訪ねて楽しい大山街道の3回目。前回は、瀬田の行火坂を下り、多摩川まで来ました。江戸時代は、橋が架けられてなかったので、二子の渡しという渡船で多摩川を渡っていました。今回は、対岸の溝口二子の辺りを巡ります。
下の写真は、二子神社です。創建は寛永18年(1641)といわれ、旧二子村の村社でした。
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境内には、揺らぐ炎のような〈夢幻の白鳥〉白いモダンアートの記念碑があります。「誇り」と名づけられた、この岡本かの子の文学碑は、川崎をはじめ全国の愛慕者によって昭和37年(1962)11月に建てられたもので、彫刻の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれています。岡本太郎は、この二子の地で生まれました。
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光明寺です。慶長6年(1601年)武田の落武者が作った寺とされています。境内には、岡本かの子の兄、雪之助の墓があります。
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高津図書館の入口に国木田独歩の碑があります。「忘れ得ぬ人々」の舞台となった溝口の亀屋旅館の前にあったものを移設したものです。碑文は、島崎藤村が書いています。
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大山街道に面してタナカヤ呉服店があります。明治44年築で東側に土蔵を持つ「蔵作り」といわれる建て方で、釘を使わずほぞの組み合わせで材木を組み上げています。
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灰吹屋薬局は、江戸時代の1765年に創業しています。この辺りで唯一つの薬屋で、遠くから、薬を買いに来ていたそうです。
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明治の初め、立憲政治をめざして各地に起こった自由民権運動。橘樹郡の拠点はここ溝口であり、上田家でした。上田忠一郎は民権結社を組織し、私財を投じて運動の先頭に立ちました
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稲毛屋金物店の土蔵です。稲毛屋金物店は、江戸時代、天保年間(1830 ~ 1844)に創業しました。当初は薪・炭、米などを扱っていました。幕末頃から金物を扱うようになりました。
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大石橋は、二ヶ領用水にかけられています。当時の風情を感じさせます。
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大山街道に面して建てられている大山街道ふるさと館。
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大山街道ふるさと館には、大山街道に関する資料が展示されています。次回ご紹介いたします。
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今回の旅のテーマ「訪ねて楽しい大山街道」は、ふるさと館が発行したこの本から拝借しました。
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2016.5.23  赤坂御門から溝口二子
30.4km