10月1日      <同窓会 その2>
来年の春で高校を卒業してから丸20年になります。そんな訳で久し振りに学年全員集める同窓会をやろうということになり、金曜日の晩に幹事会が開かれました。幹事といってもみんな勝手幹事です。恵比寿に集まりまず決めるべきことを決めて、あとはひたすら飲んでいました。同じ場所を延長して2次会。近くの飲み屋で3次会。恵比寿では土地勘がないということで上野に移動して4次会。最後に始発を待つため空が白むまですし屋で5次会。ビール、ワイン、日本酒、水割り、また日本酒、という流れでした。中学・高校と一緒の男子校でしたから、まぁこんな具合です。しかしそういう時に思うのは、人生はやはり有限であるということです。これからもいろいろな友人はできるでしょうが、「あのような」友人たちはもうこれっきりでしょう。人付き合いにしても、キャリアやビジネスにしても、これから新しく作るものよりも、既にある、既に作ったものを大切に維持したりそこから育てて行くことの方が、少なくとも私にとっては遥かに重要であるということを再確認しました。(そろそろ年でしょうか?)


10月2日    <アカウント・アグリゲーション>
アカウント・アグリゲーション・サービスが今日からいよいよ本格的に始まりました。
http://www.monex.co.jp/free/chip_help/aggregation.html
これはアメリカでは約135万人が使っており、2005年にはアメリカで9000万人が利用するようになるとも言われているもので、日本においてはマネックスが第一号です。インドのタラングという会社と直接共同開発しました。マネックスのHPから新生銀行、富士銀行の預金残高が見えて、マネックスにある株などの資産との合算した金額も計算されます。またセゾン・カードの利用明細も見られて、各月の利用代金の合算も計算されます。言ってみればHP上の家計簿のようなものです。昨日からマネックス《セゾン》カードで全国約2万5000台の郵便局のATMでマネックス口座への入金や出金もできるようになりました。「身近な生活口座」をデザインしてネットワーク時代の個人のための総合金融口座を提供していくマネックスの重要な、そしてマネックスだけのサービスです。これらCMA(キャッシュ・マネージメント・サービス)とアカウント・アグリゲーション・サービスの愛称(まとめてひとつで結構です)を募集したいと思います。下記アドレスまでどしどし御応募下さい。
mailto:ans1@monex.co.jp


10月3日       <赤い月 ファイナル>
赤い月の話はこれが4回目ですが、これが最後になるかも知れません。仲秋の名月は一昨日でしたが、東京ではあいにく天気が悪かったので、替わりに昨晩お月見が行われたようです。夕方に出先から社に戻る時に皇居の乾門の前を通ったのですが、立派な黒塗りの車が警護の車やオートバイを従えて何台か入って行きました。そして皇居の杜のすぐ上にはポッカリと大きな赤い月(十六夜)。早速読者の方から教えて頂いた究極の実験をしてみました。50円玉を取り出し、腕をいっぱいに伸ばしてその穴に月がすっぽりと収まるか確認してみたのです(いつ見てもちょうど収まる大きさに月は見えるそうです)。そういう実験をすることにより月を大きく「見よう」とする錯覚が取れて、月は普通の大きさに見える筈でした。しばらく穴の中に月を見た後に外してみましたがやはり赤くて大きい月でした。更に錯覚が取れるまで穴の中に月を閉じ込めていようかと思ったのですが、そこで気が変わりました。「これっきり赤くて大きい月が見られなくなったらどうしよう。」科学が大好きで科学者になるのが小さい頃の夢でしたが、私にはやはり無理だったようです。


10月4日       <投資の日>
今日は10月4日なので語呂合わせで「証券投資の日」となっており、東証でもセミナーが開かれました。私も第2部「投資単位引下げを考える~証券市場の裾野拡大に向けて~」にパネラーとして参加しました。思えば弊社が上場する際に「無額面化、及び一円割当増資」という手法により、商法上で規定された株式分割する際の一株当たり5万円という純資産の壁を破り、誰でも買えるような投資単位に引き下げたのはまだ1年ちょっと前のことでした。単位株制度の見直しの問題はその後熱を帯びてゆき、「マネックス方式があるから必要ないじゃないか」という議論もあり、「本人が言うから間違いないがマネックス方式の利用は限定的であり抜本的に改正すべきだ」と実際私が関係各省庁等に出向いて話したのはちょうど去年の今頃です。結局「単元株」という形で我々が望んでいたような制度の改正はなされた訳ですが、その実現に我々マネックスの存在と行動が多少なりとも貢献したのだと私は自負しています。これからも個人のための開かれた資本市場・金融サービスの実現のために、微力ではありますが努力を続けていきたいと思います。


10月5日       <閣僚の言葉>
我が国はその国体の基礎については「日本国憲法」を採用して決められているように、経済の基本的な仕組みについては良きにつけ悪しきにつけ(株式)資本主義を採用しています。ところが閣僚がその個人資産について質問されると、「私は株はやってませんから御心配なく」などと言ってしまうことがあります。これはとんでもないことです。私は何も株を買えば必ずいいことがあるとか、全ての人が株を買うべきだとか、そんなことを言おうとしている訳ではありません。しかし国として採用しているシステムを全く支持しないような発言を国の政治を司る人がするのは如何なものかと思うのです。採用されたシステムが機能していないならばそれを認識して直すべきです。システムと現実が大きく離れているならば、システムを変えるか、現実とシステムのギャップを埋める努力をすべきです。


10月9日      <HAL>
私の好きな映画に2001年宇宙の旅があります。映画の中で意思を持ち、ヒトを超えようとするコンピュータが出てきます。ある意味でこのコンピュータが映画の主人公な訳ですが、このコンピュータの名前がHALといいます。HALというのは造語で、よく見るとIBMの各アルファベットが一文字ずつ前に出ています。H-I、A-B、L-M。IBMよりも一歩先の時代をゆくコンピュータという作者の願いからこのように命名されたのでしょう。マネックス(MONEX)という名前の由縁をよく聞かれるのですが、正にアーサー・C・クラークと同じ気持ちです。今までのMONEYの一歩先をゆく新しい時代のマネーをデザインして実現し、そして提案していきたい。マネックスのサービスの内容はいつもこの考えに根差しています。これからも名前に負けないように頑張っていきたいと思います。


10月10日    <体育の日>
1964年の今日、東京オリンピックが開会しました。何でも統計上、一年の中でもっとも天気のいい日を開会式の日に選んだそうです。今でもあるのでしょうか、昔はよく過去数十年間で一番多かった天気(晴れ、曇り、雨などの分類)が書き込まれたカレンダーなどが売られていました。しかしこれってあてになるのでしょうか?流体力学はとても複雑で、例えば今手元にある風船が5分後にどこにあるかを予測するのもほぼ不可能と言われるぐらいいろいろな要素が入り込んでしまうものです。例えば風船を10個次々に空に放すと、たとえ5分後であってもその居場所はバラバラでしょうし、まして一年後(もちろん仮想の話であり、実際には空高く上がり膨張して割れてしまいますが)の居場所など想像もできないでしょう。ところが最も流動的で気ままに見える空気や水分の流れによって決まる天気だけは規則性があるのでしょうか?あたかも量子論のようにミクロの世界ではバラバラであてにならないものが、マクロなスケールでは来るべきタイミングに来るべく天気が実際来るのでしょうか。あいにく今日の東京は大雨ですが。


10月11日    <期待値の形成>
最近の日本の経済政策は、悪くなる時にどうやってそのダメージを最小限に食い止めるか、というような後ろ向きの議論になりがちな気がします。良くなる時は放っておいてもいいので、悪い時の対処を考えるのが政治家の責任であるという考え方もあるようです。確かにそうかも知れません。しかし私はちょっと違う見解を持っています。国の景気・経済の行方の期待値は、「悪くなる確率×悪い幅+良くなる確率×良い幅」と表される筈です。この期待値がプラスであれば人々は景気の行方にコンフィデンス、自信を持ち、結果経済と株式市場の回復に資することとなるでしょう。悪いことばかり考えていると、国会でも新聞紙面でも期待値をマイナスに引っ張ってばかりで、実際に失速してしまいます。これだけ景気が悪くなり、株式市場も下がれば、ここからの期待値はそんなに悪くない筈です。「良くなる時にどれだけそのジャンプの幅を大きくするか」という議論がもっとなされることを期待します。


10月12日       <月>
英語で「ルナー(lunar)」は「月の」という意味で、「ルナティック(lunatic)」は「狂人」とか「精神異常の」という意味になります。ラテン語が語源で、月から発する霊気にあたると気が狂うと考えられていたそうです。ピンク・フロイドの歌にも「ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン」という狂気を題材にした歌があります。いつも同じ面だけを見せて裏側(ダーク・サイド)を決して見せないというのがどこか狂おしいのでしょうか。片や日本においては月ではウサギが餅つきをしていたり、かぐや姫が帰っていったりで平和この上ありません。あまり詳しくないので間違っているかも知れませんが中国でも月は美しかったり知人を思い出すものであっても狂気じみたものとは捉えられて来なかったのではないでしょうか。これだけ大きな自然の存在をこれだけ違って見て来たというのも面白いと思います。月は太陽に対する「陰」ですから、陰翳礼賛の国と彼の国ではこうも違うものでしょうか。そしてその月の裏側を見たことがあるのは数人のアポロ(太陽の神)の飛行士だけであるというのも、なんか不思議ですね。


10月15日       <株価と風船>
何度か書いているように流体力学は大変複雑で不確定要素が多く、いま手を離れた風船が5分後にどこにあるのかも特定できません。宇宙船が太陽系の惑星をほぼ全て探索できるこの時代においてもです。株価の動きもどこか似たところがあります。分子の不確定な動きに似た面があり、実際株価の動きを数学的に解析したオプションの公式「ブラック・ショールズ・モデル」は熱力学の公式を使っています。株を売買する投資家が不特定多数であり、それぞれがランダムな動きをするからでしょうか。然しながら風船の行方はいつまでたっても捉えどこらがなく方向性が定まりませんが、株価はいつまでもバラバラにランダムに動く訳ではなく、長期的に見ると強い方向性、トレンドがあります。面白いですね。これは人々は短期的には予想のつかない、或いは全体として統制のないバラバラな行動を取るが、長い目で見ると経済や生活の向上とか、より良い国家の構築という強く方向付けられた意思があるからでしょうか。


10月16日     <製造技術>
ちょっと前のニュースですが、気になったものにハードディスクの製造技術に関するものがありました。東芝が開発したもので、今迄のノートパソコンに入れるようなサイズで500ギガ、500円玉程度の大きさでも25ギガの記憶容量があるというものです。オプティカル系とか、容量の点でHDの限界を超えるような媒体の開発が進んできましたが、元々ハードディスクは速さでは一番ですからもしこれが本当に実用化されるならば便利さでは一番でしょう。このように古い技術の洗練を進めて新しい技術に事実上(少なくとも一時的には)打ち勝ってしまうようなことは、新技術の発明と等しく価値があり面白いことだと思います。500円玉サイズなら携帯電話にも使えます。日本は既にあるものの性能を更に丹念に磨いていったり、不可能といわれるようなサイズを実現して行くのが得意ですが、そういったところに真のIT化のきっかけがあるかも知れませんね。


10月17日        <複利>
あのアインシュタイン博士が20世紀最大の発見は?と聞かれた時に、相対性理論と言わずに「複利」と答えた(らしい)のは有名な話です。一般に複利の話をする時は毎年10%で20年間運用したらいくらになるでしょう、というように増加する方向を例に取ります。しかし複利はもちろん減少の方向にも同じように驚くべき発見があります。金融資産の運用を5%のコストを払いながら20年間続けるか(一部の生命保険とかはその部類に入るでしょうか)、0.1%の手数料で続けるか(弊社における株式売買のように)では大きく違います。0.95の20乗は0.36、何と64%も目減りしてしまいます。片や0.999の20乗は0.98、たったの2%しか目減りしません(もちろん実際には税金の効果とかを考えなければいけませんが)。ビックリですね。


10月18日         <高知>
明後日の土曜日、高知に行きます。県主催のヤングベンチャー2001というイベントに参加するためです。高知には4年半前に一回だけ行ったことがあります。マニュアルシフトの車に一人乗り、各地のお城を巡りながら高知を目指しました。初日は名古屋城に寄った後、京都で一泊。2日目は彦根城、姫路城などを寄った後に本四連絡橋を渡って丸亀城に上り、日が暮れるちょっと前に高知市に着きました。その頃は司馬遼太郎の本に凝っていて、歴史を辿りながらお城を見たいと思ったのですが、土佐24万石、山内容堂の高知城は是非寄りたいお城でした。あいにく夜は閉まっていて拝観できなく、街の飲み屋で一人飲んだ後に一泊しました。翌朝一気に東京に帰ることにしたので、早朝に桂浜に寄り、高知城はすぐ近くまで行ったのですが朝早くて中には入れず、残念なことにそのまま帰って来ました。「隠されると見たくなる」といった人間の心理は正にその通りで、未だに強い心残りがあります。今度こそしっかり中まで見たいなと思っています。(でも恐らく時間がなくてまた見られないのでしょう)


10月19日    <高知 その2>
確か司馬遼太郎だったと思いますが、今のいわゆる「標準語」は江戸語というか東京語ではなく、全国からいろいろな言葉を寄せ集めてきて作った人工語だといいます。その際明治政府は、欧米の先進国と渡り合って行くためには論理的な議論が出来なくてはダメで、そのためには議論をするのに、或いは論理的な思考をするのに相応しい言葉があると考えたそうです。要は丸い言葉よりも四角い言葉の方がいいと思ったのでしょうか。当時標準語制作プロジェクトの人が土佐の街に出掛けて、こっちのテーブルでもあっちのテーブルでもみんなお酒を飲みながら快活に歯切れのいい言葉でいろいろな議論を戦わせていたのを聞いて、土佐の言葉を標準語に大きく採用したといいます。そして明治初期の中央政府に任命された国語教師は高知の人が多かったといいます。本当でしょうか?


10月22日    <高知 その3>
高知の話は今日で一旦おしまいです。土曜の晩は高知にいたのですが、土地によってお酒の飲み方も違います。皆、席に着いての食事は早々に切り上げ、というか急いで食べ物はお腹に詰め、杯とお銚子を持ってテーブルを回り始める。献杯といって相手に杯を差し出して酒をつぎ、それを受けた人はそのお返しをする。そしてそれが何度も何度も繰り返される。皆テーブルの脇の畳の上で、テーブル越しよりもずっと近くに寄って座り、ちょっと小さ目の杯を次々に交わし、これまたちょっと小さめのお銚子をどんどん開けていく。そして仲居さんはどんどんお銚子をまとめて運んでくる、といった躍動感溢れる雰囲気の中で楽しく飲んで話すのでした。私は常々各地の酒はその土地の食べ物と一緒に食べると一番おいしいと思っています。例えば北陸のお酒の中にはそれだけ飲むと甘すぎてちょっと頂けないものが、甘えびとかいかとか、新鮮で甘くておいしい御当地のネタをつまみに飲むと最高のものがあります。この様にお酒は土地柄に合わせて造られているのでしょう。飲み方も然り、その土地の人柄が濃く反映すると思います。献杯の続く夜は温かくて楽しい触れ合いでした。


10月23日     <日本の競争力>
今週末からダボスで有名な世界経済フォーラムのアジア大会が香港で開かれ、私もパネリストとして参加します。この世界経済フォーラムが先週発表したレポートによるとなんと日本の国際成長競争力は昨年の20位から更に21位に落ちたとのことです。1位は情報技術力の進歩や開放度の高さからフィンランドが選ばれました。代表的な企業にはノキアなどがあります。2位以下は順に、アメリカ、カナダ、シンガポール、オーストラリア、ノルウェー、台湾、オランダ、スウェーデン、ニュージーランド、アイルランド、イギリス、香港、デンマーク、スイス、アイスランド、ドイツ、オーストリア、ベルギー、フランス。随分落ちたなぁという感想があります。必ずしも先進国や大国の競争力が相対的に落ちてきている訳ではなく、2位のアメリカを始め皆日本よりも上位にあります。日本はいつまでも大国とは限りません。技術を磨き、金融を復活させ、国際社会に対してもっとオープンに臨まなければいけません。我が国は今、『努力』をしなければどんどん国際社会の中で沈下して行く状態にあることをもっと自覚しなければいけないと思います。


10月24日    <個人投資家>
「個人投資家を増やすにはどうしたらいいか。」そういったことが政府や国会の中でも議論されます。マスコミもよくそういったことを書きます。しかし私はこの考え方、或いは言い方自体に若干の問題があると思っています。「個人投資家を増やす」と言うと、今までリスクを取っていなかった人達にも投資家としてリスクを取ってもらおうというように聞こえますが、実際にはいわゆる「個人投資家」として株を直接持っていなくても、年金や税金の仕組みを通して基本的に納税者全員が株のリスクを負っています。つまり日本の株式市場が下がると、直接株を持っていない、「いわゆる個人投資家」でなくても、年金資産の目減りや、風が吹くと桶屋が儲かる的に、特定の金融機関が破綻しその救済のための公的資金の投入を通して税金を余計に払う、といった形でその人の財産は減少します。会社には親会社はあっても、国には親国はありません。極論を言うと資本主義国家においては、全員が個人投資家であり、「直接投資家」であるか「間接投資家」の違いだけだと思います。その部分について政治家もマスコミもそして我々ももっと自覚を持つべきだと思います。


10月25日      <株を持ってない取締役>
昨日のつぶやきの続編です。もしある会社の経営者や取締役が、誰もその会社の株を持っていなかったら皆さんはどう思われますか?少なくとも株主や債権者だったらちょっと心配ですよね。コーポレート・ジャパンの経営者・取締役は総理大臣と閣僚、株主はいわゆる個人投資家(昨日のつぶやきで言うところの直接投資家)、債権者はその他国民全員(同じく間接投資家)と言うことが出来ます。(勿論ちょっと無理もある極論だとは承知していますが、根本は間違ってないと思います。)会社が倒産すれば、株主だけでなく、債権者も被害をこうむります。ここから先は冗談ですが、政治家の給料を日経平均連動にしたら、何か変わるでしょうか。少なくとも一部の利益を守って利権を得るよりも、国の経済の(ほぼ)全体を改善しようと動機付けられるので、少しはいい効果があるように思われます。


10月26日       <独立性>
もしここに特別なコインがあり、表と裏の出る確率が違うとします。表が出れば勝ちとして、表の出る確率が50%よりも低いのにそれでも「勝とう」とする時は、大きな掛け金を賭けて一発勝負をするでしょう。逆に表の出る確率が50%よりも高い場合には、小さな掛け金でなるべく多くの回数コインを投げる方が得です。経営も似たところがあるのではないでしょうか。50%よりも低い確率で経営判断が出来ない場合は、そもそも経営すべきではないでしょう。しかし50%よりも高い確率で経営判断できる場合、これはちゃんとした経営者であれば本来当然のことなのですが、その場合は何度でも迅速に判断できる方が得です。経営の独立性が重要である、というのは正にこの意味においてだと思っています。


10月29日      <小規模発電所>
アメリカのエネルギー会社大手のエンロンが、帝人と共同で松山に小規模発電所を作るそうです。発電出力は僅か7万キロワット。これは中々興味深い動きです。エンロンは数百万キロワット級の発電所も各地に作る計画があるそうですが、電力供給の将来図は大規模発電所ではなく、数多くの小規模発電所かも知れません。何故なら電気は蓄えることと送ること(送電)が、もっとも効率が悪くてコストの掛かることであるからです。余計に作って蓄電してもどんどん放電していきますし、送電中もかなりのロスがある筈です。メインフレームの大型コンピュータから分散系のユニックスに移行してきたように、電力の世界も変わって行くでしょう。地球全体のエントロピーの増大も抑える方向のこのような動きは、ビジネスとしても環境保全としても意義の深いことだと思います。


10月30日       <放流計画>
ダボスで有名な世界経済フォーラムの東アジア・サミット(@香港)に出席しています。パネルでスピーチなどもしたのですが、このような会議に出ていつも思うことは、パネラー、傍聴者、マスコミ、全ての面において日本人の参加が乏しいことです。人数はそうでもないのですが、発言や積極的な参加が極めて限定的です。何も参加することが即ちいいことではないのですが、一世界市民としてもう少し変わってもいいのではないでしょうか。恐らく一番大きな理由は、言葉の問題と議論するルール(プロトコール)に不慣れなことでしょう。このようなコミュニケーションの欠落による損失は、ビジネスでも政治の面でも甚大な筈です。一つ案があります。日本の高校生か大学生を大々的に留学させる制度を作ってはどうでしょか。一人あたり年間200万円掛かるとして、1万人で200億円です。国家予算からしてみれば何でもないでしょう。日本の教育を受けた上で、例えば英語とアメリカ流の議論の仕方に慣れる。そのまま帰らない学生もいるでしょうが、多くはいずれ戻ってくるでしょう。言うなれば日本学生の大放流計画。安くて、かつ少なくともある程度の効果が明らかに期待できる案だと思うのですが。


10月31日    <プロフェッショナリズム>
プロ野球のマスターズリーグが明日開幕します。OBばかりが約200人集まり、5球団に分かれて来年の1月まで計40試合をこなします。平均年齢は46歳。今朝の日経新聞(スポーツ面)によると、マサカリ投法で有名だった村田兆治選手(51歳)は今でも毎日トレーニングをして、体型も140キロの速球も維持しているそうです。「ロッテのエースとしてのイメージを壊してはならない。」「子供たちに野球を教える時に実際に手本を見せられなければならない。」自意識過剰とも、自己満足とも言えるかも知れません。しかしプロとしての矜恃は、美しく心を打つものがあります。プロの世界はスポーツの世界に限られた訳ではありません。どんな仕事をするときも、プライドは持っていたいと思います。しかし醜いプライドと美しいプライドの違いはどこにあるのでしょうか?