谷川浩司が藤井聡太についての思いを述べている。

谷川浩司は1962年、藤井聡太は2002年の生まれで、歳の差が40歳である。お爺ちゃんが孫の自慢話をしているような気がしてくる。

べた褒めである。しかし、誰が論じてもそうなってしまうにちがいない。

 

そもそも8割4分前後の勝率を4年間続けているのである。

<ここで強調しておきたいのは、勝率八割の世界と勝率八割三分~五分の世界は、まったくと言っていいほど違うということである。>

この世界の違いを、数字好きという著者が、様々の具体的な数を利用して、見事な手際で説明している。29連勝という記録が、この勝率から考えると、それなりにあり得る結果であることが納得できる。

 

<藤井さんが記録を伸ばしたり、ただ勝ったりすることよりも、純粋に強くなることを目指しているのは、事前の対局者研究に重きを置かないという構えにも表れている。

 彼は相手によって作戦を変えることをほとんどしない。…(中略)… 王道の指し手である。>

 

相手への対応ではなく、常に王道の指し方をして、異次元の勝率を残す。

「考える力」、「集中力」、「探求心」他、個別の側面を論じたとしても、賞賛の言葉しか出てこないのは当然かもしれない。

 

実際に有った事実について具体的に考えよう。

2020年7月、棋聖戦五番勝負で藤井が渡辺明棋聖に挑戦した。

まず藤井が二連勝し、第三局は渡辺棋聖が勝つ。そして、第四局は藤井が勝ってタイトルを獲得した。

 

2020年9月号の月刊「文藝春秋」に「渡辺明二冠、藤井聡太棋聖を語る」が掲載される。

このインタビューは、第四局により棋聖位を奪われた直後、日を置かずになされた。更に、専門誌「将棋世界」の取材は、第四局の対局当日、東京に帰る新幹線内で行われた。

 

そもそも、章題の「最強棋士の風景」だけで、内容は察せられるが、これらの事実の分析が素晴らしい。古典的なミステリーの、最後に関係者一同を集めての謎解きの場面を思い起こさせる。感動的ですらある。

忙しくて本を読むひまがない、という人でも、第二章冒頭のこの数頁だけでも、ぜひ読んでほしい。それだけの価値がある。

 

渡辺は上記の記事で、藤井に対する率直な感想を述べている。藤井への対しかたが、藤井への評価のみならず、渡辺自身をも表現しているように見える。更には、対局者の評を引く著者自身の姿を露にする。

対局の分析に関連して、谷川、羽生の名前が挙げられたり、AIの影響が論じられたりして、将棋という世界の、現在の状況が表現されている。

 

まずAIの波が来て、藤井聡太という天才が登場し、「観る将」なる言葉まで登場するほどのブームになった。

AIとの対局で人が負けた時、根拠なく、将棋というゲームが無くなってしまうのではないか、と感じた時のことを考えると、まさに隔世の感がある。

藤井聡太という天才が、ひとりの人が状況を変えた。

どこか恐ろしさを感じる、自分がいる。

 

 

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私は、駒の動かし方はかろうじて知っているくらいのド素人ですが、この本を読んで渡辺棋聖(現名人)に興味を持ちました。

 

ネット上の『将棋の渡辺くん』を読んで愕然としました。あまりのイメージの落差に驚いたのですが、気がついたらアマゾンで第1巻を購入していました。

熟読しましたが、他人事(?)とは思えない部分があり、心中複雑でした。何故だ?と思いながら、結局2~5巻を買ってしまい、現在4巻を読んでいます。なぜか、読み進むのに思った以上の時間がかかります。大変楽しんでいることは間違いないのですが ………。

 

『将棋の渡辺くん』と同時に、文庫の『増補 頭脳勝負 —— 将棋の世界』も購入しました。未だ読了はしていませんが、こちらにはイメージの落差は無く、とはいえ『藤井聡太論』で感じたものとも微妙に異なり、端正で頭脳明晰という感じです。この人の将棋以外のテーマのエッセイが読んでみたいと思います。