気がつけば、ゴールデンウィークも終わっておりました。
今年は本ブログを通じて(?)アメブロ繋がりの豆タヌキ様のアテンドを二日間ほどさせていただきました。
なんと、私が幼少期を過ごした広島の実家と超ご近所さんであることが、手配関係のやり取りをさせていただく中で判明。
ご縁とは面白いものよのぉ、と思った次第です。
2日間、日帰りツアーをアテンドさせていただいたのですが、この中で、同世代(アラフォー)のモンゴル人女性ともお友達になれたし、なかなかよい旅でした。

何よりお天気に恵まれて、ぽかぽか陽気であったのがよかった。

とよかった続きだったら、とっととブログの更新もしていそうなものなのですが・・・

実は愛犬・ソートンが5月3日に左肩からわき腹にかけてを手術し、その後も膿がひどく、発熱するなど具合が悪く、また例によって例のごとく「家庭内すったもんだ」も重なりまして、全然PCに向かう心の余裕がありませんでした。

ソートンが怪我をしたのは、実は、4月下旬。ガナー君が近所のガレージに車を置き、ソートンと一緒に自宅へ帰る途中で、突然、闘犬・ピットブルが襲い掛かってきたんだそうです。ソートンは口かせをつけているため、応戦できず、ピットブルが心臓めがけて左脇にかみつかれたまま。ガナー君があわてて口かせを外して、ピットブルをひきはがそうとしても、くいついたものは離れない。5分ぐらいしてから飼い主らしき少年がかけつけてきたけれど、首輪もしていないピットブルをつかむこともできず、結局、15分ぐらいの闘争を終わらせたのは、ガナー君が自身の護身用にもっていたサバイバルナイフでした。
常日頃、外国人の女とつきあっているということで自分も襲われるかもしれない、と警戒心が強いガナー君はブーツにサバイバルナイフを隠し持っています。私が「危ないし、警察沙汰になるかもしれないからやめて」と何度も言っているのですが、やめません。
この精神状態や過剰な護身行動についていけない、と思うこともよくあります。

まぁ、とにかく、このナイフでピットブルを切りつけてようやくソートンが猛犬の牙から解放されたのですから、文句もいえない、、、といえばそうなんだけど。

怪我の状態は毛むくじゃらでよくわからなかったのですが、出血もそれほどひどくないし、すぐにマキロンをぶっかけて消毒しまして、翌日も翌々日も熱もなく、腫れてもいなかったので、大丈夫かな、と思ってたのでした。

カシミア採りに冬営地にいったときもご機嫌で近所のわんころたちと走り回ってたのです。

5月2日に豆タヌキさん達と13世紀村などをめぐっているときもダルメシアンのダル君とも仲良く草原を走り回っていたのです。でも、帰り道の車内では、ダル君にワンワンと吠え掛かったりと不機嫌なようす。その夜は、ご飯は食べたけれど、2階の私の寝室にあがってくることもなく、リビングルームの自分の布団で寝ていたので、おかしいな?疲れたのかな??といぶかしみはしていたのですが。。。

5月3日になって、ダンバダルジャーの日本人抑留兵の墓地におまいりに行った時、40分ほどのお参りをしている間に具合が悪くなっていました。ガナー君が「噛まれたあたりが腫れている。化膿しているから病院につれていったほうがいい」といいます。
幸い、豆タヌキさんもかつては愛犬がショードッグとして大活躍していたこともあるという大の犬好きで「いいよ、いいよ、まず病院にいこう」といってくれたので、急行。
そのまま半日入院ということで夕方まで病院に預かってもらいました。

予定のコースを無事終えて、ソートンを迎えに行きました。
幸い、獣医さんたちが恐れていた横隔膜の断裂などはなかったのですが、真皮まで貫通するほど深い牙の傷でそこから雑菌が入り化膿したのでした。膿を搾り出したけれど、まだまだ残っているということで、外に膿を排出するための管が通されていました。
傷跡が大きすぎて、うまく縫えていなくって、ばっくりあいたまま。傷口から黄色い膿がじくじくとわいているのです。
消毒液と化膿止め、痛み止めなどの薬をもらいました。

72時間有効という麻酔と抗生物質の注射の効能が切れちゃったせいか、昨日からは消毒を嫌がるようになりました。でも、傷口をなめると口かせをつけられる、ということも学習したようで、傷口ではなく前足をなめています。

膿が管を通ってたらたらと滴り落ちる、ということはさすがになくなってきているのですが、傷口はなかなかふさがらず、もったりとあつぼったいのです。

夜になるとぐったりしているのですが、昼間は食欲も散歩欲もあるので、元気になるとは思うのですが、やはり一番の心のよりどころであるソートンが病気ということで、私も元気になれないのです。

さらにガナー君とつまらないことで口論になりまして。
なんと器のちんまい男だろう、と。
私も気持ちがささくれ立っている、ってところはあるのですが、それにしても、ちんまい。
みょうちきりんな虚栄心とか、食事マナーができていないとか、、、。
家の中でだらしない私も他人のこと言えた義理ではない、ってわかってるんだけど、外食するときに給仕係に対して横柄な態度だったり、食べ方が汚かったり、なぜナイフとフォークで肉がきれいに切れないのか、とか、食べ残すなよ、とかね。私もこまいです。

ダル君はガナー君の友人のアドーチ君宅にいるのですが、彼はそれなりに元気です。

ダル君がいないと、確かに私の生活は平和。自分のペースで暮らすことができます。

でもガナー君が、「犬と一緒に暮らすのは耐えられない」と繰り返されると、「じゃあ、バイバイだね」って思っちゃうのです。
生理的に耐えられないっていうなら仕方がないのです。
私も犬と暮らせない、っていうコマイ男とは一生を添い遂げることなんかできそうにないもの。

ダル君がめんどくさい犬なのは、まだ子犬だからであり、ありあまるパワーを制御できないお年頃だからであって、彼なりに成長しているし、「アパート子羊育て週間」などは、寒さで凍える子羊たちを懐に抱きかかえて一晩中じっと暖めてたりと、ちゃんと「TPOをわきまえて」やんちゃしているのです。

つまりは、ガナー君の娘・子狐とダル君というのは私の中では同じなんですね。
成長している途中で、分別もないし、わがままだし、大人の言うことをまともに聞いて理解できないお年頃。
そういうことを踏まえて付き合えば、それなりに耐えられる。
私も子狐のわがままとかヒステリーとか耐えられなくなることもあります。
特に自分が築いた「城」っつーか、一応、自宅ですからね。
そこに他所から入り込んできて、我が物顔で振舞って、私の仕事時間や貴重な癒しタイムを邪魔するっていう異物と一緒に暮らすのには抵抗感もあります。

ただ、私なりに子育てっていうことの責任感も芽生えてきて、さらに母性とはつまりは忍耐と包容力の元であると受け止めるようにして、ある程度は子狐とも平和につきあえうように努力しているのです。努力と忍耐と妥協なしに継子と暮らすことはできません。

それをいざこざの度に、「おれが連れ子がいるからなんだろう」みたいに拗ねたことをいわれてもむかつくし、いちいち痴話げんかの原因を「子供」のせいにするのはいいかげんにやめろよなー、とうんざりしています。

継子だろうが実子だろうが、多分、子供って働く親にとってはめんどくさい存在なんですよ、一生。所詮は別人格なんだから。

別人格の子供だとはいえ、やはり社交性というか社会性を身につけさせるのは、親の責任だと思うのです。モンゴルの学校教育でそこまでの道徳心が身につくとは期待できないもの。

なので、ガナー君自身のマナーにかけた行為に私がハラを立てることを、子狐のせいにしている、と逆ギレされるのもうんざりなのです。

別居上等。というか、もうこのままどっかいっちゃってよ、とも思う。

でも、家畜のことがあるからなぁ。。。

あんまり、あれやらこれやらと自分が去年からの努力で手に入れた、「やり直しグッズ」の数々を考えるとガナー君とすぐに袂を分かつのももったいないという気もします。

そうはいってもね、実は、結局、裸一貫じゃないけれど、私、一度何もかもを失ってみているので、車も家も家畜も、また失うことになってもそれほど怖いとか、悔しいとか思わない気もします。ばかだなぁ、またかよー、って自分に対してあきれるってことはあるけれど。
結局、モンゴルってそういうところなのかもなぁ、って開き直り。

やっぱ物欲はないのが一番、とあらためて思うのです。
自分が「あれをもってる。これをもってる」と思うから、本来自分の所有すべきものをフル活用できず、他人に依拠せねばならないことn対してイライラしちゃうんです。最初から、なくてもいいやって思って暮らせば、どってことないのです。

そんなわけで、なくてもいいや、というものばかり、、、
家族も男も家も車も事業も、、、

唯一、これだけは失いたくない!という存在は愛犬ソートンだけなのです。
いつかは、寿命で先立たれる宿命だとわかっていても、その最後のときまでは一緒にいたい、と思うのはソートンだけです。

これこそ、相思相愛、だからね。

とまぁ、こんな風にどんよりと刹那的に、ギスギスしてしまったため、せっかくの楽しかった二日間がふっとぶほどつかれています。

この3日間ろくに寝ていません。全然眠れません。不眠症・・・ってやつです。
珍しく、お酒飲んでみたり、睡眠薬飲んでみたりしてみたけれど、全然だめでs。
睡眠薬も連日連夜の飲みすぎで体、重い・・・でも眠れません。

映画をねっころがって見すぎて首も痛いです。
なさけないことになりました。

ヨーチンで傷口消毒されても、歯を食いしばって黙って耐えているソートンはえらいなぁ、と思います。

膿排出用の管を取り出すときもきっといたい思いをするんだろうなぁ。

私も一人で痛みに耐えられる気力を再び、体内で生み出さねばいけません。