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その不吉な文字を初めて目にしたのが10月10日前後。
日本への一時帰国をするかどうか、という頃のことだったと思います。

「高橋昇 死」

こんな不吉な検索ワードが上位に入っていて、いやーな胸騒ぎ。

そう、いったん、すべてを投げ出して、日本に帰りたいって思ったけど、次の仕事があって帰れない。
モンゴルでがんばろうって思っていたのが9月3日。
師匠がなくなったその日のことです。

9月3日だけ、ちょうどベタナギみたいに予定がまったくなくなって、ほっと一息ついて、「まだ、今は日本に帰れない。逃げちゃだめだ」なんて師匠の写真集に書かれた言葉をみつめながら、自分をKeep Up!していたんですね。

正直、信じられなかった。
後追いで、自分が検索して、親しい人たちや、師匠と近しいことで知っていた方たちが、師匠をしのんで書いた記事や、ニュース記事など・・・

ああ、ホントなんだって、なんか現実的でなく、実感が全然わかない。
だって、どんなときだって、師匠が私にどんな声をかけてくれるか、いつだって私のソバにいないときだって、私を突き放したように、「お前なんか、あまちゃんだ。失望したね!」なんてどやされたときだって、計り知れない深い愛情をもらっていたから。

それでも、師匠がこの世にもういないって思うだけで、涙が止まらない。

師匠もそうだったんだよね。
開高先生が亡くなって、亡くなったってわかってても、受け止めてても、それでも、「まだ開高先生がどっかを旅しているような気がするんだ。まだまだ開高先生にかなわないなって・・・」と言って泣いてた。

開高先生行きつけのバーがあって、開高先生がいつも座っていた特等席があって、その席の隣に、私は師匠と一緒にすわって、会ったことないのに、開高先生のことを思って、師匠の心の振動に共鳴するように一緒に泣いていた。

亡くなられてから10年以上たっても、師匠はやっぱり、開高先生のことを話しながら泣いていた。
私もやっぱり、高橋昇という人生のかけがえのない師匠を思って、これからずっと涙を流し続けるのだろう。
涙が枯れ果てることもなく。ずっとずっと、師匠への愛情や尊敬やいろんなことを思って、感情が尽き果てることがないように、私はこれから泣き続けるんだろう。

こんな風に、誰かを思って、泣き続けることになるのは久し振り。
こんな風な切なさは、愛がなければ生まれない。

自分の心が、凍りついて動けなくなっていたのに、師匠が力づくで私を揺さぶった。

結局、でっかすぎてかなわない・・・かもしれないけれど、師匠が「かなわない」って思いながら、自分を奮い立たせて、自分の才能に挑戦し続けたように、私もまた、モンゴルという舞台で自分を奮い立たせ、泣きながら、いろんなことに立ち向かっていくことになるんだろうって思った。

師匠と弟子ってそういうことなんだなって。

今日、ちょっとだけショックなことがあった。
自分が尊敬してエコツアーの師匠だって思っていた人に、見限られたって実感。
はぁ、脱力です。
でもね、そのことじゃないんですね。自分は100%信じて、全力でがんばってきたつもりでも、結局は、人の噂話や評判っていうことで、私は自分がこの人に見限られたんだってことの情けなさ。あぁ、自分は愚かものだって。

高橋昇師匠のすごいところは、理由も事の仔細も一切聞くことなく、ぶれないこと。
自分の保身なんか考えなくって、100%で私を受け止め、どんなことがあっても、私がどん底まで人間のクズみたいに卑屈な人間になっても、私を信じて、「俺はお前の味方だ。」そう言い続けてくれてたこと。

自分が義兄弟ってなっていたモンゴル人を私が若さゆえの暴走で激怒させ、モンゴルにいたら命がなくなるかもってなったことがあった時、師匠はその相手に対してこう言え、って言ってくれた。
「開高先生の義理の息子と呼ばれた俺達は、義兄弟だ。そのおれの弟子がやらかしたヘマをいつまでも根に持つほどお前はセコイ男なのか?開高先生がそんなお前を見たらなんというと思うか考えろ。俺がほれ込んだ弟子をお前はつぶすのか?」
それを怒らせた元凶の私に言えと?
ええ、決死の覚悟で言いましたとも、ご本人に。

で、現在にいたるまで、私はこうしてピンピン生きてる。
その人は、たぶん、まだ腹は立てているかもしれないけれど、私をサポートしてくれる。

私が何百万円、モンゴルで損することになったのに、ちっともモンゴル人はわかってくれないって泣き言を言った時も、
「せこいこと言ってるんじゃないよ! 俺なんざ、能にどれだけつぎ込んだと思ってんのよ。mongolは金のことでピーピーなきごという魂じゃねえだろ!見損なったね。」
と一蹴。

自分で切り抜けなきゃいけないピンチには容赦がなかったけれど、それでも私を土壇場で愛してくれていた。かばってくれていた。

師匠の後ろ盾、なんてあったわけじゃないけれど、師匠との絆が私を強くしてくれた。

今日、見限られたって実感したのは、その人が「自分の立場を守る」ために私との距離を置くのは当然だ、といったこと。
当然だ、当然だよね。
すごく納得。

でも、私はその言葉を本人から聞くまで100%、私はその人を信じて尊敬し、自分のすべてを失ってでも、その人のことを守ろうって思っていた。
それは理屈じゃなくって、尊敬があったから。
周りの評判なんかどうでもいい、彼が私を正面から見てくれていればいいって思ってたけど、違ってた。ばかだなって思った。
分不相応に奮闘しなければいけなくなって、挙句の果てに見捨てられたって思った。

情けなくて涙が出そうになったので、傘をさすのをやめてずぶぬれで家まで歩いて帰ってきた。
ぐじぐじ、うじうじ、なさけなくてこれからのことをどうしようかって思って涙が出てきた。

でも声を出さずに泣いていたら、また高橋師匠の声が聞こえてきた。
それはモンゴルのことわざ。
「鳴いて鳴いて家畜になる。泣いて泣いて人になる。」

こんな下らない涙を流してちゃ、大した人間にはなれないなって思った。

お金も信用もすべてを失ったって、私には私を愛してくれた師匠がいる。
今、ここで私がすがりついて電話をかけることができなくなったって、師匠が何を言うか私にはわかる。

どやされるだろうし、しかられるだろう。
だけど、最後にきっとこう言われる。

「だからそれが何だっていうんだい!おまえがたとえ犯罪者で死刑になろうが、そんなこたーかまわねえ。お前が精一杯生きて、それでもそうなっちまったもんはしょうがねえ。そんなことでへこたれるお前じゃないだろう!俺がいるのに、おしめえーだなんて、言わせねえ!」

そう、すべてはおしまいにならない。
まだ終わっちゃいない。

高橋昇という人が私を見込んでくれた。
それだけでいい。

他の誰がどう思い、どれだけ不義理をしたと言われようが、私は私の100%で生きている。
それでも、駄目なことに対して言い訳なんかしない。

ふと気がついたことがある。
師匠とおんなじような言葉で私を支えてくれる人。

正吉君。あんた、ほんとは大した人なのかもしれないね。
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