北鎌倉の明月院で花菖蒲と紫陽花を見た後、再び横須賀線に乗り、鎌倉駅へ。そこから御成町の商店街を抜け、由比ヶ浜駅から江ノ電で江ノ島に向かいました。
先月、江ノ島から北鎌倉まで歩いた時に、望遠で江ノ島から片瀬方面を撮った写真です。
新緑の片瀬山の懐に抱かれるように立つ「龍口寺の五重の塔」が見えます。直に訪ねて見ることにしました。
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由比ヶ浜駅からの江ノ電は、日曜日とあって、ぎゅうぎゅう詰めです。ほとんどの乗客は、途中の長谷駅で降りました。多分、紫陽花で有名な「長谷寺」に行かれたのでしょう。
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江ノ島駅から、歩いて5分ほどの場所に五重の塔の「龍口寺」はあります。
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この地は、かつて刑場跡で、文永8年(1271年)に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった場所です。理由は定かではありませんが、処刑を逃れています。この事件は、「龍ノ口法難」と呼ばれています。
その後、日蓮の弟子の日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」としたのが龍口寺の始まりとされています。
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本堂は天保3年(1832年)建立、木造欅造り。
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立派な彫刻が施されています。
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「延寿の鐘」です。願い事を唱えながら、自由に鐘を撞くことができます。私も折角なので、撞かせていただきました。
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本堂の奥にあの「五重の塔」があります。明治43年(1910年)に竣工されました。木造欅造りの五重の塔は神奈川県では唯一で、全国的にも明治期の五重の塔は数が少ないようです。
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龍口寺の裏側に「常立寺」があります。(以前、ご紹介させていただきました)
常立寺は、瀧ノ口の刑場(龍口寺)で処刑された刑死者を弔うために建てられたお寺です。
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2度にわたる蒙古軍の元寇(台風により攻撃は失敗)の後、蒙古の国使5人が日本に降伏を要求して鎌倉に来訪してきましたが、時の執権、北条時宗は、瀧ノ口の刑場(龍口寺)で5人を斬首し、遺体をこの常立寺に埋葬しました。今でも、白鵬などモンゴル力士たちが御参りに来られているそうです。(再掲)
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この日に訪ねた場所をマップ化しました。