この作品は警視庁捜査二課が、外務省、内閣官房に係る機密費に潜む闇を暴いたノンフィクションである。しかし、少なくとも当事者の捜査活動上の苦労話で終わる性質のものではない。

 

警視庁捜査二課情報係主任の中才(なかさい)宗義警部補が、外務省OBの老実業家の話を聞いたことが事件の発端であった。

事件は、当初外務省の贈収賄事件と考えられていた。捜査が進み、ほどなく情報係長中島政司警部が加わる。銀行の秘密口座の調査から、この事件は政府の機密費に絡む大事件と考えられるようになった。

 

捜査一課の捜査対象は、殺人や強盗といった犯罪である。起こった犯罪に対して、組織力、チームワークで捜査する。

だが、捜査二課の扱う犯罪は、汚職、詐欺、選挙違反といったものである。個々の捜査員が掘り起こすまでは、犯罪事実そのものが無い。ひそかな情報収集によって隠されている事実が見えてくる。秘密の保持が何にもまして必要であり、個人と、加えてもその相棒までしか情報は共有されない。最初のうちは特にそうである。

 

第三章は「地を這う」と題されている。中才と中島はまさに「地を這う」ように地道に事実を積み上げた。

 

<警視庁捜査二課には明確な棲み分けがある。

情報係は汚職情報を収集し一定の裏付けを終えると、それ以降の逮捕、起訴までの捜査を、「ナンバー」と呼ばれる知能犯捜査グループに任せることになっている。つまり、不正の情報を掘り起こす班があり、一方にその事件をまとめ上げて逮捕する班がある。>

 

紆余曲折を経たのち、事件は第四知能犯第三係に託されることになった。係長の警部荻生田勝、主任の警部補鈴木敏は「取り調べ班・事務局」の中心に座った。中島や中才等の情報係員は「特命班」とされた。総勢は86名となった。

 

大規模な捜査活動が始まり、やがて捜査はそれなりの成果をあげて終結する。

 

捜査にあたっては、様々な問題がもちあがった。

 

そもそも何の容疑とするのか。業務上横領容疑か詐欺容疑か。いずれが犯罪の実態に即しているか。犯罪として立件しやすいのはいずれか。見逃さざるを得ない人間が少なくなるのはいずれか。その他さまざまな条件を考え合わさなければならない。いずれの容疑を採るにせよ強い恣意性は免れない。

 

個人犯罪と考えるか組織犯罪と考えるか、の選択も重要である。組織犯罪と考えれば、その対象人員は桁違いに多くなる。犯罪の質も異なる。

 

官庁を相手にしたとき、キャリアとノンキャリアの職員をどう扱うのか。キャリアまで視野に入れた捜査を行えば、組織犯罪を考えた時にも言えることであるが、立件の難易度がまるで違う。キャリアを視野に入れない場合と比較して、かかる圧力も格段に違う。

 

捜査員の各々が以上のような問いを自らに問い続ける。

警察官になってから、それぞれの定年での退官まで描かれている。いや、ひとりは定年前に辞めている。辞めざるを得ない立場に置かれたのだ。他の人たちも安易な道を歩いたわけではない。

捜査官としての生き方が、彼らの生き方そのものに重なっている。単なる努力を越えて、自らのその時その時に選択し、その結果を考え続ける姿勢は誰しもがとれるものではない。

 

本書の内容を熟読する機会を持てれば、汚職等の報道に接するとき、報道された事実に対する向き合い方が変わるのではないか。一読を勧める。