February 26, 2006 22:54:45

ベルリン 天使の歌

テーマ:La Vie de Voyage

              「突然ですが、只今ドイツのベルリンにいます」


       って本来なら現代的に、現地からリアルタイムで更新しようと思ったのですが


              そんな暇も無く、黒い森で熊と戯れていました。



       


                    って言うのは何なんでしょう?


     何故か今、このBLOGを書きながら大気圏突入した錯覚に陥り、支離滅裂な文章に・・・


                        説明しよう !!


            ベルリンの友人宅に22日~26日までの滞在でした。


              しかも突発的で、毎度の事ながら無計画な旅。


  そして今日の午前中、パリの家に帰宅。なので簡単に旅行記でも書こうと思ってるのですが


             旅の疲労もあり、文章も長くなりそうな予感がするので


       今回は『ドイツと私』なる、今までに関係のあった物事を簡単に綴りたい(苦笑)


   ドイツへの移動手段は、僕がいつもEUを旅する時に使用するEurolins という長距離バス。


            パリからベルリンまで約13時間掛けてのエコノミーな長旅。


                


            交通費はパリーベルリンの往復で118ユーロ(TAX込み)


          精神的な無重力状態が不快さ増す。そんな感じでベルリンに到着。


            その時、最初の一言は「mude(ミューデ)=疲れ又は眠い」 


   U2バーンで友人宅に到着。 早速ルームメイトのBerliner(ベルリーナ=地元の人)と共に 


       Berliner pilsnaer (ベルリン・ピルスナー片手にProst&No zdrowie !! (乾杯)



             


そして、ドイツ語と英語に悪戦苦闘しながらのコミュニケーション。


そんな言葉の壁のもどかしさに


Scheisse !!


   思い返してみれば、約五年ぶりのベルリン。見覚えのある町並みが記憶の底から感動をもたらす。


        


           上記の画像はSiegessaeule(ジーゲスゾイレ)とテレビ塔。


               暗闇の中で輝きを放つ勝利の女神ビクトリア。


         僕の空想が描いた彼女は、微笑ながら透き通った声で歌ってくれた。         


              下記の画像は、僕の愛するドイツの映画と音楽。


                 ニュー・ジャーマン・シネマの巨匠たち・・・


            

          Wim Wenders Volker Schlöndorff    


                                                                

        Rainer Werner Fassbinder              Werner Herzog   


                       ジャーマン・プログレ&ロック  

   


           

       Popol Vuh                CAN  

  


             

        FAUST          ASH RA TEMPEL


まあ,、こんな感じの『ドイツと私』なんです。


関わりの合った映画や音楽の説明も無いですが、興味ある方はリンクを貼っていますので見てください。


   落ち着いたら少しはマシなベルリン・レポートを書きたいと思います。それでは Tschüss!!


                                                          Monde

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February 19, 2006 00:32:20

  氷塊

テーマ:La Vie de Cinema

            東京で例えると山手線の内側ほどの敷地内であるパリ


      その密集された都市には、映画館や美術館などの文化施設が充実している。


               


 パリには約110軒の映画館が存在すると言われている。入館料は3ユーロから8.90ユーロまで様々。


           毎週木曜日は国内外の新作映画が10~13本ぐらい上映。


 シネマテック・フランセーズ ・文化センター・単館系の映画館は、世界各国の監督特集を組んでくれる。


                夏になるとパリの街中で野外映画会 が開催。


        また、28の映画祭がフランス各地で催され、世界中の映画ファンが足を運ぶ。


             まさに映画を愛する人々にとっては桃源郷のようだ。

     

       或るスイス人は『映画の都・パリ 』についてこのような文章を綴っている。


    そこで今回は、数ある映画館の中でも、とてもユニークな映画館を紹介したいと思います。


            その名はL'ARCHIPEL パリ10区に存在するこの映画館。

                                       

主に封切の映画などを上映。単館ではあるが何がユニークかというと、MUSIQUE & CINEMAなのである。            

                 

                文字通り映画と音楽を両方楽しめるのだ。                                

 

                           ?

          『映画とは絵画と音楽と文学が融合された第七藝術だろ?!』                         

                 

                   と、思われる方もいるだろう。

       だが、MUSIQUE & CINEMAの特集で上映される作品は無声映画に限る。

              

             要は、映画を観ながら生演奏を聴くことが出来るのだ。


             * 画像はL'ARCHIPELのホームページより参照。


上記の写真はL'ARCHIPELの模様。先日、Nanouk l'esquimau というシネ・コンサートを鑑賞しました。


    内容はNanouk (ナヌォク)というエスキモーの男。又、その家族を通してのドキュメンタリー。


    撮影当時、未開の民族であるエスキモーの文化生態を綴っている。1922年アメリカ製作。

                 この作品は文化人類学的にも貴重な資料。


また、大抵シネ・コンサートなどで好まれる映画には、C・チャップリンやB・キートンのような

                 判りやすい喜劇映画を上映するのが一般的。

だが、ココでは無声映画のドキュメンタリーなどのマニアックなセレクトなので、映画ファンの心を刺激する。

               そして、この日の観客で東洋人は僕一人であった。

          

        


                     さて、内容と感想はと言うと。


      銀幕に映る北極の映像を、即興のピアノ演奏が流れるという贅沢な鑑賞である。


             凍てつく刹那的な北極の風景。その土地で生きる人間の営み。


   時には情熱的に、時には喜劇的に、時には抒情的に、ピアノは映像と同様に流れる如く弾かれた。


                  きっと、この映像を見た人々は問うであろう。


          このような厳しい環境でも、人は生きてゆかなければならないのか?


                          何故ゆえに?


                      それは人であるが故に!!


              そんな想いを抱きながら、束の間のひと時は幕を閉じた。


 上映終了後、映画館内は大きな拍手に包まれた。それは映画への賛辞であり、伴奏者への賛辞の拍手。


                  そして観客は余韻に浸りながら席を起った。


                    だがその後、僕は悲しい経験をする。


          年齢は40~50代の、いかにも典型的なフランス人という風貌の男性


 明らかに僕を指して『エスキモー』と囁いて失笑いた。確かに彼らから見れば東洋人の分別は難いだろう。


             しかし、あの笑いは明らかに東洋人を蔑ました類の笑いだった。


              フランス人である彼らの聖域を侵してしまったからか?


           別にエスキモーに間違えられたからって怒りを感じた訳ではい。

           その時はどちらかと言うと、怒りよりも悲しみの方が増したと思う。


                         『東洋人軽視』


                      これが許せなかったのだ。


              ヨーロッパには、この概念が結構根強く残っている。


     だが、全ての人々がそのような人種差別主義(Racisum)を抱いている訳では無い。


          一部の人種差別主義者(Raciste)だけであるし、そう願いたい!! 


                


         その時、この映画のタイトル(Le Mepris=軽蔑)が脳裏に浮かんだ。


           それにしても、せっかく気持ち良い想いに浸っていたのに・・・ 


            だが、そんな嫌な想いも歩いているうちに忘れてしまった。


     そこが我ながら良い点だ。そうじゃないと異国の地ではやっていけないのです(笑) 


                                                        Monde     

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February 12, 2006 00:19:29

見捨てられた土地

テーマ:La Vie de Pansee

        「 世の中には、自分の祖国に帰りたくても帰れない人がいるものだ・・・ 」


   わたしはそんなことを考えながら、巴里の屋根の上を覆う灰色の雲を遠目に見つめていた。 

しばらくして 、何処に足を向けようか爪先で考えようとしたが、当然のことながら爪先が応えるべくでもなく

ただ、足元が小刻みに苦笑するだけ。

  何故かというと、今日の巴里は寒いのだ。立ち止まると精気が失せてしまう。だから歩かなければ・・・

                           何処へ?

                     それは、わたしにも判らない。

    問題なのは、何故このような冒頭の思いを抱いているのか、それを考えなければならない。 

                           んっ?!


          この 「なければならない !! 」 ってフレーズ。なんか引っ掛かる言葉。

                 確か、昔読んだ小説の一説だったかな?!

   あれは確か、Ludwig van Beethoven ( L・V・ベートーベン )の有名な四声のためのカノン

           クァルテット作品番号135の第四楽章。ドイツ語のフレーズだ。


                 

 Muss es sein ?  Es muss sein !!

          <そうでなければならないのか?そうでなければならない !! >


             

                とりあえず、気の向くままに四拍子で歩いてみた。

          「 世の中には、自分の祖国に帰りたくても帰れない人がいるものだ・・・ 」

      

                   こんなこと考えるのは理由があるから。

        わたしは、先週まで働いていた職場を終了し、来月半ばには祖国へ帰国する。

 今週から帰国するまでの期間、暇を持て余している。暇である故に、どうやって時間を埋めていくかが

         わたしの日課に成ってしまった。まるでパズルの空白を埋めるようなものだ。

            この三年間は、安月給で馬車馬のように働いたから当然の報い。

だが、馬車馬から単なる馬になるのも味気ないものだ。これは妙な因果律が働いている。日本人の性か?!


  何故か有り余る時間が恐怖に変わる。生活のリズムが狂うのは、メトロノームが狂うのと同じ類。


      そんなくだらない事を考えながら、気がついたら四拍子から八拍子で歩いていた。


                           突然


                 或る日の職場の同僚との会話を思い出した。

         同僚たちは、政治亡命移民が大半である。国籍はスリランカ人が大半だ。

              或る日、わたしはその同僚の一人に質問された事がある。

    「 何故、お前は仏蘭西で働いているんだ?日本は裕福な国だろ?仕事も沢山あるだろう?!」

                   わたしは、どう答えていいか戸惑った。

                

                  あれっ?!今、何処に向かってるんだ?

                     わたしは回想を中断した。

     そして、辺りを見回した。仏蘭西の町並みは、通り沿いの建物の角に通り名が掲げてある。

        Rue du Cateau d' Eau

                      <水の城通り>


        ってことは Plase de la Republique( 共和国広場 )に向かっている。


  そして、視界に映った光景は。雲に覆われた空の裂け目から、一条の光が街の一角を射していた。


           光が射す事によって、鈍い黄色のポスターが精気を得たようだ。


                 さて、さらに歩きながら、回想の続きでも・・・

   

   「 何故、お前は仏蘭西で働いているんだ?日本は裕福な国だろ?仕事も沢山あるだろう?!」

                   わたしは、どう答えていいか戸惑った。


         確かここまでだったな。その時は本当にどう説明すればよいのか考えたものだ。


                        何故かというと


             わたしはパン職人の経験地を得る為に働いている訳ではない。


 休日はよく写真を撮っているが、仏蘭西で写真の仕事をしたい訳でもない。今じゃ趣味に成り下がった。


                         そしたら何?


                    それは実に単純なようで複雑だ。


                     簡単に答えるなら生活の為。


                突然、仏蘭西に住める話が迷い込んだから。


      日本での生活が窮屈に感じたから。当時の環境を思いっきり変化したかったから。


  外国に住んでみたかった。外国人の気持ちを味わいたかった。少しでも等身大の世界を知りたかった。 


                            ets・・・


   

 

                  今日はやたらと北風が吹きつける日だ。


         わたしはからっ風野郎 の如く、鋭い眼光をして口元をマフラーで覆った。


               


                      しばらく歩いているうちに


            ( そろそろ雰囲気ありそうなCafeでも見つけて寒さを凌ごう )


                      そのように心の中で呟いた。


              * 雰囲気って文字変換できないのは何でだろう?


              そう言えば、この地区は歩いた事がある場所。


 ( あそこの白い看板の角は、確か古いHOTELの隣に、雰囲気のあるCafeがあったような?!)


         そんな記憶の曖昧さを当てにしながら、そのCafeへ向かう事に。




              



 

                  入り口の手前まで歩いて足を止めた。


            ( あの入り口の左に立っている男。見たことあるような ?!)


 それは、L’ ART BRUT BISTROというBrasserie(飲み屋)で、何回か見かけたことがある男だった。


       ( 確か、会うたびに煙草をせびられてる。よしっ今日は絶対あげないぞ )


           そんな思いを胸にCafeに入ろうとした時、男は声を掛けてきた。


        「 mon ami !! comon tu vas ? as tu une une cigarette s il te plait 」

  < 僕の友達元気かい?ねえ、煙草を一本頂戴 >

               

               わたしは、すぐさま心に抱いていた事を答えた。


「 oui ca va tres bien et toi ? par contre j ai pas de cigarette desole 」

< うん、元気だよ。君は?煙草いま切らしてるんだ。ごめんよ >


                        すると男は


                        「 tanpis !! 」

                     < しょうがないさ !! >


 そう言って何事も無かったような顔をしながら、彼の側を通りがかった人にまた同じことを言っている。


        「 mon ami !! comon tu vas ? as tu une une cigarette s il te plait 」

            < 僕の友達元気かい?ねえ、煙草を一本頂戴 >


     わたしはその様子を伺いながら苦笑した。この手の輩は巴里中どこにでもいるのだ。


                         人類みな兄弟


       そんな安っぽいスローガンが脳裏を過ぎりながら、Cafeの中へ入っていった。


                


   室内はとても古めかしい装飾品が置かれていた。それは、わたしの心に安堵感を抱かせる。

             そして様々な風貌の人々が、憩いの一時を味わっていた。

        わたしは、室内の角に一席空いていたので、そこに腰を下ろすことにした。

         しばらくして、給仕がオーダーを尋ねてきたので、Cafeを一杯注文する。

  室内は暖房が効いている。わたしはヨレヨレの革のコートを脱ぎ、物寂しい口に煙草を咥えた。

          そして、マッチを取り出した。火を点けながら回想の続きに浸った。

  「 何故、お前は仏蘭西で働いているんだ?日本は裕福な国だろ?仕事も沢山あるだろう?!」


                 


         わたしは、職場のスリランカ人に言われた質問に、このように答えた。

      「現在の日本の状況に窮屈さと絶望を感じ、祖国を捨てる覚悟でこの国に来た。」

「確かに、日本は裕福だ。衣食住に困る事は無い。だが、裕福な国に生まれたが故に抱く悩みもあるのだ」


               「きっと、あなたには理解できない悩みだろう・・・」

          同僚のスリランカ人は、わたしの答えを渋い表情で聞いていた。


                 そして間を置いてから、わたしに尋ねた。

                  「お前は自分の国が嫌いなのか?」

                        わたしは答える。

                  「今の状況じゃ好きになれない。」

                    同僚のスリランカ人は言った。

 「何故だ?お前の国は戦争をしている訳でもない。貧困に苦しんでいるわけでもない。なのに何故だ・・・」

                        彼は続けざまに

     「俺の国はシンハラ人とタミル人が、アイデンティティーの違いで武力衝突をしている」

      「その為、俺達は子供の頃から闘うことを教わった。そして憎悪を植えつけられた」

        「そして、民族のアイデンティティーの為に闘った。それ故に人も殺した・・・」

  「だが、心の奥で何かが間違っていると思っていた。それは、スリランカでは誰もが思っていたことだ」


               「人々は闘う事に疲れ、貧困に苦しんでいた」


    「しかし、誰も口には出せない。それは、民族のアイデンティティーを否定する事だ」


            「だけど、正直に言うと、その状況から逃れたかった」


        「そしてある日、俺は悟ったのだ。神は我々を見捨てたのだと・・・」


           「俺はその様な理由で、仏蘭西に亡命することにした」

     「そして、この国に来て初めて知ったのだ。幸福とは、裕福とは !! と言う事を」

    「だが、俺は自分の祖国を愛している。そして、俺の家族はまだスリランカにいる」

           「いつか、家族を仏蘭西に呼び寄せて幸福を与えたい」


         「何故か言うと、俺の国では現在の状況じゃ不可能だから・・・」

             その時、わたしは何も言い返すことが出来なかった。

          そして、これらの言葉を聞きながら、自分の答えたことを恥じた。

     その時、同僚のスリランカ人の眼には、生への情熱が溢れていた。生への情熱が・・・

                 このような出来事を回想している隙に

         気がつくとテーブルの上には、いつの間にかCafeが置かれている。  

   わたしは我に返り、Cafeを見つめた。琥珀色の液体の表面には、わたしの顔が沈んでいた。

 そして、Cafeを飲みながら周囲を見回すと、白い髭を蓄えた老人の視線が、わたしを凝視していた。 

        

                 

            わたしは、その老人の視線に戸惑いながらCafeを飲んだ。


      老人の視線は重みがあり、まさに時代に生き証人というような精気を感じさせた。


              様々な苦難を乗り越えた力強さを抱かされる視線。


日本という祖国に嫌気を感じて、巴里に転がり込んだが、所詮わたしは精神的亡命者には成れなかった。


            そして、祖国に愛する人々を残し、自我を貫いた事に恥を知る。


       また、同僚のスリランカ人のような、政治的亡命者の存在を肌で感じたからこそ


                  己の境遇へ不満を抱いた事に恥を知る。


         今、思い返せば全て些細なことだ。彼らの苦しみには足元に及ばない。


    簡単に、「祖国を捨てる」なんて言葉を、軽々しく口にするものじゃないと改めて実感する。


              どうやら、まだまだ蒼い春の真っ只中にいるようだな・・・


                  飲みかけのCafeを喉に流し込んだ。

     冷えた体もだいぶ温かみを増し、さっきまで青味がかった顔にも精気が戻ってきた。

  そう言えば最近、スリランカ出身の Vimukthi jayasunodara と言う映画監督の作品を鑑賞した。


            去年のカンヌ映画祭で、カメラドール賞を獲得した作品。

   La Terre Abandonnée

           ( 邦題 見捨てられた土地 )


          この映画を通して、同僚のスリランカ人の言ったことが頷けた。


                  わたしは、己の傲慢さを痛感する。

           

          わたしには帰るべき国があり、愛すべき人たちが待っている。


  しかし、同僚のスリランカ人は帰りたくても帰れない状況。とにかく生きなければならないのだ。


          そして、わたしも祖国で新たな日々を生きなければならない。


                     愛する人たちと共に・・・


                Muss es sein ?  Es muss sein !!

         <そうでなければならないのか?そうでなければならない !! >


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

                            追記


          今回は、佐伯祐三氏の作品をモチーフにしながら綴ってみました。


       長々とした駄散文ですが、ここまで読んでくれた方々へMerciをあげたい!!


         そして、簡単ながら下記に佐伯祐三氏の紹介と評論を書いておきます。


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


   佐伯祐三氏の絵は外人が巴里に感心した絵ではなく、日本人が巴里に驚いた表現である。


同一の自然も見る眼に依って違う違ふことの事実は、分かりきったことである。


     誰もそれに気付かぬだけだ。佐伯祐三氏は最初にそれに気付いた画家の一人である。


                           ( 中略 )


      日本人が巴里を見た眼のうちで佐伯氏ほど、巴里を良く見た人はあるまいと思ふ。

                                                       

                                                      横光利一


            赤い色を愛した、多少黒ずんだ黄色い色を愛した。毛糸のような。


                 そして彼は、何よりも東洋人の強い黒を愛した。


             私は彼の絵を思ふと、彼が生きている事をハッキリと感じる。


             彼はあの情熱に満ちた赤と黄と黒の画面で私達に話しかける。


                                   昭和五年「形式主義芸術論」 中河与一


                  

                      【佐伯祐三】 ( 1898-1928 )


         1898年(明治31年)大阪に生まれる。中学在学中から赤松麟作の画塾通う。


           1917年(大正6年)上京して川端画学校で藤島武二の指導を受けた。



                  翌7年、東京美術学校西洋画科予備科に入学。


         1923年(大正12年)美術学校卒業後、兄事する里美勝蔵を頼って渡仏。


                 1928年(昭和3年)パリ郊外にて客死。享年30歳。


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February 05, 2006 04:34:51

ジプシーのとき

テーマ:La Vie de Art
                     芸術の都、巴里

 今日では芸術界も商業主義が蔓延り。芸術の境界線が曖昧な時代。死語になりつつあるこの言葉。


だが巴里では、古き良き時代の名残が、まだ微かだが生きている。

 遥か彼方からこの土地に訪れ、己の芸術の為に全てを捧げ、身を沈める芸術家たちが住んでいる街。

       我々日本人も、Ecole de Paris(ヱコール ドゥ パリ)と呼ばれていた時代以来

                多くの芸術家が海を渡って巴里に辿り着いた。

そして名誉や金を手に入れた者。理想が描けず巴里を彷徨う者。又は夢破れ祖国に帰る者。様々だ・・・

   日本人で有名なのは藤田嗣治(ふじたつぐはる)またの名はレオナール藤田(1886~1968年)

         

なんかサルバドール・ダリと同じに臭いがする。つまり守銭奴。個人的には好きになれない画家ですが。


             同時代では、あまり知られていない日本人の画家がいますが。


                  近日中のBLOGで紹介したいと思います。

            ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

                  * ヱコール ドゥ パリ = パリ派

 20世紀前半、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちを指す。出身国も画風もさまざまである。

  印象派の様にグループ展を開いたり、キュビスムの様にある芸術理論を掲げたものでは無い。

      そうした意味では「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」でも無い。

アメデオ・モディリアーニをはじめ、個性的な画家が多く、後の世代の画家たちへの影響も大きい。

                       

                                              Wikipediaより抜粋

              

            ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

          そして現在に至り、この巴里幻想は現代の芸術家にも宿っている。

   巴里に集まってきた芸術家志望。又は売れない芸術家達は、いつも簡素な服装をしている。

 La bohme(ラ・ボエーム)とはGitanes(ジタン)やジプシーという意味を芸術家に向けた仏語。

            もう一つの意味は、チェコ共和国のボヘミア地方を指す。

           この土地は多くのジタンが居住していたから皮肉で使われた。


   売れない芸術家たちは、ジタンのように妨げられた存在として見られているのだ・・・

      

             上記画像はフランスの老舗タバコ。Gitanesです。

       いつ見ても飽きの来ないデザイン。そして極上のセンスを感じられます。

   Serge Gainsbourg(セルジュ・ゲンズブール)の愛用で有名だと個人的には思うのですが。

  

      

  ジタンを片手に彼は何を夢想しているのか?そして彼とジェンー・バーキン。絵になる二人です。

           昔はスノッブな彼に憧れました。今はそれほどでもないですが・・・

      何故かというと、スノビズム(俗物主義)は僕の思想に合わないと判ったからかな!!

そう言えば、オペラにもLa bohmeと言う舞台がある。作曲者はジャコモ・プッチーニ(1858-1924 ) 

                       

                       それでは本題に入ろう。


  現代のLa bohme(ラ・ボエーム)たち。実はパリ市内にアトリエを構えているコミューンがある。


 このアーティストコミューンを知った経緯は、或る日本人の方からココの撮影を頼まれたのが切欠。


具体的に何処に存在するかは秘密。観光名所にはしたくないので興味ある方は自分で調べてください。

                      その名は Les Figos

               


    この敷地内には、巴里で活躍する様々なアーティスト達が、創作と居住を兼ねて住んでいる。


アーティストが住み着く以前は、Les Figos(ラ・フリゴ)という名前の通り冷凍保存庫として使われていた。


          僕は一度、フランスの友人のJAZZリハーサルをこの館内で撮影した。


                そして、映画でもロケに使われた事がある。

         館内を覗いてみたい方は Friched.net をクリックすればご覧になれます。


 このWebサイトはEU圏内の廃墟を紹介してくれる。世界中に存在する廃墟マニアには堪らないだろう。


       僕自身、廃墟を見つけると何故か心が惹かれてしまい、つい写真を撮ってしまう。


               このように廃墟には不思議なものを感じてしまうのだ。


  奇妙と思われる人もいるだろうが、何故か心が落ち着くのである。そして夢想に浸れる場所でもある。


                          4~5年前かな?


     僕が東京に住んでいた頃。原宿や代官山に同順会アパートというのが存在していた。

   現在、その建物は解体され、その敷地にはモダンなアパルトマンが建っているのだろうか?!


            なんとも味気ない。日本の行政には本当にウンザリさせられる。


   これはEUと日本の文化の決定的な違いである。破壊と創造。いやっ、建造の文化Japon!!


               はっ、つい取り乱してしまいました。すみません。


          そして今回、記事を書きながら思い出した映画が2本ありました。


         

   監督はエミール・クストリッツァ 。旧ユーゴスラビア製作。本編に流れるサントラがお勧めです。


        


 それと、フィンランドの奇才アキ・カウリスマキ の人生讃歌。La Vie de bohême(ラヴィ ド ボエーム)


                このように現代に生きるLa bohme(ラ・ボエーム)


   けして彼らは裕福じゃない。だがアーティストは内なる創造をしているだけで幸せなのだと思う。

   生活の為には最低限の物があればいい。物が心を満たしてくれるのは、ほんの僅かの時間だけ。


     これは個人的な思考なので、全てのアーティストに当てはまるかは定かでないが。

                     芸術から学ぶことはとても尊い。


確かA・ロダン曰く。「芸術とは自然が人間に移ったものです。肝心なのは鏡を磨く事です」と言ってたな・・・


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