こんにちは、NAOMIです。

 

 

古谷えりかさんの

継続講座「美女の繁栄法則」3期生

(2024年春卒)

 

生きづらかった幼少時代から、

ウツになった20代を経て、

少しずつ楽に生きる方法を

身につけてきた結果、

高学歴ニートを無事脱出。

2020年に大好きな人と出会い結婚、

2023年に男の子を出産しました歩く

 

2024年秋に

この世界の仕組み、真理が

やっと腑に落ちて、

探求を(一旦)終えダイヤモンド

 

今度はそれになじみ、

それを活かして

人生を楽しむステージへ

向かっていますアップ

 

これからは私の世界にいる人たちが

どんどん軽く楽しく、

生まれてきてよかったかも♡と

思えるように、

私が実際に楽に、安心して豊かに

生きられるようになった

学びやものの見方を

みなさんにお伝えしていきます赤薔薇

 

こちらの記事で書いた話の続きですが、「魂目線で肉体・個体・エゴの自分を動かす」とはいったいどういうことなのか??が、ずっとわかりませんでした。

 

 

  • 魂・源・神=プレーヤー(ゲームをプレイしている意識)
  • 肉体・個体・エゴの自分=キャラクター(スーパーマリオブラザーズのマリオやルイージやピーチ姫)

 

だとして、

 

「プレーヤー目線でキャラクター(NAOMI)を動かすって、どうやって???」という感じでした。

 

 

それが今朝、運転中に体感として、やっとつかめました。

 

その答えは、「愛でいる」こと愛飛び出すハート

 

(いやー無理でしょ。というそこのあなた!!ちょっと待って!!

最後まで聞いて〜!)

 

 

愛でいるとは、どういうことか?

 

個体の私が目に映るもの全てを愛する、のではなく(それだとしんどいので)愛のエネルギーで存在するんです。愛そのものである。


愛の波で揺れている感じ。

まさに女神の周波数です。特定のなにかを愛するというより、愛そのもので存在する。

 

こうして「愛でいる」をやっていると、「イラッ」としたり、不安になったり、「今、私どうみられてるかしら??」などエゴの私に引き戻される瞬間が必ず訪れます。

 

そのときがチャンス!

 

 

エゴの私の特徴は、「不安や恐れ」です。そこを見抜くんです。

 

 

たとえば、愛でフワフワ〜も と運転中にブーン!!と後続車に追い抜かれ、前に割り込まれた!!

 

「何なん??ムカ〜ーー!!!ナメんなよっ!!」

 

と瞬間的に怒りが出てきた!!

 

 

 

こういう時、怒りの奥には、「恐い」、「自分は弱い」など、何らかの恐れを感じています。ちゃんと目を向けると、みえます。

 

「あ、今、恐い、というのが出てきてたな」と見る。追い抜いてった運転手にガンを飛ばすのではなく、自分の心のなかをみます。

 

 

じっとみたら、まず「大丈夫だよ」となだめます。←これがすでにプレーヤー目線!

 

エゴの自分の不安や恐れを、泣いている赤ちゃんをあやすように、なだめる。

 

 

すると、エゴの自分と、プレーヤーの自分の両方の立ち位置にいる状態になります。

 

 

そうやって不安や恐れを「ヨシヨシ、大丈夫、大丈夫」となだめていると、「本当はこう感じていたいラブラブ」が自動的に出てきます。

 

「安心していたい」

「今、この瞬間を楽しみたい」

「幸せを感じていたい」

愛でいたい」← これ、実はみんな抱いている願い。プレーヤーの願いでもあり、エゴの本当の願いでもある。

 

じゃあ、それをしよう、でオッケー。愛でいることを選ぶだけです。

 

 

これを日常生活で続けていくと、自然とプレーヤーの自分とエゴの自分のダンスができるようになっていきます。それがとっても気持ちいいんピンク薔薇

 

最初はなかなかできなくても、後から思い返して、ノートで恐れ→愛の変換作業をして練習すればオッケーですグッ100点

 

 

 

以前、「目に映る人みんなに愛を向ける」という実験をやったことがありました。

 

これ、確かにすっごく気分が良くなるんですが、続かないんです。しんどくて。

 

なぜしんどかったかというと、「エゴの自分の視点のまま」無理やり「愛そう」としていたから。

 

エゴの自分は、エネルギーが超ちっさいし、いっぱいいらないデータを持っているので重いんです。それを無理やり、魂や神様、源のプレーヤー目線に合わせようとしても、しんどいだけ。

 

でも、プレーヤー目線と、エゴの目線の両方を持っていたら、しんどくないし、楽しいし、恐れをひとつずつ手放していけるので、一石二鳥です。鳥

 

 

   

 

 

もうひとつ、タイトルの「場でいる」、というのは、「愛でいる」というのと同じことです。

 

場というのは、思考という雲が浮かんでいたとしたら、その雲が浮かんでいるお空のこと。

 

思考(雲)そのものになるのではなく、思考が通り過ぎていく意識の場(青空)である、という感じです。場でいると、愛でいやすいです。場=本来の私です。

 

 

 

ここに書きましたが、この世界は私たちの肉体を含めて、すべて素粒子でできています。

 

その素粒子は、量子真空(ゼロポイントフィールド)という無限のエネルギーの満ちた場から発生しています。カンタンに言うと。

 

その量子真空に充満しているエネルギーに近いのが、人間が「愛」と呼ぶ状態だと私は感じています。

 

なので、「場」そのものであろうとすると、自然と優しい、慈愛に満ちた気持ちになります。「場でいる、愛でいる」と、自然とプレーヤー目線でいられるのです。

 

これをずっと練習していると、どんどん頭の中が空っぽになっていきます。

 

ポカーン(꒪⌓꒪ ) (꒪⌓꒪ ) (꒪⌓꒪ )

 

温泉に浸かっているみたいな…照れ照れ照れ

 

魂、神様、プレーヤーからの叡智が流れ込んでくるのは、こういう状態のときです。

ぜひ試してみてくださいピンク薔薇

 

 

<まとめ>

肉体・エゴの自分が魂、本当の私の思う通りに動いてくれないのは、エゴの自分が恐れで固まってしまうから。

その恐れを直視して愛に変換することによって、まず生きるのか楽になるし、自分の望む好みの現実を現実を創っていくことができるようになります照れキラキラ

 

 

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