2001-05-01 00:00:00

2001年5月分のつぶやき

テーマ:ブログ

5月1日      <うるか>
うるかって御存知ですか?私の酒好きは二升飲みだった私の母方の祖父からの遺伝がもっとも強いようなのですが、彼は富山県高岡市の人で、庄川や神通川で鮎釣りを楽しむ釣り人でもありました。と言っても実際には鮎を釣るという行為自体よりも、場所を見つけたり、餌や仕掛けを作るのが得意だったようです。一場所、二餌、三仕掛け、と言いますから、まぁ本格派の釣り師だったのかも知れません。料理と一緒で、釣るよりもその前の準備の方が大切なのでしょうが、彼の場合にはもう一つ大切な仕事が釣りのあとにあったようです。鮎のはらわたや子で塩漬けを作ることです。これを「うるか」といい、日本酒に滅法合う、中々手に入らない珍味です。からすみでもなく、いかの塩辛でもなく、うるかはうるかです。詳しくは知らないのですが、秋に漬けて、今頃から食べられるのでしょうか。本来はその年の間に食べるのでしょうが、昔うっかり冷蔵庫の奥に数年放ったらかしにして置いたものを見つけて食べてみたことがありますが、これはこれでやたら美味かったのを覚えています。釣りが好きで結果としてうるかを作っていたのか。酒が好きで、その最上のつまみを自ら作るために場所を探して、餌を作り、鮎を釣っていたのか。今ではもう分かりません。


5月2日        <宇宙の光>
宇宙から飛んで来る光を分析して、宇宙の起源の仕組みや、宇宙の年令、大きさなどが研究されて来ました。そしてその研究の前提として、宇宙にある光は全て宇宙の中にある銀河や星から発せられたものであると考えられて来たらしいのですが、その前提がひっくり返るかも知れないそうです。東大と国立天文台の共同グループが宇宙の全銀河の発する光の約95%を捕捉したけれども、それは宇宙全体で観測される光の2分の1にも満たないというのです。何やら雲を掴むような話ですが、未知の発光源や宇宙の起源の前の光の存在など、いろいろなことが考えられ得るそうです。なんのこっちゃ、といった感もあります。前提が崩れると、全ての研究や努力が無駄になります。しかし一方、ある一定の方向にまず一旦突き進まないと、その方向が合っているか間違っているかも分からないといった面もあるでしょう。大切なのは「方向性」を明らかにし、しかしきちんとその検証を忘れず、間違っていれば方向を修正するということでしょう。政治も含めた人の営みも、もっと自然科学的であるべきでしょうか。


5月7日      <英語>
マネックスは海外のメディアに取り上げられることも多くあるのですが、外国語(母国語でなく、かつその国で暮らしたこともない場合)というのは中々厄介な代物です。私も米系の会社に就職したのが早14年前のことですから、今ではそれなりに英語は使えます。しかし英語で話していると、説明している自分の知識や考え方について、「相手は本当に理解しているのだろうか?」とか、「言いたいことの7割ぐらいしか表現できていない」と思うことがママあります。そこでその懸念を表明すると相手は決まって、「そんなことはない。おまえの英語はとても上手だ。おまえの言いたいことは100%分かるよ。」と言います。私の言い切れなかった30%の部分を相手が演繹してくれたり、或いは少なくともあと30%は表現できていない部分があるのだと認識してくれればいいのですが、私の70%をもって、私の100%だと思われては心外です。私の30%はどこへ行ってしまったのでしょうか?これは大問題です。このような問題が存在することの認識が英語を母国語とする人たちには薄かったり無かったりする場合もありますし、そもそも理解してくれない場合もあります。真のグローバリゼーションにはまだまだ道程は長いのでしょうか。


5月8日      <所信表明>
小泉首相の所信表明演説を昨晩夕刊でゆっくりと読みました。私は元来政治にはあまり興味もなく、所信表明演説はもとより、日本の政治家の書いたことをしっかりと読んだのは恐らくこれが生まれて初めてです。なのでそもそも比較することはできないのですが、期待を超えた内容でした。諸策の具体的な内容についてとやかくは言いません。騙されているだけかも知れません。誰かが彼のために書いただけかも知れません。しかし変革に対する決意と、その内容を明確に国民に対して説明し、その牽制を受けようとする熱意が伝わって来ました。結果よりも、そのような新しいルールを作って行くことに価値があると思います。これが嘘ではなく、またいろいろなしがらみや圧力の中で潰されないのを願うのみです。


5月9日       <録音技師>
私は音楽は何でも聞くのですが、つまりクラシックからロック、演歌から歌謡曲まで、とにかく真の雑食なのですが、中でも一時期かなり深く聞き込んだのが50年代のジャズです。いわゆるビ・バップというあたりです。大学生の頃に一番漁っていましたが、とにかくお金があればお酒を飲むかジャズのレコードを買うかといった時期がありました。安く多く聴こうとすると中古レコード屋とか、大学の生協での試聴盤も含めたどこか怪しげな処分品にも手を出します。実際レーベルが白い非売品も何故か随分持っています。そういう買い方をすると、なくなる前に安く買わなければという気持ちが迫り出して来て、耳にしたことのない作品や、聞いたこともないプレーヤーのものも買いたくなります。そういう時に一つ頼りにしていたのがルディー・ヴァン・ゲルダーという録音技師です。プレステージとかブルーノート、或いはマイナーなレーベルなど、複数のレーベルで多数録音しているのですが、彼の録音したものはほぼ間違いなく秀作でした。演奏や指揮する訳でもなく、作曲・編曲する訳でもなく、ただ単に受け身で録音するだけの筈なのですが、どれもどこか共通する味と、高い水準が守られていました。仕事を選んでいたのか、演奏者が彼を指名したのか。いわば触媒でしかあり得ない録音技師の参加が、作品をピリリとさせていました。私の考える理想の金融サービスとは、彼のような触媒のプロの仕事と基本的に同様な気がします。


5月10日       <栗>
栗の季語は秋ですが、今頃からその存在を主張し始めます。今日名古屋の大学で講演をしたのですが、そのキャンパスに栗の花穂(かすい)の匂いが漂っていました。東京では6月頃にならないとあの匂いは嗅ぎませんので、やはり東京と名古屋でもそれなりに緯度の違いの影響があるのでしょう。その匂いに促されるように辺りを見回すと、木々の緑もやはり東京よりも一歩進んだ若々しさがありました。梅雨、夏ももうすぐそこまで来ているのですね。以前にもつぶやいたことがありますが、新しい季節の到来やその予感にハッと気付かされるのは、やはりいつも香りか音であって、視覚ではありません。情報化時代でいろいろな情報や映像が氾濫しているために、相対的に視覚が刺激に対して鈍くなっているのでしょうか?それとも嗅覚・聴覚によって季節の訪れを知るのは古今・新古今からの日本の伝統なのでしょうか?そんなことをふと考えてみました。



5月11日       <電源>
最近新幹線で出張することが多かったのですが、車内でPCを使って仕事をするので、電源が無いことに困ってしまいます。結局訪問先でミーティング中に電気を分けてもらったりとか(要は失礼しますと言ってカバンからニョキッとACアダプターの電線を取り出して部屋の隅のコンセントに差して充電したりとか)、必要に迫られると駅の構内などで盗電まがいのことをしてしまうこともあります。アメリカではアムトラックなどでは窓の下に格好悪く一本の長いレールが後付けで付けてあり、それが実はコンセント・レールで、各席の横のところにコンセントの穴が空いていて誰でも使えるようになっています。便利ですね。インターネットというネットワークがくるっと円を描いて初めて完成したネットワークであるように、モバイル環境も電波の部分だけでなく、もっと電源のような足回りも配慮してくれるといいですね。


5月14日    <きんぴら、こんぴら、てんぷら>
似たような言葉でも語源が違うものがあります。「きんぴらごぼう」のきんぴらと、「こんぴらふねふね」のこんぴらはてっきり同じ語源かと思いましたら全く違って、きんぴらは浄瑠璃の主人公「金平」でとても強い男子であり、きんぴらごぼうが強精作用があると思われていたのでその名が付いたそうで、こんぴらは「金毘羅」ですが、仏法の守護神の一つであるワニが神格化されたものの梵語での読みの宛て字だそうです。更にはてんぷらも似たような音ですが、語源はポルトガル語で神聖な時間とか或いは調味料という意味の言葉の読みの宛て字だそうです。面白いですね。外来語はカタカナでという原則が守られていれば、きんぴらでなく「金平」、金毘羅でなく「コンピラ」、天ぷらでなく「テンプラ」と書かれていれば誤解しなかったかも知れません。表記の力は恐いですね。


5月15日     <一円玉>
会社の近くの神田の薬局で買い物をしたら、レジの横に小さな箱が置いてあり、一円玉が10から20枚ほど入っていました。ですから全部で10円か20円です。箱の上には小さな紙が貼ってあって、「一円玉が足りない時にお使い下さい。使った額はまた今度お買い上げされた時にでも返して下さい。」と書いてありました。私の買い物は何千何百何十2円で、一円玉を1枚も持っていなかったのでありがたく2枚使わせてもらいました。今度買い物をした時にきっと返します。その時にまた一円玉を持っていなかったら、今度はちゃんと一円玉でお釣りをもらって余計に返すこともできます。こんな余裕っていいですよね。文化は余裕や余剰の隙間に生まれるとか言いますけど、ちょっとしたバッファーが多くのことをスムーズに回せることが良くあります。システム然り、人間関係然り、居住スペース然り。投資もやはり余裕をもってするのが一番だと思います。


5月16日    <空の色>
空の色がなぜ青いか。夕焼け空がなぜ赤いか。これは以前につぶやきで書いたことがありますが、要は空に散った細かい粒子に波長の短い光(青)が衝突して散らばるから空は青く、大気圏を通過する距離が長い夕陽の光は波長の長い赤だけが地上に到達するからです。ということは空に浮遊する粒子の大きさ如何によっては、青か赤というスペクトラムの両端以外の色もあり得るのでしょうか?今日私は仕事で東京を離れていて見ていないのですが、社員からのメールによると東京は土砂降りの変な天気で空が緑色だと言っていました。本当かしら?でも理屈ではありそうです。黄砂による黄色い空は小さい時に東京でも見たことがありますが、緑色の空を見逃したのは残念です。でも青空が一番ですけどね。

5月17日    <アメリカの学生>
今日、アメリカの西海岸にある大学のビジネス・スクールの学生が40人ほどマネックスに来ました。マネックスの従業員よりも多い人数ですから、当然中に入れる由もなく、同じビルの他の会社の大会議室を借りてお相手しました。大型バスで乗りつけ、男性も女性もダーク・スーツで身を固め、人種的には混合、平均年齢は28ぐらいかなといった感じでした。予め私から出してあったテーマについての彼らの研究の結果を聞き、その後私からマネックスのビジネス・モデルを説明したり、オンライン証券の戦略についていろいろとディスカッションしました。彼らの薦める戦略がどうもハイ・エンド・ユーザー寄りに偏っている気がしたので、「この中で株のトレードをしているのはどのくらいいるんだ?」と聞いたら9割方の学生が手を挙げ、「オンライン証券は?」と聞くとほぼ全員が手を下ろしませんでした。日本とは全く状況が違います。経験や背景の違いをしっかりと認識しないで議論をするのは危険だねと言っておきました。


5月18日    <日本の学生>
昨日はアメリカの大学院生に会いましたが、今日は日本の大学院で講義をしました。実は知り合いに頼まれたりで2つの国立大学と1つの私立大学で非常勤講師をしています。全部合わせても平均で1月に1回講義がある程度なのですが、教室やキャンパスで最近の若い人の文化というか流行、日常生活、雰囲気を感じることができて割と楽しみにしています。今日は昨日と同じ質問、「この中で株の取引をしている人はいますか?」を聞いてみました。150人ほど入る教室は満席だったのですが、手を挙げた人は1人だけでした。株に興味がある人は?という質問でもせいぜい10人程度でした。やはりアメリカと日本では随分違います。しかし逆に言うとアメリカではあと10%しか成長の余地のない一方(9割の学生が手を挙げましたから)、日本では99%の可能性があるとも言えます。何事も裏と表と二通りの見方が出来ますね。


5月21日        <ヘッジ>
今夕からミニ株開始です。実は昨晩テスト用にいくつかミニ株のオーダーを入れました。その結果今朝の寄り付きでマネックスの自己ポジションが発生しました。つまりお客様が10分の2単位ミニ株を購入すると、証券会社としては1単位取引所に買いに行くので、差分の10分の8単位がマネックスとして買い持ちのポジションになる訳です。そこからマーケットが上がれば儲かりますし、下がれば損が出ます。そのようなポジションから発生する損益のブレを抑える為の行為を「ヘッジ」と言います。ミニ株のヘッジの手段は決め手がありません。マーケットが上がるか下がるかは半々の確率の筈ですから(これをリスクが対称形をしていると言います)、乱暴に言うと一切ヘッジをしなくても理論的な期待損益はゼロの筈です。しかしそうすると損益のブレが激しくなります。個人投資家の投資判断がマーケット全体(これは機関投資家を含みます)よりも賢いと仮定すると、個人投資家と同じ方向で発生したミニ株銘柄の買い持ちポジションに対して、全体のエクスポージャーを日経平均指数(もしくはTOPIX)で売りヘッジを掛ければ、買い持ちポジションから上がる益の方がヘッジから発生する損よりも大きいか、買い持ちポジションから発生する損よりもヘッジから発生する益の方が大きくなり、結果としてマネックスとしては損益のブレを低く抑えつつ、ヘッジによって利益を上げることもできます。本当にそううまく行くでしょうか?個人投資家の皆さんと運命共同体ですね。


5月22日     <トレーディング>
昨日からミニ株サービスを始めたので、その結果として発生するマネックスの自己ポジションについて「ヘッジ」を始めました。これは昨日のつぶやきにも書いた通りです。ヘッジ(損益のブレを抑える為の行為)もスペキュレーション(投機)もトレーディングには変わりありません。かつて(債券や金利スワップなどでしたが)10年間ほどトレーディングをして来た私としては、やはり何か楽しいものです。「勝手知ったる」といった所でしょうか。ミニ株のヘッジの運用は、しっかりとした規則というかマニュアルを早々に確立して、あとは淡々とそれを実行することになるでしょう。短期間での成績の優劣は運や個性がありますが、長期にわたる成績となるとやはり「スタイル」の確立とその堅持が重要です。これは麻雀などとも一緒ですね。そうなるとどれだけ正しいスタイルを初期に確立するかが、後々になって大きく誇張されることとなります。トレーディングだけでなく投資もやはりコンスタントな正しいスタイルが大切だと思います。


5月23日      <トレーダーのお仕事>
今日はミニ株のヘッジをする「トレーダー」を社内で決め、彼らと一緒にトレーダー会議を開きました。トレーディング経験者1名、未経験者1名です。トレーダーにとって何が一番大切かについて話しました。一番大切なのは、現在どのようなポジションを持っていて、どのようなリスクを持っているかを常に極めて正確に把握していることだと思います。即ちベストのヘッジを提案するとか、マーケットが上がるか下がるかを言い当てることとかよりも、自己ポジションの現況を知る事の方が大切なのです。自分の居場所を知らなければ、どこに行くこともできません。かつてトレーディングの責任者に英語で「ハウ・ドゥ・ユー・スタンド(立つ)?」などとよく聞かれたものです。このことは恐らくトレーダーの仕事に限ったことではないでしょう。全ての作用は、まず最初に現状を認識することを怠ると、その効果が出なかったり間違った方向に結果が出たりすると思います。


5月24日     <ハンセン病訴訟>
ハンセン病訴訟につき、国は控訴しないことを決めました。今朝早く起きて新聞を読み、心を打たれました。先人の犯した過ち。法律の柔軟性の欠ける所。行政の経緯や立場。そのような様々な障害を超えて、実体に目を向けた超法規的な政治判断を下したことはとても尊いことだと思います。無謬性を標榜して来た国が、自らの行為の瑕疵を認めたことも画期的だと思います。何よりも、一国民として極めてまっとうな判断をし、それを貫いた勇気は素晴らしいことだと思います。今日は小泉首相の決断に敬意を表して、つぶやきにしたいと思います。


5月25日      <光スイッチ>
NTTがテラビット級の光スイッチ・ルータを開発したらしい。光ファイバーを走る光信号を今までは一旦電気信号に変えてから半導体回路内で向きを変え、再び光に戻して送り出すことによって経路の変換をしていた所、このスイッチによって光のまま向きを変えられるようになり、結果今までの方法より飛躍的に信頼性と容量・速度が高まるそうです。何やら難しい話ですが、要は高速道路が交差する時に、片や一旦一般道に降りて信号を曲ってまた高速に乗り直す方式と、例のリボンを二つ逆さに重ね合わせたような形のインターチェンジを作り、高速道路のまま信号もなく、スムースに方向転換して合流する方式との違いでしょう。感覚的にもこれは確かにとても大きな違いのように思えます。このように地味だけれども極めて重要な分野で日本は実は凄い技術を持っていたりします。もっともっと頑張って欲しいですね。


5月28日      <感動>
千秋楽は良かったですね。生憎外に出ていたのであとからニュースでしか見られなかったのですが、横綱の前日からの経緯と決意、そして優勝決定戦で勝った時のあの鬼のような顔。更に首相の朴訥(ぼくとつ)とした言葉。「痛いのを我慢して、よく頑張った。感動した。おめでとう。」
日本一強い男に対して、日本の政治の責任者からのなまの祝辞。そして場内の歓声。いや中々のショウでした。私は涙腺が弱くてすぐに感動してしまうのですが、人を感動させるものとはなんでしょう?たしか安吾が日本文化私観で書いていたと思いますが、とにかく速く走るためだけに作られたレーシング・バイクは、たとえ見た目はいろいろな機械が剥き出しに交差したりしていて醜くても、やはり見る者の心を打つ。贅肉を削ぎ落とした目的を持った存在自体に感動がある。文学も同様で人を感動させるために何かを装飾して書くのではなく、感動的な人生や思想を持っていれば、それが隠そうとしても文章に滲み出て心を打つのだ、というようなこと、感動は目的ではなく結果であるというような、そんなことを安吾は書いていたと思います。人を感動させるような、そんな仕事を我々も出来ればと思います。


5月29日      <費差、死差、利差>
さて何のことでしょう?金融庁は生保の実体に初めてメスを入れました。運用が逆鞘なので予定利率を引き下げたいという議論が最近なされており、その前にコストの構造を明らかにすべきではないかという話を以前にもつぶやきましたが、まさにその部分について明らかになって来ました。生保業界全体で、99年度の利差、即ち運用差損は約1兆4千億円。費差益、死差益は併せると約3兆7千億円でした。利差はまだ何のことだか分かりますが、費差、死差とは何でしょう?どうやら費差というのは、予め予想していた費用(そしてそれは保険料にチャージされる訳ですが)と実際の費用の差、死差益というのは、予め予想していた死亡率(これも同様に保険料にチャージされる訳ですが)よりも死亡率が低いために儲かったお金のことのようです。要は余計に費用を見込んだり、死亡率を高く見積もることによって多く保険料を取っていたということでしょうか?そして運用の逆鞘を埋めるために、これらの見積もりの見直しをする前に、予定利率を引き下げようとしているのでしょうか?かなり問題があるように私には見えるのですが、何か見落としているのでしょうか?


5月30日     <首都高速>
東京の街の中心部は首都高速道路が幅をきかしています。どうしてこれだけ密に高速道路が重要な地域のビルの間を縫えたのでしょうか?よく見ると首都高速道路はその多くの部分がかつての水路の上を通っていて、未だにその下には川が流れていて多くの橋が残っています。かつて首都高速道路の計画を立てている時に、「一体どこに建設するのだ?」という質問に対して、東京都のある役人が「江戸時代からある水路の上に建てれば土地を収用する必要もないし簡単である」と提案した結果であるそうです。江戸は水路の巡る美しい街でしたが、こうしてその景観は一瞬の内に変わって行ったそうです。勿論私はかつての街並みを知りませんが、タクシーに乗っている時などに、昔のままに残っていれば良かったなと思うことがママありました。しかし最近思うのですが、逆にもし首都高速が水路の上に建設されていなければ、今頃東京の中心部の全ての水路は暗渠となり、橋もなくなり、かつての面影はどこにも探せなくなっていたかも知れません。ある原因が、思わぬ結果に到ることはよくあるものです。


5月31日        <売買単位>
今朝の新聞によるとニッポン放送の株主が上場基準の600人を割ってしまったらしいです。単位の括り変えをすることによって対応するらしいですが、いやはや何ともビックリする話です。ニッポン放送株の1売買単位は約450万円、いわゆる値嵩株に相当します。例えばマネックス株は1売買単位は約5万円で、株主数は2万1千人を超えます。売買単位の影響は斯様に多きなものです。競馬券にもし100円券がなく、万馬券とか或いは10万円券とかしかなかったら果たしてあれほど大勢の人が集まるでしょうか?それもあまり興味のない彼女や家族までついて来たりして。ユニットが小さいと、消費者側が自分の興味や知識・経験などに合わせて自由に購入ユニットを増減して投資額を変えることができます。単位株制度を改善する意義は正にここにあります。単元株の中身はまだ見えて来ませんが、いい形で改善して欲しいと思います。

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