さて、いよいよ明日、20年ぶりの夏の東京2週間以上滞在という、自分にとってはドキドキな体験をしに、成田に向かいます。

まぁ、そんなこんなな日常生活ですが、自分の帰郷、療養もさることながら、話題に朝青龍とどうやら同じ飛行機らしいんですよ。

母が大ファンである中田ヒデの訪モという噂もまるで風の便りで、それどころじゃねぇぜ!みたいにゴタゴタに奔走し、見逃しちゃったりしていただけに、朝青龍がまぁさか、巡業さぼってヒデとのサッカーを優先させるとはねぇ、、、みたいな話題もモンゴルの国内ニュースで知ったというテイタラク。

在留邦人でも親方日の丸筋の人たちは、観戦したり交流したりしていたようなのですが、、、シモジモのオイラはぜーんぜん知りませんでした。

第五腰椎を痛めるッツーのは、私も高校生の時やったことがあって、それで泣く泣く3歳から続けていた剣道を断念しなければならなくなりました。
普段の生活に支障がない程度歩けてたものが、突然しびれて、激痛。
なぁんでこんなことに・・・と情けなくなり、かつ、治りづらい上に、痛めやすい場所でもあるといわれ絶望的に落ち込みました。

剣道できないんだったら、新たな自分の生きる道を見出さねば、とアメリカに某民間の交換留学制度で留学し、ホームステイした先が、カイロプラクティックと鍼灸のお医者さん。
半年間毎日、リハビリと鍼灸、理学療法と整体施術やマッサージをしてもらい、かつ高校で筋トレのやり方を教えてもらいながら、ちょっとずつ治していきました。
バレーボールやバスケットボールが出来るようになったときは、下手でも補欠でもいいから、走れることが何よりも嬉しかったことを覚えています。

人生をかけて打ち込んでいたスポーツを怪我が原因で断念しなくてはいけなくなる無念や空虚感、喪失感は、それを体験した人それぞれが乗り越えるしかありません。

プロ選手でも、アマチュアでも、単なる趣味でもお遊びでも関係なく、ほんの一瞬のことで、取り返しのつかない怪我になってしまう。

仮病なのかどうか知らないけれど、確かに痛み止め打って、気合や高揚感で痛みを忘れて一時的に動ける、ということはあるかもしれないけれど、その後で再起不能になっちゃうかもしれない。なんで、そういう診断書を持っているのに、モンゴルでサッカーができちゃうの?
本当だったら、その身体ケアに対する無神経さにびっくりです。

せっかく東西横綱がそろったのに・・・

いろんなことを考えました。
せっかく恵まれた体格・才能を持ち、頂点に登りつめているのに、いくら日本とモンゴルの外交35周年を祝うための国際交流イベントだからといって、多分、それ相応のギャラも出ているんだろうけれども、なんで、こんなことで力士人生を棒に振るかもしれないっていうようなことを次から次へとしでかすのか・・・残念です。

なんで周囲の人ももっと気遣って、話の筋道を通すよういさめてあげないのか?

モンゴル国の国民的英雄だから、何をやっても許される、と思っているのか?

日本のイベント企画者、コーディネーターは何故、親方筋や相撲協会に話を通していなかったのか?

日本のお相撲さん関係の取材は、いろんな意味でお金もかかるし、筋の通し方も特殊で大変です。タニマチ筋とか後援会とかいろんなところのパイプを使ったにしても、最終的には親方さんとの話をつけずに、お相撲さん本人との話が通ってるから、と進めてしまうと、いざっていうときに大変なことになっちゃいます。

今回は、まさに、その「大変なことになっちゃう」状態なんでしょうね。

横綱にまでなって、、、という批判も一杯あるし、それぞれ納得なんだけど、そもそもモンゴル人に日本の武道精神、相撲道という道がいかなるものであるかが完全に理解、納得、許容できているかどうかが疑問です。

モンゴル人にとっては、「なんでそれがいけないの?診断書を提出して、巡業という仕事を休んでいるんだから、休みの間は何やっても、本人の自由でしょ。」と考えると思います。

モンゴル人にとって、「診断書(акт)をとって休みをとったから(
чөлөө авсан)ダイジョウブ
」という言い訳は日常茶飯事だからです。

日本政府の無償援助プロジェクトの通訳が足りなくなり、片言英語の人でも、、、とかきあつめた際、モンゴル国厚生省のお役人女性(医師の資格を持っている)が、なんと3ヶ月も「診断書」を取って「病気のため休職」して、自分の月給よりもはるかに高い日給がもらえるプロジェクト通訳をやっていた、ということがありました。

大学院を休学してプロジェクトに通訳コーディネーターとして参加していた私は、「この国の職業倫理はどうなってるんだろ?」ショック!と思ったものです。

10年以上前でもそうだったし、多分、社会主義時代もそうだったんでしょう。
「診断書」を提出し、職場が「休むことを認めた」ら、あとは自分の自由なんだ、と。

ゆえに、休暇(амралт)という単語ではなく、自由をとる(чөлөө авах)という単語を使うのです。

決して、朝青龍の行動判断の是非を問うわけではないのですが、この国のモンゴル人たちの思考回路を基準にすると、「せっかくのモンゴル政府からの要請だし、面白そうな企画だし、場所も終わったことだし、日本の蒸し暑い夏に相撲やるよりも、こっちでのんびり楽しくやりながら体調を整えて、9月の場所にがっつり優勝すれば、誰も文句いわんやろ・・・」くらいの考え方だったのかなぁ?なんて想像しちゃいます。

それにしても、どうして、この横綱は、親方さんとのコミュニケーションをしっかりとらずに、2度も3度も似たような類の、日本の相撲を愛し、真剣に取り組んでいる人たちの神経を逆なでするようなことを繰り返すのか。

こっぴどく批判され、処分されても、ちっとも懲りてない。
この辺もモンゴル人的なんだろうか?

「終わってしまったことをクヨクヨしても仕方がないから」と、自分が仕事で大失敗しても、日本人ほど、この国の人たちは落ち込まないし、反省もしない。
そして、同じではないけれど、類似したような、根底は結局本人が何も改善していないから起きる失敗やトラブルである、ということに私は正直、うんざりしています。

異国に暮らしている以上、自分がモンゴル人のこういう思考回路や行動パターンに振り回されても、不平不満を言っても仕方がない。それが嫌なら自分の国へ帰れ、といわれて終わりです。

でも、この国はちっとも変わらない。
技術が発展し、大規模な投資が増えて、経済発展とか、みかけは都会っぽくなり、学校のカリキュラムとかも体裁整っていて、博士号や修士号をいくつもの分野で取得している若い人も増えているけれど、なんか、根底の精神水脈がよどんでいる気がしてなりません。

自分はモンゴル研究の中でも傍流の傍流、ほんのささやかな地下水脈みたいなものに取り組んでいるだけだし、経営手腕もなければ、資金力も親方日の丸筋のコネもなければ、経済界のコネを利用する器量もないので偉そうなことはいえないけれど・・・。

でも有名人だからっていうだけでもてはやしたり、イベントとか、自分のネームバリューを高めるために「私、この人と知り合いなの」みたいにいうのは、恥ずかしいことのような気がします。

そして、仕事を選ぶ時の基準も、やはり「筋」というものをきちんと通して、一生懸命取り組みたいと思います。

仕事をやるかやらないか、の自分の基準の中に「面白いかどうか」がかなり優先順位高い位置にあるのはもちろんなんだけど、面白いだけじゃなくって、その仕事を通じて自分が成長できるか、依頼して私を選んでくださった方のお役にたてるかどうか、も大きなポイントです。

真夏の巡業はきっと辛いと思います。
自分が夏の間、モンゴルや日本の高山、南半球などなど、涼しいところ、涼しいところで働いたり暮らしたりするという生活を20年余り続けてきているのも、日本の真夏の蒸し暑さと冷房が嫌いだからです。

だから、名古屋場所優勝しての凱旋帰国、皇太子殿下とも会い、そして、世界のナカタがモンゴルに!というモンゴル国をアピールする絶好のチャンスに貢献したいというなら、それはそれで横綱の気持ちはわかる気もします。

きっと、他の人でも気持ちはわかると思います。
親方だって事情はわかると思うんです。その後の判断がどうなるかは別にして。
なのに、なぜ「力士生命に関わるようなダメージ」を診断書に盛り込んで、巡業を休み、親方にも言わずにモンゴルでナカタとサッカーイベントに参加するのか、ということがいろんな意味で愚かだなと。
どうして、相談しないのか。そんなに親方あわないのか。
暴れん坊な高校生から、モンゴル民族一番のお金持ちに、そして相撲界の頂点に育ててくれた人とどうして信頼関係を結べないのか。

自分にとって、師匠は一生師匠です。
辛いときに相談したい人が師匠だし、問題打破のポイントに導いてくれるのも師匠です。
たとえ、実力が師匠を超えた、という気がした時だって、精神的な面や、それまでの積み重ね、人生経験などでかなわない。けど、師匠は絶対、弟子を貶めたりしないし、どんなに大きくなったって、かばってくれるし、守ってくれる。
だから師弟関係なんだと思うのに・・・

とてももったいないです。
どういう処分になるのかよくわからないけれど、何はともあれ、30日のOM501便にちゃんと乗って、日本に戻り、コトの筋を通して欲しいと思います。

乗っているかどうかの確認・・・ちっちゃい飛行機だし、大きな身体だし、自分で確認して、またブログに書いちゃおうっと。

せっかくの東西横綱がモンゴル人力士、という史上初の快挙なんだから、ちゃんと筋を通して9月場所に出てほしいなぁ。



サッカー大好き身勝手横綱朝青龍に批難の声殺到


 横綱・朝青龍(26=高砂部屋)に仮病疑惑が浮上し、26日、非難の声が集中した..........
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ボグド山はモンゴル国の自然保護区区分の中でも、もっとも規制が厳しい「ダルハン ツァーズタイ ガザル」(Дархан цаазтай газар)です。
昨日から燃え続けているこの山での火事は、山頂付近であるため、人海戦術・軍隊400名が消火作業に当たっていますが、消火用の水の運搬が大変で、消石灰や土など、そして防火帯を掘り、燃えくすぶる木々を除去するなどの作業そのものがなかなか進まずにいます。

24時間体制でがんばっているそうですが、なんといっても、一気に消火、とはいかず、おそらく3日3晩の消火作業で消せるかどうか・・・といった感じ。

今回の原因は、ここ数日の猛暑、という以外に、どうやら人的要因があるみたいなんです。

ここで、注意!

モンゴルはキャンプ場その他、日本ではなかなかできない、「直火」の焚き火が楽しめます。
三つの大きな石でかまどにして、煮炊きをしたり、バーベキューをしたり、長くて丈夫な木を使って、鍋をつるして、カウボーイ気分の野営もできちゃうので、私も焚き火が大好きです。

でも、とにかく、今年のように雨が少なく、猛暑が続く夏は、火の不始末が、この国に大変な損害を与えてしまいます。
山火事の後は、マツクイムシなどの害虫がはびこり、火事で弱った木々は病気にかかりやすくなります。せっかく火事で生き残っても、そのあとのダメージで森そのものが死んでしまうこともあり、極端に厳しいこの国の自然環境ではその後の、森林再生にも膨大な時間を要します。

モンゴル人は、基本的に焚き火などの中心、炎に水をかける、ということを嫌がります。
火の神様の目がつぶれる、というのです。
火を信仰し、崇拝する、その習慣は素敵ですが、都会のモンゴル人は、森林との付き合い方を知りません。

いっくらモンゴル人が「自然と共存する暮らしの遊牧の民」というイメージがあったとしても、都会の人たちは、ほんと、私達日本人がキャンプのイロハとして知っていることすら、認識していないことがたくさんあるのです。

たとえば、木の根っこ近くで焚き火をしちゃいけない、とかね。

これはなぜかというと、乾燥した大地は、地表だけでなく、焚き火の熱が地中にまで伝わり、静かに土の中でくすぶり始めるからです。
カラマツやモミなど針葉樹林が多いこの国は、腐葉土という感じではなく、松葉がそのまままるでフェルトのように組み合わさり、重さで凝縮した地面なので、発火しやすいのです。
地中に静かに熱が染み入り、それが乾燥した木の根っこに到達し、そして、ちょっと風が吹いて酸素が供給されれば、あっというまに火がつきます。

それは、焚き火をしているその場かもしれないし、3時間後かもしれない。
あるいは翌日かもしれません。

火の始末をきっちりつけておかなければ、悪気がなくても、取り返しのつかない被害を出す犯人になってしまうのです。

モンゴル人が「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と自信たっぷりにいっていたとしても、絶対、確実に火を消してください。

無意識で無責任なタバコの吸殻のポイ捨てや、ミネラルウォーターのペットボトルのポイ捨て、ゴミをタルバガンのアナに突っ込んだりってことも、見逃さずにきっちりと処理するように徹底してください。

モンゴル人がぶーぶーいうかもしれないけれど、これはモンゴル国の大自然を守るために、絶対気をつけ、徹底しなければいけないことだと思います。

山火事であちちーというだけでなく、私はまたソガルさんたち、山火事の消火活動のために命を落とした人たちのことを思い出すのです。

ほんのちょっと気をつけて、めんどくさいって思いながらも、徹底することで、防げること。

ペットボトルだってレンズ効果ですんごい発火剤になります。

生ゴミや弁当箱のくずだって、ビニール袋に入れて、穴に突っ込んでおいたら、ガスが発生して、着火する可能性だってあるんです。

焚き火の火の始末は、きちんと灰や燃えさしに水をかけ、シャベルでまぜて、どろどろにし、周囲半径2-4mくらいの地面に手をあてて、熱がないかどうか確かめてみてください。

観光シーズンでヘリコプターも出払っています。
また、先日の15名の命を失ったヘリコプター事故の決着も賠償・保証も、まだ何も解決していません。
ゆえに、ヘリコプターを使っての、空からの消火活動、消化剤を空中からまく、などもできていないようなのです。

最近は、日本の観光パックツアーの中にも、徒歩のトレッキングや乗馬トレッキング、テント泊などの企画も増えているようです。
残念ながらモンゴル人の旅行アテンドスタッフ全員が、アウトドアの達人というわけではない、というのが実感です。

自分に責任ないもーん、というのは簡単だけど、でもやっぱり焚き火を楽しんだ人たち全員、平等に、火の始末をする責任があると自覚してほしいと思います。

私達の会社でやっているトレッキングなどのアウトドア系ツアーでも焚き火はやりますが、その際は、焚き火用の薪の集め方、かまどの作り方、火の起し方、木のくべ方、火加減調整のやり方、そして、焚き火の始末と消火完了の確認のやり方など、焚き火のAtoZをお話しながら、お客さんにも一緒に手伝ってもらいます。
そうすることで、火の使い方を一緒に学びます。

でも、そんな面倒なツアーだと、パックツアーのお客様にはなじまない。
だからこそ、モンゴル人スタッフの教育も必要なんですが・・・ハイシーズンになると、とにかく語学や性格優先で、あまりアウトドアノウハウなど技術面は後回しになりがちなのです。

私はもう二度と、誰かの火の不始末の尻拭いのための消火活動で、貴重な命を失いたくない。
モンゴルのマスコミだって、さんざん、そんな報道をしていたし、大統領だって政府の人たちだって、みんな、そういってたのだから、その言葉の責任を徹底してほしい。

ただでさえ、無責任な森林伐採や家畜頭数と放牧地管理のバランス調整もできなくなってたり、金鉱山などの乱開発で、自然は疲弊し、怒り狂い、人間に対して報復をしかけているのです。

聖なる山「ボグド山」の山頂付近は、今も赤々と燃え続けています。
それは、ウランバートル市民への警鐘だと、私は思います。

楽しいキャンプ、おおいに結構。
でも、火を扱うことを習慣化している地球上の唯一の生物として、我々、人類は、火を正しく使い、自然へのダメージを最小限にしなければいけないと思うのです。

最近は、日本でよく使った「いっとかん」やドラム缶を切ったものの中に薪を入れてやる焚き火、というのが安全だと思うようになり、事情が許す限りは、皆にぶーぶー言われながらも、小型の薪ストーブの煙突を外したものを持っていってます。
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一時帰国を控え、連日の暑さで体調を崩してはならぬ、とお兄さんの喝で心を入れ替えてくれた正吉君が午前中に諸々おいらの用事をこなすために、ドライバーをやってくれてます。
なので、あつーくなってくる日中には、家に帰りうだりながら、水にぬらしたタオルで汗を拭き拭き、お昼寝したり、本を読んだり、、、。
そして、7時過ぎくらいから、テレビをザッピング。

夜9時か10時くらいから、楽しみにしているモンゴル公共放送の「北の国から」までの間、いろいろ民放を見回っております。

そこで発見したのが、UBS(ウランバートル放送)の人気外国ドラマシリーズ枠。
私が大ファンのかっこいいイケテル30代女性・まぶー姐さんのブログで紹介されてた「Dr. HOUSE」がモンゴル語の重ね吹き替えでやっているではあーりませんか!

実は、韓流ドラマもアメリカのTVシリーズも、日本の連ドラも結構、モンゴルで放送されております。
画像がむちゃくちゃ悪かったり、現地のCMがそのまま入っていたりするのは、多分、国外にちらばっているモンゴル人の皆さんがVHSやDVDで録画したものを本国に送ってきたものをTV局が流しているからでしょう。

違法だろうが合法だろうが、視聴者にとっちゃー、しったこっちゃありません。

「冬のソナタ」も「チャングム」も「ホテリア」も、「プリズン・ブレイク」も「24」シリーズも、「Gray's anatomy」も、フジテレビの月9ドラマも、日テレのドラマも、いろんな国の人気ドラマがモンゴル語吹き替えで見れちゃうのです。

しかも、かすかに原語が残っているので、集中すれば同時通訳の訓練にもなります。

うちは、サンサルケーブルというケーブルTVに加入しているのですが、Sansar CartoonとかSansar Movieと呼ばれるチャンネルでは、日本のアニメが日本語のまんまみれちゃいます。

日本ではぜーったい見なかったであろう「NARUTOーナルト」(週刊少年ジャンプで連載していた少年忍者の修行物語)なんかは、日本語でもみれちゃうし、TV8という民放ではすでに第170話まで放映(てか途中からと思われるけど)中、TV5でも先週まで放映してました。
モンゴル語吹き替えが同じ話でも微妙に違うセリフになっていたりするので、DVDの英語字幕を頼りにしたのか、日本語会話からそのままモンゴル語にもってきたのか、など翻訳方法の比較研究もできちゃうすぐれものです。

テレビ漬けになるのはどうか、とも思いますが、正吉君が帰ってくると、なんだかんだと仕事が増えるため、まぁ、独りの時のささやかな娯楽です。

主婦の気持ちがわかってきたような・・・

ただし、共働きが当たり前のモンゴル国では、日本のように主婦向けの「思いっきりテレビ」とか「ごきげんよう」みたいな奥様情報番組はやってません。

最近は、スタジオでのトークもの、討論ものなども増えてきました。

そんなこんなで、もともとテレビっ子(業界で仕事をする前からテレビは大好き。しかも番組ひとつひとつへの思い入れも半端ではない!)な私にとって、ようやく発見した療養生活での楽しみです。

とはいえ、ときどき、あまりの大根役者の吹き替えに内容はわかっても、本格的な面白さを堪能できていないと思うので、日本でできればみたいなぁ、と思ってます。
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