2018年に一冊の本が出版されました。数学者新井紀子が著した『AI vs. 教科書の読めない子供たち』です。

 

興味があったのは、AIによって東大の入試に合格する、ということについてでした。「教科書の読めない子供たち」の部分には、ありがちの話が並んでいると考えて、軽く考えていました。しかし、読んでみると、本当に引き込まれてしまったのは、「教科書の読めない子供たち」の部分でした。

 

AIによって培われた方法論を適用した、「読めない」現象の分析は見事なものでした。

 

はるか昔の学生時代の家庭教師、塾の講師のアルバイトをしていた頃の体験を思い起こしました。当時、この子は文章が読めていないのではないか、という<印象>を持ったことが、幾度となくありました。とは言っても、あくまで<印象>でした。

さらには、現在のネットでの印象にも重なります。記事へのコメントや、掲示板の書き込みを読むと、これは揶揄、それとも当てこすり、と思うような文章がかなりあります。ただ前の文章を読んでいない、あるいは理解していないだけ、とも考えましたが、まさか、と思っていました。それが、今回、なるほど、ただ理解していないだけだったのか、と変わりました。

 

先日、県で平均的な成績の高校で理科の教員をしている友人と話す機会がありました。早速この本の話題を切り出すと、彼自身も文章の読めない生徒には強い危機感をもっていたようで、興味深い話をたくさん聞かせてくれました。

 

以下では、本の内容に触れながら、友人の話を交えて、今現在の文章の読解力の状況を考えていきたいと思います。

 

著者たちが始めた、AIによって東大の入試に合格する、いわゆる「東ロボ」君プロジェクトには、明確な目的意識がありました。

AIのすべての方法論を使用して、将来のホワイトカラーを目指す18歳と入試で勝負する。その過程で、AIに何ができるか、どうしてもできないことは何か、を解明すること。同時に、人間はどのような能力を持たなければならないかを明らかにする、ということです。

 

AIは、大まかにいえば、論理、確率、統計を使って入試問題を解くことになります。東ロボ君プロジェクトでは、数学、物理には論理を使用しましたが、他の科目には、確率、統計が使用されました。要は、ディープラーニングで、答えらしきものが導かれるということです。

 

AIには「常識」がありません。人が、当たり前であるとしている膨大な「常識」は、教えられなければ存在しないものです。また数学には「意味」を記述する方法がなく、AIは「意味」を扱うことができません。常識を踏まえ、意味を考えて解く問題は、AIにとっては極めて解きにくい問題です。

 

100人以上のボランティア研究者を募り、数年の時間を費やした結果が、大学入試模擬試験で、偏差値57.1というものでした。MARCHや関関同立の合格圏内に入ったということです。現在、1学年100万人で、センター入試の受験者は50万人。AIは、そのうちの上位20%に入る成績でした。

 

これは、ある程度の誤差を認めるとしても、このままであれば、ホワイトカラーの上位20%がする仕事以外は、AIに取って代わられて、多くの人は職を失うということになります。

 

AIに取って代わられることのない仕事をするためには、どんな能力が必要なのか。問題は読解力を基盤とする、コミュニケーション能力や理解力と考えられます。

著者たちは東大君プロジェクトの経験を踏まえて、人間の基礎的読解力を判定するためにリーディングスキルテスト(RST)を開発します。

 

RSTは、実施の細目は別として、題材を教科書と新聞からとり、以下の能力を判定します。

 

AIがかろうじて対応できる分野として3項目。

係り受け解析(「係り受け」):「何がどうした」という関係の理解。

照応解決(「照応」):指示代名詞が何を指すかの理解。

「同義文同定」:2つの違った文章を読み比べ、意味が同じかどうかを判定する。(難しい)

 

AIがほとんど対応できない分野として3項目

「推論」:文章の意味の理解。

「イメージ同定」:文章と図形等を比べて内容が一致しているかどうかを認識する能力。

「具体例同定(辞書・数学)」:定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力。

 

RSTを中高生累計25000人に実施しました。

 

中高生の3人に1人が簡単な文章が読めない、という結果でした。「係り受け」つまり、主語と述語の関係や修飾語と被修飾語の関係を、選択肢を選ぶ形で問うものです。すると、3人に1人が間違えるということです。また語彙が不足していて、問題文自体が読めていない場合があり、結果が、より悪化した例もあります。

 

調査に使った問題はすべて選択式です。そのため偶然に当たる可能性があるために、これからは補正を行った結果で、間違いと解釈しうる割合を比べて調査結果を考えます。

 

中学3年生の結果は以下の通りです。

「係り受け」、「照応」は2割弱、「同義文判定」は7割、「推論」は4割、「イメージ同定」は3割、「具体例同定(辞書)」5割、「具体例同定(数学)」は8割

 

「同義文判定」7割、「具体例同定(数学)」8割は突出しています。著者たちは「中学生の半数は、中学校の教科書が読めていない状況」と判断しています。

 

以下は、友人が例として挙げてくれた物理の問題をもとに、具体的に考えていきたいと思います。物理の問題と言っても解くのが目的ではないので、あくまで読解力の問題と考えてください。

 

[問題]がけの端に立って石を鉛直上方に19.6m/sの速度で投げたところ、石はがけをすれすれに通って24.5m下の水面に落ちた。重力加速度は9.8m/s2とする。

(1)最高点に達する時間と最高点までの高さを求めよ。

(2)石がもとの所を通るまでの時間と通ったときの速度を求めよ。

(3)水面に達する時間を求めよ。

(4)高さ14.7mの所を通過するときの時間と速度を求めよ。

 

最初の支持は、まず問題を読んで図を描き、わかっている値を書き込む。同時に求める値を確認すること。

わかっている値は、以下の3項目。

初速度は19.6m/s、がけの端と水面との距離は24.5m、重力加速度は9.8m/s2

求める値は、(1)~(4)の7項目。

さらにあらかじめ知っているべき公式として、速度、変位を求める式。必要ならば、時刻を消去した速度と変位の間の関係式。

 

わかっている値、求める値を抽出することは、RSTでいえば「係り受け」、「照応」、「同義文同定」に相当するでしょう。

<石を鉛直上方に19.6m/sの速度で投げた>を、初速度の記述と受け取れるか。<端>を

<はし>と読めるか。<石はがけをすれすれに通って24.5m下の水面に落ちた。>を、<がけの端と水面との距離は24.5m>と理解できるか。まずは、そのくらいの問題があります。その他、他の問題の場合も考えに入れれば、本当にそんなことが、と疑うような話がたくさんあるようです。

 

同時に、かなりの生徒はこの問題の図が書けない、と友人は力説していました。単に、書け、と言うと、固まる。あるいは、嫌がる態度を見せます。こちらで書いてみせて、写せ、と言うと、おもむろに定規を取り出します。そんな大げさなことはしなくていい、フリーハンドでいい、と言うと嫌がって、結局定規で図を写すことになります。

 

生徒は、文章を読んで内容を図にする、という訓練を受けていないのです。文章を読んで、自分が理解できたかどうか、を確認するという感覚が育っていません。ここが直角である、これとこれが同じ長さである、この線とこの線が平行である等々が問題だから、他の部分は適当でいい、という見切りがなく、定規がないと図が書けないことになってしまったのだと思います。この辺りは、「イメージ同定」に相当する部分です。

 

求める値は、(1)~(4)の7項目です。各小問の答えで1つしかないものが多少あっても、「あっ、忘れた」の、ありがちな応答で埋もれてしまいます。しかし、必ずしもそれで済む問題ばかりではありません。この問題では4つの小問の集まりになっていますが、もしこれを、一つにまとめて問いのみを書き並べるとどうでしょうか。

 

例えば、よく出題される波の問題ではこんな感じです。

(略)振幅、振動数、波長、波の速さを求めよ。

この時、答えは4つありますが、最初の問い(振幅)の答えのみ、あるいは最後の問い(波の速さ)の答えのみの解答が、驚くほどたくさん出てくるのだそうです。単なる不注意、読み落としの問題を超えているのではないでしょうか。同じような問題ばかりを扱い、繰り返しの訓練ばかりしているせいで、問題をまともに読まなくても済む、という予断が、生徒に染みついているのではないかと思えてきます。

 

音読時の読み飛ばし等、まだ様々な話がありましたが、最後に印象に残った話をひとつ。

授業中に、問題を解きあぐねている生徒を見て、一緒に問題文を読んで説明したそうです。その時に返ってきた生徒の言葉が、「えっ、本当にそれだけ!最初からそう言ってくれればよかったのに」だそうです。友人は、これまで何度も同じような場面を経験しているということです。