そのネットワークによって国を動かしている。つまり、インテリジェンスとして機能している。
国王の長女であり、主要な島の統治者の妻であるカリーナについて、夫は考える。
<(賢いカリーナ。おまえは、サンガル王家が消えたら、どうする? おれのやったことが裏切りではなくて、おれたちの暮らしを守るための、もっともよい選択だったのだとわかってくれるかな)>(213頁)
この夫に限らず、同様の立場の者の多くが、(第三者の目から見たとしても)望ましい選択(裏切り)をしたと信じていた。
このとき妻は夫の裏切りを知っていた。情報を扱うものとして優秀ではあったが、この夫の「思い」はどう受け取っていたのか。
サンガル王国にはナユーグルという別の世界が信じられており、<ナユーグル・ライタの目>に成ってしまった少女の出現という形で、現実を揺さぶる。この異世界が、チャグムの過去の「精霊の守り人」の経験を呼び戻し、チャグムに、現実と思っている世界に対峙する姿勢を問い直させることになる。
チャグムは言う。
<「シュガ!」
…(略)…
「わたしはいま、生命を託されたのだ!」
…(略)…
「約束したはずだな。陰謀を知りながら、人を見殺しにするようなことを、決して私にさせるなと。目をつぶることで危険から逃れようとするのは、愚か者の選択だ。お前が言うように、サンガル王は疑うだろう。だが、証拠がなければ、それはあくまでも表沙汰にできぬ疑いにすぎぬ。そのくらいの不信は、つねに国のあいだにはあるものだ。そんなもので国同士の関係をぎくしゃくさせるほど、わたしは、無能ではないぞ!」>(225-226頁)
チャグムは、相変わらずの正論(あまい‼)を口にした。しかし、したたか、になっていた。
「したたか」になったチャグムが、どう戦うか?
そこかしこに、おもしろい、と思わせるところを見つける楽しみがある。