江ノ島から歩きはじめ、元使五人塚の「常立寺」、源義経の腰越状が残る「満福寺」、鎌倉幕府滅亡とゆかりのある「稲村ヶ崎」、「東勝寺跡」、「宝戒寺」、そして「九品寺」、「安養院」を巡り、最後に北鎌倉の「円覚寺(えんがくじ)」をお参りしました。
円覚寺は鎌倉五山第二位の巨刹で、北鎌倉では建長寺に並ぶ人気スポットです。
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昨年の秋に撮った円覚寺です。紅葉も人気のお寺ですね。6月中旬になると紫陽花が見頃を迎えます。
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円覚寺は、鎌倉時代の弘安5年(1282年)に鎌倉幕府執権・北条時宗が元寇(2度にわたるモンゴル襲来)の戦没者を敵味方の区別なく平等に追悼するために中国僧の無学祖元を招いて創建した臨済宗の総本山。
山号は「瑞鹿山」です。
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見応えのある印象的な山門は、夏目漱石の小説「門」の舞台にもなっています。かつて夏目漱石や島崎藤村も円覚寺で座禅していたことも知られています。
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仏殿は、昭和39年に再建されています。コンクリート造りですが、元亀4年(1573年)の仏殿指図(設計図)に基づき建てられています。
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ここで、またまた歴史のお勉強です。
円覚寺は、創建以来、北条氏をはじめ朝廷や幕府からの篤い帰依を受け、寺領の寄進を受けながら経済的な基盤を整えてきました。
弘長元年(1261年)の「関興寺文書」には「武蔵国豊島郡江戸郷之前島村」という地名があります。また「円覚寺文書」にも「江戸前島」の寺領が記されていることから、正和4年(1315年)から天正19年(1591年)までの276年間は円覚寺の寺領であったことがわかります。
江戸前島は、現在の地名に直すと、大手町、丸の内、有楽町、日本橋、京橋、銀座、新橋がスッポリと入り、今の東京の中心地だということがわかります。
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円覚寺の寺領「江戸前島」は、後北条氏や秀吉から「安堵状」などを得ていたのですが、徳川家康が江戸入りし、この江戸前島を奪取し、天下普請を行っていったようです。
まずは、江戸前島の付け根に当たるところに「道三堀」(日本橋がかかっている運河)を掘り、「小名木川」、「新川」の沿岸運河を構築し、関東最大の製塩地の行徳までの海上ルートをつくります。
そして、浅瀬で海上交通に適さない日比谷入江を神田山(今の駿河台あたり)を切り崩し、埋め立てることによって大都市・江戸の町が形成されていきました。

円覚寺の梵鐘は、北条貞時の寄進によるもので、正安3年(1301年)の刻銘があリます。鎌倉時代の代表的な形態を表していることから、建長寺の梵鐘とともに国宝に指定されています。
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梵鐘の隣にあるお休み処からは眺める遠景。見えている建物は東慶寺です。
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竹林にニョキッ。
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白鹿洞の前に群生するシャガ。
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方丈の庭園。方丈は本来、住職が居住するところですが、各種行事が執り行われています。方丈の縁側から庭園を見ることができます。
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妙香池は、創建当初からある池で、向こう岸に露出した岩盤を虎の頭に見立てて「虎頭岩(ごとうがん)」と呼んでいます。
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黄梅院は、北条時宗の夫人 覚山尼が時宗の菩提を弔うために建立したもの。
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居士林(こじりん)は禅を志す在家のための専門道場です。東京牛込にあった柳生流の剣道場が寄進移築されたものです。
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江ノ島から円覚寺までの全行程をマップ化しました