September 29, 2005 06:20:41

  時の確率

テーマ:La Vie de un Miracle

   突然ですが、インターネットが普及し始めてから、どの位経つのだろう?ここ10年以内だろうか?


              不思議なもので、気が付けば操作できるようになっていた。


  簡単に知りたい情報や、遠く離れた友人とのMailを通してのコミュニケーションが取れる様になった。


    だがその反面、新聞やニュースではインターネット犯罪と言う言葉や不幸な話を良く耳にする。


            テクノロジーとはいつの時代も、必ず負の部分が強調されがちだが・・・


     実は最近、テクノロジーがもたらした奇跡体験をしたので、その事について書きたいと思う。


           その前に話の順序からすると、ここから書いたほうがいいだろうか!?


それは、フランスで『増村保蔵レトロスペクテブ』 と言う増村監督の映画が公開されていたのが切欠でした。  

                      

                    


       僕の知っているだけでも 『卍』 『盲獣』 『清作の妻』 『刺青』 が公開されています。


                 増村監督は黒澤、溝口、小津、大島、につぐ


             日本映画界の巨匠として世界に認知されつつある。


             


         右の女優は緑魔子で左は若尾文子です。この年代の女優は、風格が漂っている。


                   女優の持つ魅力を最大限に引き出す。


                これは増村保蔵の持つ力量の成せる技なのでしょう。


 当時の大映の芸術思考な映画製作は、東映、東宝、松竹と比べると一線を超えるプロダクションだろう。


            気が付けば、映画論に話が進みそうなので話題を変えないと!


                            それは・・・


              今から約10年前の事で、その頃の僕は写真学校の学生。


                            そして・・・


             人に言えない恥ずかしい過去って誰にでもありますよね(苦笑)


                    書くのも恥ずかしいですが告白します。


  今もあるのかな?当時の僕は、ロッキンオンジャパンが出版していた 『H』 の友人募集コーナーで


              匿名ですがハニー摩子と言う女性と知り合ったのでした。


           そうですよね。当時は文通が主流だった。つい10年前の話ですよ !!


当時の彼女は、70年代のジャパニーズ・サイケデリックを好み、映画だと 『野良猫ロック』 『女囚さそり』


               

               

         音楽だと 『モップス』 『コモエスタ八重樫』 『デキシード・ザ・エモンズ』


    そして、60’s70’sファッションを好み、東高円寺『UFOクラブ』 などを好むゴーゴーガール。


             どちらかというと、当時でもマイノリティーでアングラ派だろう。


                      強烈な個性を持ち合わしていた。


                 これが僕の覚えている、ハニー摩子ちゃんでした。


       そんな彼女を、僕は写真学校の卒業制作展の為にモデルになってもらった訳です。

             今、思い返せば若気の至り的な写真を撮ったものです(苦笑)

           それ以降、気が付けばお互い連絡つかずって感じで10年経つ事に・・・

    本題に入ろう。そんな事で今回の再開の切欠は、フランスで観た 『盲獣』 と言う映画だった。


       確かハニー摩子言う名前は緑魔子からインスピレーションされたのではないか?!

              そんな事を思い出しながら 『盲獣』 を観たものです。

      そして数日後、思い出したようにGoogleで『ハニー摩子』と検索してみました。

             すると、なんと数件ヒットしたではないですか!! 

       彼女の友人が経営する、60’s70’sファッションのWEBサイトPLUM NELLIE に 

                彼女が、つい最近書いたと思われるBBSを見つけた。


            その書き込みは「アメリカからメキシコへ横断する」と書いており


             彼女は約10年経った今でも、『ハニー摩子』 を名乗っていた。

 これには僕も、驚きと興奮を隠せません。すぐさま、WEBサイトのBBSに書き込みしてしまったのだ。

       彼女がMailを見る保障は無いが、書くだけ書いてみよう。そんな思いでした。

                         それから1ヵ月後・・・

                なんと、ハニー摩子ちゃんからMailが着たのです。

  彼女は、なんと僕の事を覚えてくれていた。そしてパワーアップした彼女の写真が添付してありました。


                          

    


   写真を撮影した場所はトルコらしい・・・約10年前のあの頃と変わらず、しかもフーテンな姿。

                また、驚いた事に、僕も何どか面識があるのですが

        彼女は当時付き合っていた『ミック・ジャガー似の彼氏』と結婚していたのだ。

              Mailを通してですが、僕は心から祝福の言葉を送った。


                     そんな訳で、改めて思い返すと


  日本から海を越えて遠く離れたこの土地で、こんな出来事が起こるなんて一昔は信じがたい事だ。


                 本当に素晴らしい時代に生きているものだと!!


                            そして


 10年の重みとテクノロジーがもたらした再開に。それから時代のプログレッシブを再確認したものです。


     また、僕は物質崇拝主義者では無いですが、物質とはその操作する人のモラルによって


                   幸せをもたらし、時には不幸を招きます。


      ある人々は、文明批判なる論議をかもしだすが、物質が犯罪を犯しているのではない。


         インターネットによる犯罪も、それを操作している人間が起こしている事。


                   そんな戯言を呟きたくなる今宵の秋です。

                                                          Monde

   

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August 12, 2005 05:54:13

   18

テーマ:La Vie de un Miracle

 それは巴里の人々が深い眠りにつき、夢の世界に戻っている真夏の夜の出来事。そして、私もそんな夢の世界に戻っている時、突然、安静と至福の中にある自室の扉が激しく開いた。すると、ルームメイトのmanu(マニュ)が、寝静まっている薄暗い私の部屋に入ってきたのだ。そして、私の体を激しく揺すり「起きろ、Monde !!」と叫ぶのだった。今までの共同生活で、こんな事はなかったので、私は眠りを妨げられた不快と疑問で、渋々眠い顔を擦りながら、「何?」と低い声で私は問いた。ついでに目覚まし時計をチラッと横目で見てみると、時はAM3:00を指していた。

そうしている内に、マニュの後から見知らない人物が入って来て「今すぐ外へ出てください !!」と言っているではないか。「何、言ってるんだ?この人は」そんな事を考えながら、この薄暗い中でその人物をもう一度良く見てみると、その人物は女性だった。そして、Police「(ポリス)警察」の制服を着ていたのだ。さすがに私も慌てふためき、渋々とベットから這い上がった。そしてマニュの顔を見ながら、(何なんだ?この警察は?)と顎を振りながら無言の質問をした。だが、マニュも(分かんない)という感じの首を振るリアクションをするだけで、現状が把握できなかった。なので、(何故、警察が来たのか?まさか不法移民者の手入れ?)思い当たる事を考えてみた。しかし、現在はVISAを所持しているし、特に思い当たる節は無かった。そうすると(過去の件?)そんな事を考えながら、部屋をウロウロしていた。すると、警察の女性は「早く、靴を履いて表へ出てください !!」と言うだけで、質問するにも出来ないような状況であり、私達は急き立てられるように部屋を後にしたのだ。

結局、何が何だか分からないままアパルトマンの外に出ると、何か焦げ臭い匂いがした。(まさか?)と思いながら周りを見渡すと、そこには人だかりがあり、パトカーや消防車が並んでいた。そして、その(まさか?)は的中したのだ。私達は人だかりが見詰める先に視点を移して見た。それは隣のアパルトマンであり、様は私の働くパン屋の並びで営業しているgrec「(グレック)グレック屋」(グレックとはギリシャの事。ギリシャ料理で、サンドウィッチ・ゲバブに似た食べ物を置いている店)から、黒煙を撒き散らしながら、激しい炎が荒れ狂っている。私達は肌寒い真夜中の中で、ただ呆然とその場を見つめていた。そして、ほんの少しだが炎の熱気が皮膚に伝わってきた。それにしても、フランスのpompiers(ポンピエ)「消防士」が炎と戦っている姿には凛々しさが漂い、中世の騎士の名残を持ち合わせているように思えたものだ。


 ①      ② 


*上記の写真①はグレック屋の看板。写真②③は消火活動が終わり、残り火が無いか確認しているところを写真に収めた。炎が激しい時は、カメラなんてその時は持って出なかったので、事が納まってから再度外出し写真に収めた。どっちにしろ、さすがに現場には近づけなくて写真に収められないだろうが!!写真④は消防車や警察が撤去した後に撮影したもの。建物の右は、筆者が勤めるパン屋兼住居のアパルトマン。


そして、私達と同じようにアパルトマンの住民が、外に押し出されているのに気づいた。皆様々な思いで、この真夜中の火事を見つめていた事だろう。それから(何故警察が火事のことを伝えなかったのか?)それは後になって分かった。いきなり「火事だ!!」と騒ぎ立てると、住民にパニックを巻き起こす恐れがあるからではないか?そんな事を考えながら炎を見つめていた。そして、燃え盛る炎は消防士が放射する水と激しく格闘している。人間とは純粋な元素の前では、ただ無力さを感じさせられるものだ。しかし、消防士は立ち向かう。それは名も無き使命の為に・・・


それにしても改めて私の住んでいるアパルトマンは多国籍である事に気づかされた。特にアフリカ系・マグレブ系・東ヨーロッパ系が目立つ。ちなみにアジア系は私一人だった。純粋なフランス人はごく僅かであろう。それもそうだ。この地区は移民が多い地区なのだから。そして後一つ気づいたのは、普段接点が無い隣人同士も、この様な共通の問題が起これば、国籍を超えた団結意識が芽生えるのに気づいた。さらに一つ。フランスの消防士は結構思ったより優秀である事。こんな場違いな事を考えつつも、消火活動は迅速に進み、AM4:45頃に火事は鎮火した。それから火事の被害は最小限に止められ、死亡者や怪我人は出なかった。警察の話によると、「火の不始末ではないか?」という事だった。そして、我々も外に出て約1時間半後には各自アパルトマンに戻る事が出来たのだ。


  ③    ④ 


私自身この様な被害の当事者になるのは始めてである。しかも、フランス生活で体験するとは考えもしなかった。そして、この光景は一生忘れないだろう。本当に人生とは何が起こるか予測不可能だ !! 他にも書きたい事は探せば山ほどあるが、今日はこの辺にしておきたい。最後にタイトルの『18』とはフランスの消防局の直通局番である。もし、この記事を読んだあなたが同じような被害に合われた時、又は火事を発見した時はこの『18』に電話してください。この様に毎日、巴里を炎から守っている彼らにMerciを送りたい。そのような訳で、アパルトマンの住民そして私自身も、また夢の続きを見る事が出来るのだ。 眠れ巴里 !! 

                                                             Monde                      

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May 06, 2005 08:52:12

なんとかなるさ・・・

テーマ:La Vie de un Miracle
 昨日は何処まで書いただろうか?そうだ!フランスに旅立つ直前まで書いたんだっけ?

チケットの手配も終わり、友達ともしばしの別れです。いかにも突然、無謀にも渡仏するなど僕がやりそうな事なので、友人達はそんなに驚いた様子をしませんでした(苦笑)

そしてフランスへ出発する前日の数日間は、毎日のように、様々な友人と酒を交わし「フランスで、がんばってこいよ!」と励まされたものです。本当に今でも彼ら彼女らには感謝しています。


 さて、フランスに行くにはいいが、これからパン職人として生活しなければならない。そして休みの日には写真に時間を費やそう。そんな事をフランス行きの飛行機の中で考えながらも、これからフランスで本当にやって行けるのか?とか、フランス人の事だから口約束だったらどうしよう!などの自己欺瞞に悩まされる事もありました。しかし日本のアパートは引き払ったし、もう後戻りは出来ないのでした。

そして離陸して行く飛行機は、雲の中を貫き、眩しい太陽を薄目で見つめながら、今まで住んでいた日本がミニチュアのように小さくなってしまい、時間を逆流してゆくのです・・・


 パン職人の経験は昨日書いたと思いますが、何故出来ないのに、自身があったのか?読者の方は不思議に感じるでしょう。しかし、僕には自身があったのです。何故かと言うと、パンと言う食品を作るそう考えたら、とても僕には出来ないと思いました。しかし、パンと言う彫刻を造ると言う発想だったら、僕にも出来そうな気がしたのです。幸いに昔、石膏彫刻を造った事があったので、そんな思いになった訳なのです。

本職の人には申し訳ないが、これもこの町で生きていくための手段でした。


パンの材料は、小麦粉に水に塩に酵母菌。そして石膏彫刻の材料は石膏に水、塩と酵母菌が無いだけ。

そして工程で考えたら、写真の現像・停止・定着という3段階で物事を考えれば、楽でした。

パンも大まかに言うと、小麦粉を水で混ぜる・捏ねてバケットの形に作る・竈に入れる。そう考えたら、出来る気がしたのです。


 そしてフランスに着き、彼女が住んでいた16区にある屋根裏部屋の引継ぎをしました。この家は、パン屋のパトロンが借りている建物なので、そのまま僕が住む事になりました。鍵も渡され、全てが始まりました。

3日後に、初めてパトロンと会うことになり、とりあえず日本から持ってきた和菓子を手土産に渡て、印象を好く見せようとしたのを覚えています。そして、片言のフランス語で挨拶と自己紹介しました。

パトロンが聞いてきました。「日本では、パン職人だったのか?それとも菓子職人だったのか?」

僕は答えました。「日本では、パンを焼いていました。」それは、思い切った嘘をついてしまったのです。

パトロンは答えました。「じゃあ、今日の午後から働いてくれ」 (おい!!いきなりかよ~)

しかし、後戻りは出来ない。 Que Sera sera ・・・(なんとかなるさ・・・)と思ったものです。

 それからその日の午後、働く事になりました。今、思い返すとその時のことは無我夢中で、やはり直ぐにはパンを焼かしてもらえないのが幸いでした。パン職人たちの技術を凝視しながら、雑用など何でもこなしたのです。言葉は片言で通じないし、相手の言葉も聞き取れない。ポケットにミニフランス語辞典を忍ばし、解らないことはそのままにせず、質問して納得するまで聞きいて理解しました。

そんな日々が続きましたが、不思議とネガティブな気持ちにはならず、毎日が完全燃焼で充実した日々でした。そして言葉が通じない分、行動で僕の気持ちを表現し、それは不思議と職人たちにも伝わったのか、優しく持て成されました。勿論、日本でパン職人は偽の経歴なので、向こうから質問された時には迷わず「これは日本のやり方と違う」と言って質問を回避しました。我ながら今考え直すと、良くそんな事が出来たと思うのです。そんな感じで月日は立ち、気が付いたらパンが作れるようになり、今に至るわけです。

 そうなのだ!僕は昔から、Que Sera sera ・・・で、生きてきたんだ。

何とかならない時は。何とかするしかない。僕は、全てが結果論で物事を片付けてきたのじゃないか?

そんな風に、自分の事を思うのです。ここまで自分の過去を振り返ってみると、読者の方は多分、凄く運のある男だと思われるでしょうが、これが必然なのか偶然なのかは、僕にとってどうでも良いことなのです。

つまり、言いたい事は、振り返るな、振り返るな後ろには道が無い・・・という事なのです。

これは、友人の手紙に書いてあった言葉なのですが、人生とはその通りだと僕は思うのです。

常に前進あるのみ!!

 最後に、昨日のBlogの冒頭に、小さい頃に大人になったらどんな職業になりたいか?と、書きました。

僕の場合を言うと、実はパン屋さんだったのです。それは幼稚園のときに、近所のパン屋さんからいつもパンの良い匂いがしてきて、子供心に「パン屋さんていいな~毎日美味しいパンが食べられて」と、単純な理由でした。子供の頃の夢は、偶然にも叶える事が出来たのに、成人してから見つけ出した職業にたいしての夢や理想は、まだ叶えていませんが。こんな所に皮肉な因果関係が働いているとは!!


        しかし奇跡とは、意外とみんなの目の前に転がっているのかも知れない・・・ 

                                                            monde

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May 05, 2005 06:48:25

パン屋で働いている経緯について・・・

テーマ:La Vie de un Miracle

 皆さんに一つ質問します。子供の頃大きくなったらどんな職業に憧れましたか?きっかけは様々だと思いますが、僕にも小さい頃に憧れた職業がありました。だが年月が過ぎるごとに、憧れる職業と言うものは変わるものです・・・

この質問については、最後の方に書きたいと思います。その前に、現在の僕の職業について書きましょう。


 僕は、以前もBlogに書いたように、パリのBoulanger(パン屋)で働いています。具体的に何処のパン屋という事は僕の立場上、Blogには書けません。(誰が見ているか解らないし、自己セキュリティーの為)

もし興味あるという方がいましたら、コメントに書き込んでください。別の方法でお知らせしたいと思います。

 

 何故、パン屋になったのかは複雑な経緯があり、この事を書かなければなりません。今のお店で働く動機は、単純なものでした。それはパリに住みたいという、誰もが考えるきっかけに過ぎません。そして、パリに来るまでパンなど作った事が無く、どの様な工程でパンが作られるのかも知りませんでした。

ちなみに、日本に住んでいた頃は、映像製作会社の写真部でした。(聞こえは良いですが、実はポルノを製作する会社です。)だが、職業カメラマンと言うのは僕には向いていませんでした。

己の写真に没頭出来るように。そして、僕のBlogを最初から読んでくれている方は、解ると思うのですが、

(バックナンバー見るまえに跳べ!! 子供の頃の夢を叶えたいと思い、パリで創作活動に励もうと思った訳なのです。 しかし、その為にはパリで生活する基盤を作らなければならないのです。なのでお金が掛からず、どのような方法でもいいから、パリに住めないものかと、色々な方法を考えたものです。


 2度目のパリ撮影旅行の時に、ちょうどパリに住んでいる、パン職人の女友達と会いました。久しぶりの再開に、酒を交わし、昔の事などを話しました。そして彼女の言葉から、突然、次のような発言が出たのです。「私、実は来月、日本に帰国する事にしたの。」と・・・

そこで僕は、ものの試しに聞きました。「君がお店を辞めた後、パトロンは次のパン職人を探してるの?」

彼女は答えました。「まだ決まってないのじゃないかな?たぶん職人を探すと思うよ。」

(これはチャンスかもしれない、一か八か聞いてみよう)そして彼女に聞いてみました。

「もし、僕がお店で働きたいというのは可能なのかな?」 

彼女「大丈夫じゃないかな?パトロンに聞いてみてあげようか?」と答え、僕の予想を覆すものです。

勿論、お酒のある席なので、彼女には悪いと思いますが、当初この話を当てにはしていませんでした。しかし、事の成り行きは思わぬ方向へ進んでいたのです。


 それから日本に帰国して、彼女にその後、例の話はどうなったのかMailで尋ねてみました。何日かして、答えが来たのです。「パトロンがOKと答えたよ!!3週間後にフランスへ来れる?」と言う内容でした。僕はすぐさま「勿論、3週間後にフランスへ行きます。」と返信しました。それからの約3週間は、これまでの人生にかつて無い、怒涛の日々でした。

東京のアパートは引き払う事や、家具・その他の荷物をどうする?所持金はどう工面しよう?など、問題が山積みされました。しかし、幸いにも友人や理解ある製作会社の上司の助けがあり、その3週間で殆どの問題を片付ける事が出来ました。今、思い直してもMiracle(奇跡)としか言いようがありません。


ここまで長々と書いてしまいましたが、文章が芹沢光治良みたいになったので・・・

つまり眠くなったので続きは明日書きます。

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