RCサクセションの忌野清志郎さんが亡くなりました。こんな云い方をすると誤解されるかも知れませんが、そのこと自体に違和感やショックは感じませんでした。癌で闘病していた訳ですし、彼の歌には昔から「死」を予感させるものがあります(「ヒッピーに捧ぐ」「ラブ・ミー・テンダー」など)。

 それよりもマスコミの対応に違和感を感じました。私のイメージでは清志郎はメジャーじゃなかったし、とても強いマイナーな存在で、マスコミに関しては「○○食らえ」のような感じだったと思うのですが、ひとたび亡くなると、何でもかんでも大きく、聞こえ良く、通り一遍の報道をするマスコミに、ちょっと抵抗を感じました。

 私の好きな表現者は、早死にする傾向があるようです。寺山修司47歳、坂口安吾48歳、萩原朔太郎55歳、そして忌野清志郎58歳。こうして見ると、案外長生きの方だったのかも知れません。

 みんなとっても繊細で、その細やかさは、その気持ちを想像するだけで泣き出しそうになってしまうほどで、信じたい気持ち、恋い焦がれる気持ちと、純粋がゆえに拒絶する気持ちが混ざり、しかしどこまでもどこまでも純粋で求めていて、朔太郎は少し違うかも知れませんが、体制を疑い、嫌い、極めて独特の、しかし分かり易い表現を使い、そして偽悪者と云うか悪ぶるところがある。

 清志郎の歌は、男性の思春期性を痛々しいほどに歌うところから始まり、やがて大人の男となり、天才的な詞をしばし書き、そして体制に真っ向から反発した。やはり寺山修司に共通する点が多いように思います。

 人の死には、様々な人が、それぞれの感じ方をします。いや、「死」に何かを感じるのではなく、死をきっかけとして、その人の生き様をどう感じるか・考えるかを再認識するのでしょう。安吾・寺山・清志郎。生き方・考え方に関して、私が多くの影響を受け、或いは共感した三人です。

 彼らが死んでいるかどうかは、あまり関係がない気がします。それよりもどう生きるかが、大きな問題ですね。