座標。そんなことを今日ふと思いました。私には、私の座標が分かっているつもりです。仕事や社会や友人などの座標軸があり、その関係から自ずと座標が明らかで、かつ安定していると、自分では感じます。しかし現代に於いては、もしかすると多くの人にとって座標は分かりにくくなっているのではないかと。

 

 太平洋の彼岸にある国のように、社会が大きな分断を起こして、座標軸自体がぶれているように見えるケースもあります。日本に於ける昨春もしくは今春の新卒社会人は、自らが属する会社にほとんど出社しなかったり、先輩や上司との繋がりも薄めで、会社の中での自分の位置をしっかり見つめていれば良かった昭和時代とは大きく様変わりし、会社の中でも或いは会社の外に、自ら座標軸を求めてその関係性を見つめていかないと、自分の座標が確認しにくいのではないでしょうか?

 

 やはり昨日も書いたように、この時代は、自主的に自分の位置を決めて、自分で歩いていかないと、簡単に迷ってしまうように感じます。ま、裏から見ると、自由に選択できる時代だとも云えると思います。自主性の重要さを思い知る今日この頃です。