2001-03-01 00:00:00

2001年3月分のつぶやき

テーマ:ブログ

3月1日       <春夜>
春宵一刻値千金 花有清香月有陰 歌管楼台声寂寂 鞦韆院落夜沈沈
(しゅんしょういっこくあたいせんきん はなにせいこうありつきにかげあり かかんろうだいこえせきせき しゅうせんいんらくよるちんちん)
蘇軾の詩です。大した内容でもないのですが、とても簡単でかつ音の調子が良く、視覚、嗅覚、聴覚に対する刺激が程よくミックスされた素晴らしい世界を作っています。初めて読んだのは小学生のころでしたが、いまだに覚えています(今回は間違えないようにちょっと調べましたが)。七言絶句。28字の中に全てを詰め込むので、却って強い求心力や結合力が生まれ、それが永遠の強い命を与えるのでしょうか。


3月2日         <選挙>
今日の日経新聞の立花隆さんの寄稿は、さすがにかつて田中角栄氏を逮捕まで追い込んだ人だけあって鋭いなと思いました。辞職した村上議員の責任につき、受託収賄容疑だけでは事件の本質に至らない、大量の党員の捏造とそれによる国政選挙での名簿順位の操作等の方が問題であり、民主主義の根幹に関る問題であると書かれています。正に仰しゃる通りです。以前にも書きましたが、大体この国における選挙に対する国会議員の認識はどこかおかしいと思います。利益誘導を堂々と公言してみたり、誰が誰を選んでいるんだか分からないような選挙制度を導入してみたり。我が国に必要なもっとも重要な構造改革は選挙制度の見直しではないでしょうか。首相の公選制も当然議論されるべきだと思います。


3月5日        <ドーナツ>
ドーナツって不思議な食べ物ですね。そもそもどうして穴があいているのでしょう?揚げやすいからでしょうか?食べやすいからでしょうか?穴はドーナツの一部でしょうか?それとも結果でしょうか?ドーナツを食べると穴はなくなりますが、それは穴も一緒に食べてしまうからでしょうか?それとも周りを食べてしまうので穴はひとりでに消えるのでしょうか?そんな下らないことを考えていました。無為の為というか、無存在による存在というか、考えようによってはなんか哲学的な食べ物です。でもこの哲学は実行しなければ意味がありません。見ていても油が腐ってしまうだけです。まず食べてみる。そこにドーナツ哲学の真髄があるようなないような。


3月6日       <創造>
マネックスのロゴ・マークのデザインをして下さった松永真さんの個展が昨日からギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれています。新作ばかりなのでマネックスのロゴはありませんが、とても素敵な個展です。ビデオで先生の今までの作品を一覧できるコーナーもあるのですが、よくもまぁこんなにいろいろと創造できるものだと感嘆してしまいます(そのビデオの中にはちょっとだけうちのロゴも出て来ます)。常に何かを創造し続ける根源はどこにあるのでしょう?創造物は頭で創られるのでしょうか、心に生まれるのでしょうか、それとももっと感性というか無為に近い所にあるのでしょうか?数少ない傑作に感動することもありますが、昨日は多くの創造というエネルギーというか怒濤の流れに圧倒されたのでした。
http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/gki/g178/g178ki.html


3月7日         <市民革命>
日本は歴史上未だ曾て市民革命が一度もなかった国です。明治維新も侍階級によるものであったし、敗戦も市民革命ではありません。歴史上市民革命のなかった国というのは珍しいでしょう。少なくとも先進国において、そのような国が果たして日本以外にあるでしょうか?これだけいろいろあっても国民はおとなしくしているのも、首相公選制もまだまだ本気に国民レベルで議論されないのも、ルーツはやはりここにあるのでしょう。或いは逆にそのような国民性なので市民革命もなかったのでしょうか。しかし日本史上初の市民革命を目の当たりに見れたらどんなに痛快なことかと思っているのは私だけではないですよね。


3月8日       <円>
ドーナツ以来円いものが気になります。円は、同じ面積の平面上の形の中では、その縁の長さが最短になります。そういった意味ではもっとも効率的な形をしています。自らの領域を確保するのに、もっとも他に影響を与えないような形です。しかし多くの円をまとめようとすると、逆に極めて非効率であり、例えば正方形であれば隙間なしに集めることができますが、円だとどうしても隙間が空いてしまって、結果広い領域がないと収めることができません。自己が効率的であったり完全な形を取るということと、他と共存するということは、相容れないということでしょうか?一方、若干形の変えられる風船などであれば、ちょっと押し込めば単体でも集合でも効率的なようです。いろいろと考えさせられます。


3月9日      <呆れます>
今朝の新聞が首相の退陣を報道しました。しかし「誰が」表明したかは書かれていません。午後になるとインターネット上の新聞が「自民党橋本派幹部は、首相が明日の午後に退陣表明する見通しを明らかにした」と流しました。何か変です。憲法によると首相は国会が指名しますが、内閣不信任案の決議以外に首相本人以外が首相を辞めさせることはできない筈です。こんな時期に「消費税を上げよう」なんてことを言った大臣もいるようですし、全く訳が分かりません。いい加減にして欲しいなぁ。


3月12日     <消費>
日本のGDPの約60%は個人消費です。先週末政府より株価対策案が発表されましたが、消費を刺激しなくては何ともなりません。高齢者の株の購入に関して、ある一定期間保有すると相続・贈与税の優遇が受けられるような案も盛り込まれていますが、私が思うに高齢者がたとえ株とは言えまた金融資産でお金を貯えることを考えるよりも、高齢者がその余剰金融資産をもっと消費することを考えた方が、この国の経済には、延いては株式市場にとってはいいのではないでしょうか。例えばある一定年齢以上の方が消費する際には消費税を免除する。金融資産でも不動産でも、投資はダメです。下らない本当の消費ほど、例えば飲み食い旅行など、どんどん刺激すべきです。これの方が楽しいし、如何でしょう?

今日のカブセン 「株下がる 隣の首相は 何する人ぞ」 By 馬笑


3月13日       <法律>
法律は、警察的な行為のためだけにある訳ではありません。つまり何かを規制したり、悪い行為を取り締まったり、そういう制限的な目的のためだけではないということです。企業に経済活動の競争力をつけるために法律を作ることもあります。というか法律の重要な役目としてそういった面もあると思います。電子商取引に関する法律などを例に考えると、利用者の保護という側面と、アメリカなどにも対抗して経済成長して行けるように今まで許されなかったことを許す場合などもあります。この二側面のバランスがとても重要で、そのあたりの細かいニュアンスは法律でなくて政令(省令・府令)で決められて行くことが多いでしょう。立法趣旨にそぐう実現を望んでいます。


3月14日    <M式緊急株価対策案>
郵貯の預け入れ制限を現行の1000万円から100万円に引き下げること。株式分割、単位株の括り替えの際の1株当たり純資産規制を現行の5万円から500円に引き下げること。現行制度を撤廃するとかでないし、法令のごく一部、数字を書き換えるだけで済むので実行が簡単。至急実行して頂きたい。1000万円と書いてある通帳を管理するのも100万円と書いてある通帳を管理するのも手間は同じだからインフラとしての郵貯の大きさ(人員など)は変わらないので問題は少ないし、純資産規制の額を変えても単位株制度自体はそのまま残るので混乱もコストも低い。一方、この10年間もっとも非効率なお金の使い方をして来た政府から数百兆円のお金を民間の手に戻せることができ、かつ投資単位が下がるので誰でも簡単に株を買えるようになる。ふぅ。どうでしょうか?


3月15日    <株買い上げ機構>
ビックリしました。呆れたりビックリしたり忙しいですが、株買い上げ機構に政府保証を付与する意向を財務相が表明しました。政府って言ったって、何か特別なキャラクターグッズとか売っている訳でもないので、基本的に税金以外に収入はありません。税金だって本来「収入」ではなくて、国民のお金を政府が国民に代わって使っているだけです。株買い上げ機構に政府保証を付与するということは、オートマティックに全国民に株を買わせるということ、より正確には、株価が下がった時だけその下落分を払わされる約束を、国民は税金を払ってするということです。会社には親会社があることはあっても、国には親国はありませんから、結局何をしても最後は全ての責任を取るのは国民です。でもこれじゃあまるでネガティブ・クーポンのEBを全国的に販売するようなもんじゃありませんか?


3月16日       <太陽>
太陽が昇ると暖かくなり、沈むと寒くなります。動物も植物も、地球上の生き物はなべて太陽を中心に生きています。あれだけ遠い所にあるのにどうしてこれだけ影響力が強いのだろう?そう思ったことが今までに何度もあります。この疑問を抱く時にいつも心に飛来するものは、どこか神秘的なものであったり、希望とかいった精神的なものでした。ところが今日初めて知ったのですが、なんと太陽は太陽系全体の質量の約99.9パーセントを占めるのだそうです。それなら分かりますよね。そりゃそうですよね、人の気持ちなら格別、自然現象に神秘も精神もないですよね。なんかとても勉強になった気がしました。


3月19日     <春分の日>
明日は春分の日です。春分・秋分というと、太陽が赤道の真上に来るのでしょう。日本における夏至には北回帰線(北緯23度27分)の真上に太陽が来て、冬至は南回帰線上に太陽がある筈です。北半球と南半球で夏と冬が逆なのは周知の事実ですが、こう考えると赤道上では日本の春・秋の頃がもっとも暑く(いわば夏)、日本の夏・冬の頃は春というか秋というか若干気候が穏やかなのでしょうか?なんか不思議ですね。


3月21日    <世代>
東京は今日は春満開という感じですが、そろそろ新入生の季節でもあります。学校でも会社でも後輩が入って来ると、「近ごろの若いヤツは」とか「今年の新人は違うね(悪い意味で)」的な発言が聞かれることがあります。私もよくそう思ったものですが、ちょっと落ち着いて考えるとこれって変ですね。もし若い世代が常に自分達の世代よりも仮に劣っていたら、数学的帰納法的には今頃我々人類は滅亡しています。少なくとも同等、可能性としてはより優れていると考えるべきでしょう。永田町でもこの点を認識して頂きたいですね。


3月22日      <流れ星>
ロシアの宇宙船ミールが落ちて来ます。巨大人工流星といったところでしょうか。つい数年前まで、流れ星というのは宇宙空間の中を星が燃えながら速く飛んでいるのだと思っていました。ちょっと考えれば酸素のない所で「燃える」のも変ですし、これでは流星と彗星の区別が付いていません。「コメットさん」のコメットも彗星のことですが、実は今辞書を引くまで流星のことだと思っていました。流星は宇宙の塵が大気圏に突入し、そのまま速く飛びながら空気の摩擦で燃えている状態です。つまり宇宙の中の星ではなくて、大気圏の内側もしくは大気圏と宇宙の境目を燃えつきつつ飛んでいる隕石です。言うなれば「燃えるゴミ」です。なんかイマイチですね。そんなものに願いをこめて本当に叶うのでしょうか?だとすると史上最大の燃える宇宙ゴミ・ミールは願いを込めるのには最適の対象でしょうか?


3月23日      <赤字検討>
今朝の某全国紙の一面に、某都銀「赤字検討」と見出しがありました。そもそも決算の結果って検討するものなのでしょうか?またそれを何の抵抗もなく紙面に書けてしまう今の風潮もどこか変な気がします。この調子だといずれ、XXビール今夏は売り上げ倍増を検討とか、○○社今年は黒字を検討とか、しまいには納税を検討とか、大学入試合格を検討とか、いろいろ出て来そうです。目標と検討は言葉として意味が違いますし、またそもそも検討できるものと、手を加えることが不可能、或いは許されてないものとがある筈です。まぁ衆議院議員も当選を検討すると当選できてしまった国ですから、しょうがないのかなぁとも思いますが、いやいやこの状態に馴れてはいけませんね。


3月26日      <やる気>
前にも書いたことがありますが、マネックスには常に数名の大学生がアルバイトとしてとっかえひっかえ手伝いに来ています。(基本的に各日に来るのは一人です。)もうその性格から、興味、見た目、着ているもの、喋り方、世慣れ方、全て千差万別です。そんな彼ら・彼女らの多様性に触れるのも、中々興味深く勉強になるものです。「ふたば通信」を書いているふたばもそんなアルバイトの一人です。さて先日既に4ヶ月アルバイトをしているH君の日に、大学一年生のTさんが見習いとして来ました。今までもいろいろと弊社社員がH君の教育をして来た訳ですが、何と言ってもこの日のH君の成長というか毅然さには目を見張るものがありました。あれだけ口酸っぱく言って来た先輩社員の苦労を考えるとちょっと複雑ですが、やはり後輩を持つことによる責任感や自覚、或いは後輩の前で(特に異性だし)しっかりしようとする意識が彼を大きく前に突き出したのでしょう。「ヒューマン・ケミストリー」の真髄を見たような、そんな気がしました。


3月27日    <桜>
東京でもソメイヨシノが三分咲きほどになりました。3月の東京は他にも紅白梅、桃、しだれ桜、こぶし、木蓮と咲き乱れます。いろいろな木があり、色彩に富むのは代官町通り。桜ならやはり千鳥ヶ淵か、隅田川の言問橋の辺りが風情があると思います。桜は綺麗だなぁとばかり感じていたら、ある時坂口安吾の「桜の森の満開の下」を読んで、あぁこの桜が狂おしく見えるという感覚もあるのだと初めて気がつきました。桜というような単純なものを見てもこれだけ違う感情を持つ訳ですから、人にまつわることについてなら、同じ事象でも見る人によって、よほど違って見えたり、感じたりすることでしょう。寂しくもあり、だから飽きないとも言えるでしょうか。


3月28日      <港>
今日、或る方に会いました(敢えて名前は伏せます)。彼は四面楚歌とも思われる状況下で、いわば孤軍奮闘しながら自らの理想を追求されています。そのようなことの維持できる根源は何なんだろうとふと考えました。「維持する」「継続する」というのがキーです。誰でも単発で戦うことは案外容易ですから。お尻というか出口が決まっているからでしょうか(例えば任期など)?支持してくれる人がどこかにいるからでしょうか?「支えられる」ということを考える時、不特定多数の人の支持と、特定の一人の支持と、極限に近い状態においては人にとってどちらがより重いのでしょうか?父性と母性を語る時に、母性の本質は船にとっての母港のようなもので、いつでも必ず同じ所に同じ形である避難地であり、そこで力と自信をためてまた外界に出て行けるようにすることだとも言われます。彼にはどこかに母港があるのでしょう。そんな気がしました。


3月29日     <モノ・カルチャー>
日本は珍しい国です。市民革命のなかった唯一の国ではないかといったことを以前につぶやきましたが、その原因はどこにあるのでしょうか。一つ考えられるのは、日本は基本的にその中に単一民族しかおらず、かつその単一民族が形成している国は日本一国しかないという、極めて異例の国だということではないでしょうか。そういった意味で極端なモノ・カルチャーを形成しており、それが護送船団方式とか、奉加帳方式を生み出したり、或いはせっかく競争原理を導入するような立法がされても、結局事実上の独占体制が維持される、これは企業も政治も同じですが、結果になるのではないでしょうか。問題は現在のような国境の極めて低い時代に、日本だけがそのような形を維持しながら国際競争に勝って行けるかということだと思います。


3月30日     <ベクトル>
同じ点を見ていても、観測者の位置が違うと、視線の向きは異なります。極端な例を言うと、南極点を挟んで反対側に二人向き合って立つと、二人とも「真南」を見ている訳ですが、向いている方向は180度違います。これは組織にとっての方向性についても同じようなことが言えるのではないかと思います。組織としての目標に構成員がみんなちゃんと向かっていても、構成員の位置の違いにより、それぞれの向きは違ってしまいます。ところが目標をなるべく遠くに設定すると、みんなの位置が違っていても向きの違いは小さくなります。北極点を見つめると、人の場所によって向きは違いますが、北極星を見つめる時は、みんなほぼ同じ方向を見ているのと同じです。マネックスにとっての2000年度は今日で終わりですが、2001年度の目標は遠くへ、更に遠くへ設定して行きたいと思います。

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