
というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、
ほかの物を据えることはできないからです。
その土台とはイエス・キリストです
第1コリント3章
この章は、全部読んでいただいた方が分かると思います。
わたしが思う信仰の土台とは、自分がどれほど神様に赦されたかという感謝。
自分がどれほどの罪人であるかと言う自覚。それに尽きるような気がします。
どんな良い本を読んで感動しても、知識が深まったとしても、それは自己満足でしかないような。
こんな事を書くと、あなたはどうなの?って言われそうですね。
そうです!わたしも、分かっちゃいるけど?そんな事はすぐに忘れて、
信仰とは、こういうものだ🗣💯
なーんて偉っそうに語る罪重ね人です。自覚があるにはあるのに⤵
サグラダファミリアは、着工から100年以上が経過しても今なお建設中との事。
こんなに巨大な建物、土台はどんな造りなんだろうと思います。
造り始めた時、耐震の事は考えてたのかな。
こんなに大きな建物、完成したらすごいですね。
ずっと未完成のままでここまで来るなんて、誰も想像出来なかったのでは?
わたしの信仰の土台、しっかりしてるかなぁ。
主よ憐れみたまえ‼
