【目次】
・#001 いろはのいーちゃん
・#002 まどか
・#003 寿美子の探し物
・#004 三十秒の案内人
【立ち読み】
【いろはのいーちゃん】
いつもの道をいつものように歩いていたら、不意に背後から声をかけられました。
「ねぇねぇ~。ねぇ~ってばぁ~!」
人懐こい少女の声で、いきなりなんだ?と思った私が驚きながら振り返ると―― 私は思わず我が目を疑いました。
確かに普段着姿の幼い少女がそこに居ました。
何故か彼女は、頭に枯れた榊の葉を乗せていました。
森の中とはいえ、屋外なだけあって、多少はひんやりとした風が吹いているというのに、彼女の頭上の枯れた榊の葉は微動だにしていません。
まるで帽子でもかぶっているかのように......彼女の頭の上にちょこんと乗っています。
その時点でオカシイです。
ヒトではないな、と思って私が警戒していると、
「全然遊びに来てくれないから、呼びに来たのぉ~。ねぇねぇ遊ぼうよぉ~。遊んでよぉ~!」
と、少女が言いました。
「アンタとは遊べないし、遊ばないから、帰って」
私は敢えて冷たくにべもない言い方をしましたが、少女は怯みません。
「えぇ~!遊んでよぉ~!」
「帰って」
「……」
「帰れって言ってんのっ!」
「……」
少女はふてくされた表情で回れ右をしました。
私も回れ右をしてその場を移動すれば良かったのですが、その時の私は何を思ったのか、思わず少女に声をかけてしまっていました。
「あんた、誰?」
「?」
「名前は?」
後ろを向いていた少女は、弾むように振り返り、満面の笑みを浮かべながら即答しました。
「いーちゃん。いろはのいーちゃん」
「……は?」
首を傾げた私に、にんまりと不気味な頬笑みを浮かべながら彼女は続けました。
「いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん」
【まどか】
中途半端に焼け残っている一軒家に通い始めてから、今日で四十九日目。
もし、今日で決着つかなかったら...あたしはこの音楽業界を、去る。
それが『逃げ』なのか、『責任をとる』ことになるのかわからないけれど……、目に見えるカタチでのアクションとしては、それしか思い浮かばないから……。
それくらい強い決意なんだと言うことを伝えたくて、あたしは今夜も声を張り上げる。
「ねぇ、まどか。居るんでしょ?聞こえてるんでしょ?聞こえてるから、ラップ音とかそこらへんの瓦礫とかぶつけてくるんでしょ!」
ピシッと空気が妙な音を立てた。
『うるさい!しつこい!いい加減、気付け!いくらお姉ちゃんでも、同業者は信じないって前から言ってんじゃん!』
怒りやイライラの波動が伝わってくる気がする。
間違ない。
視えないけど、今日も妹はココにいる。
……たぶん、心残りで離れられないんだと思う。
妹の魂を自由にしてあげたくて、あたしは想いをコトバにする。
「あたしだって、業界で騙されたり嵌められたり、嫌な思いもしたことあるから、まどかの安易に同業者を信じられない気持ち、わかるよ?」
『わかるなら、構わないでよっ!あと少しで完成だったのにっっ』
いきなり突風が吹き、あたしはよろけた。
「まど……か……?」
『あと少しで完成だったのに……あと少しで完成だったのに……待ちに待った初めての大仕事だったのに……』
風が……空気が……哭いているようで……やりきれなくなる。
『あれは私の作品!誰の手も加えさせない!みんな狡いから、絶対、自分の名前に名義書き換えて商売にしようとするよ!そんなの、絶対、嫌だ!許せない!あれは『未完』なんだから、あの曲は未完のまま、誰の目にも触れなくて、いい!』
不意に、ぽつり……と冷たい滴が落ちてきた。
雨かと上を見たら、焼け残りの天井の隙間から綺麗な満月が見えた。
……妹の泪か、と胸がしめつけられた。
【寿美子の探し物】
「大学は日本にするん?」
「まだ決めてないし、ちゃんと考えてない。あたし、やりたいコトあるし」
「何やりたいの?」
「音楽」
「音楽?」
意外だ、という表情で長男の伯父が訊いてきた。
「歌?楽器?民族的なもの?」
民族的なもの……?
あたしは心の中で苦笑してしまった。
かれこれもう5年程、あたしは親の都合でインドネシアの首都・ジャカルタに住んでいる。
インドネシアと言えば、おそらく『バリ島』くらいのイメージしかない『オトナたち』なので、何度説明しても、時間が経てば、彼らの中では、ウチの家族はのんびりしたリゾート地で現地の人たちに溶け込んで芸術活動をして暮らしている、という先入観イメージ
に戻ってしまうらしい。
「いや、何度も言ってるけど、ジャカルタは首都だし、都会なんだってば!東京とか大阪とかと同じ!」
「でもさ、インドネシアやろ?」
「うん」
「アメリカでジャズ、とか、ヨーロッパでクラッシックに目覚めた、とかならわかるけど、インドネシアで何に目覚めたん?インドネシアの有名な音楽って、なんかあったっけ?」
『オトナたち』は、興味津々なまなざしであたしを見ている。
「インドネシアには伝統音楽もあるし、ガムランも有名です!」
「あ、そうなん?」
「ガムラン?聞いたことないなぁ~」
「でもね、あたしがやりたい音楽は、J-POP。シンガーソングライターになりたいの」
「え?J-POP?」
「シンガーソングライター?」
「自分で歌詞書いたり、曲作ったりするあれ?」
「――あらまっ!」
すごい!とか、ほんまに?とか、中年男女が口々に驚く中、年若い女の声が混ざったのを、あたしは聞き逃さなかった。
しかも、咄嗟に出たであろう言葉が「あらまっ!」ってどんな人?と気になり、声がした茶の間の出入口に視線を移してみた。
すると、少しだけ開かれた引戸からそぉーっと中の様子を窺っている、見慣れないコとしっかり目があった。
そのコはあたしをとらえてギョッとした表情になった後、大慌てでくるりと踵を返した。
(え?何その反応?なんで脱兎のごとく逃げるかな?)
別に気分を害したわけではなく、純粋に彼女の言動が気になったあたしは、『オトナたち』に「ちょっとトイレ」と言って茶の間を出た。
「ねぇ、ちょっと待って!」
電気がついていない、薄暗い部屋の先にある2階へ続く階段を上ろうとしていた彼女は、あたしの呼びかけに足を止めた。
あたしは小走りで近づき――絶句した。
(え?嘘!!なんで?)
足は止めたもののこちらを振り返らない彼女の後ろ姿を見て、あたしは理解に苦しんだ。
彼女は、華やかな着物姿、だったのだ。
「――『喪服』の試着をしてた、って言うのならわかるけど.……なんで……?」
あたしは呆然とつぶやいていた。
「……」
彼女は振り向きも即答もせず、ややあってからなんでもないような口調と声音で返した。
「この着物、気に入ってるんよ」
「――は?」
「今風に言うたら、『勝負服』?」
「――?」
このコ何言ってんの?と奇妙に感じたあたしは、反応に困ってしまった。
それを知ってか知らずか、彼女は続けた。
「それに、今しばらくは皆、自分のことしか見えてないから......大丈夫」
「……」
「自分以外の誰かの姿や行動は、目に映ってるだけで、いつものようにきちんと認識できてる状態やないから、――誰にも見つからへんわ」
「――」
言ってることの意味が分からず、かといって、無言で逃げ出すようにこの場から離れることもできず、あたしは途方に暮れてしまった。
そうしていると、ゆっくりだけれど唐突に振り返りながら、彼女は言った。
「美子(みこ)、今年はえっらい到着早かったね?どうしたん?」
あたしは彼女をまじまじと見たけれど、誰だか分からなかった。
(年齢が近そうな従姉妹で、こんなに品があって美人の部類に入る人、いたっけ?)
一度会ったらまず忘れないであろう独特な雰囲気なのに…….と思うのと同時に、
「――なんであたしのコト知ってるの?……ごめん、あたしは貴女が誰かわからないのに」
と、あたしは率直な思いを口にした。
彼女は可笑しそうに笑いながら答えた。
「知ってるに決まってるやないの!総勢何人かわからんくらいの大所帯の中で、唯一、海外暮らししてるんやから!」
「――あ、なるほど。それで.……か」
あっさり納得して多少警戒心を緩めたあたしの傍らで、彼女は階段に腰を下ろした。
「で、なんで、今年に限って到着が早かったん?偶然?」
祖母が亡くなってしまった今、もう誰にも隠す必要はなくなったので、あたしは壁に寄りかかりながら答えた。
「実は、おばーちゃんが倒れて余命3カ月だって言われた時、おばーちゃんにはそれは伝えない方向でってことになったから、万が一に備えて、誰にもナイショで一時帰国することにしたんだ。ウチの家族」
「え?あの時から日本に居たん?」
「うん」
彼女は目を丸くした。
「が……学校は?」
「休学」
「――っ!」
思いきり驚かれて、何故かあたしはバツが悪くなってしまった。
「学校なんてどうにでもなるし、どうでもいいんだ。あたしもおかーさんもおばーちゃん大好きだから」
「……」
「おばーちゃんに残された時間が短いと確定されたからには、おかーさんにしてみれば嫌だろうけれど、それでも、親の死に目には会いたいだろうし、海外に住んでたら、何かあっても飛行機都合ですぐには駆けつけられないから必要以上に心配になるし、気になって気になって何も手につかなくって日常生活に支障でまくると精神衛生上よろしくないのが目に見えてたから、迷うことなく、おばーちゃんの近くで生活しようってことになったの」
「……ワイルドやな……」
あからさまにドン引かれてしまい、あたしは苦笑するしかなかった。
「どこに住んでたん?」
「隣町」
「――え?ほんまに?」
興味津々なまなざしになったり、ドン引いたり、驚いたり......彼女の表情はくるくる変わる。
それが愛らしく見えるので、仲良くなれたらいいな……と思うようになっていた。
「確かに、そこそこの親戚がこの街だったり隣町だったりご近所さんに住んでいるけれど、おかーさん、嫁に行くまで地元だったから土地勘あるし大丈夫って自信満々だった」
「――ほんま、相変わらずワイルドな性格やな……」
「おばーちゃんに似たんでしょ?」
「せやな」
あたしたちはたぶん、お互いに祖母の事を思い出していたから泣き笑いに近い表情になってしまったんだと思う。
このまま沈黙が続くと、少なくてもあたしは泣きだしそうだったので、話題を変えた。
「で、話変わって話戻すけど、名前、教えてくれる?」
「寿美子(すみこ)」
「――――はっ?」
あたしは素ですっとんきょうな大声をあげてしまった。
何故なら、『寿美子』は、祖母の名前なのだ……。
「……マジで?」
人のコトは言えないくらい全力でドン引いてしまったあたしに、『寿美子(すみこ)』は言う。
「そんなに驚かんでも……」
「……あ、いや、うん、え……あ、ごめん」
あたしはわけのわからないことをしどろもどろに口走っていた。
そんなあたしを見ながら、『寿美子(すみこ)』――彼女は可笑しそうに笑う。
「あんたかて、『美子(みこ)』やん!」
「あ、うん、そうだけど……」
(やっぱり、同類、って思われてるのかな?)
あたしは少々胸中複雑になってしまった。
五人兄妹の末っ子として生まれた母は、祖母にしてみれば超高齢出産だったにも拘わらず、五体満足で生まれてきたし、待望の女の子だった。
狂喜乱舞だった祖母は、自分の名前から一字とって『寿子(ことこ)
』と名付けた。
そこまでなら、よくある話。
母・寿子(ことこ)は、祖母・寿美子(すみこ)と一緒に過ごせる時間が他の同級生たちより短いことを、仕方ないと納得していても寂しいと感じ、自分の子どもにはこんな思いは絶対にさせない、と結婚願望が強く、結果、十六歳で結婚。
十八歳の時に、あたしを産んだ。
十六歳とはいえ、幸せな結婚をした母だし、このテの話もよくあること。
ここから先が……笑えるんだか笑えないんだか微妙な話になってくる。
祖母が『寿美子(すみこ)』で、母は『寿子(ことこ)』。
そこにまた娘が生まれたものだから、『美』の字を使えば、娘と孫娘の名前で祖母の名前になる、と祖母と母が面白がった結果、あたしの名前は『美子(みこ)』になった。
あたしとしても気に入っている字面だし名前なので、問題はない。
基本、母方の人間は、『面白ければ事実なんかどうでもいい』というノリで、話を盛大に盛る傾向がある関西人。
なので、いわゆる『キラキラ・ネーム』のイトコやその子どもたちも少なからずいる。
匙加減が絶妙なので、ギリギリ世間一般でも許容範囲だと思える『キラキラ・ネーム』の親戚たちだと思っていたけれど……。
「おばーちゃんと…….同じ……名前……」
「……」
驚愕するあたしを、彼女はにこにこしながら見ている。
名前の由来も、その『いわゆる勝負服』だという華やかな着物を『今』着ている理由も…….色々と突っ込んで訊いてみたいけれど……どこから何をどう訊けば穏やかに知りたいことを知ることができるだろうか?
あたしが慎重に言葉を選ぼうと考えていると、不意に彼女が言った。
「今、暇?」
「――え?」
話題が変わってしまったので、とりあえず、話の腰を折るのは止めようと思い、あたしは答えた。
「あ、うん。こんな夜更けだし、何か手伝いに駆り出されることはないと思うから、今しばらくは暇かな……」
「じゃあ、探し物、手伝ってくれる?」
「探し物?」
「そう」
「うん……わかった」
あたしが快諾すると、彼女は嬉しそうに階段を上がった。
「え?上で?」
後に続きながら、あたしは戸惑った。
「うん。部屋には無かったから、向かいの物置きだと思うねや」
「え?部屋には無かった……って、おばーちゃんの部屋のこと?」
「そうや。……あ、美子(みこ)は聞いてへん?早い者勝ちで、何か気に入った物があったら、とりあえずよけといてええねんて」
「え?あ、そうなんだ……。聞いてなかったから、知らなかった……」
「ま、孫たちにしてみれば、欲しいと思えるモンなんて無いやろけどな」
「うん、確かに」
そんな会話をしながら、あたしたちは2階に上がった。
2階は2部屋で、祖母の部屋と大半が祖母の私物だという『物置』がある。
話には聞いていたけれど実際に足を踏み入れたのは初めてで、『物置』と呼ばれるくらいだから、とりあえず物を放り込んでいるだけの埃とクモの巣だらけでカビ臭い部屋だと覚悟していたけれど……。
「……」
きちんと整理整頓されていて、掃除もしっかりされている室内に……驚いた。
所狭しと並べられ、可能な限り押し込められている物の多さが、そこが『物置』だということを如実に物語っていた。
【三十秒の案内人】
闇。
音もなく、広さも高さも何もわからない深い深い無明の空間で独り、あたしは膝を抱えてうずくまっている。
ただ存在しているだけの、あたし。
心の中で数えきれないくらい繰り返されるのは、事実。
『たられば』的な感情は、生まれない。
それなのに、やりきれない。
ざわざわと落ち着かないココロを持て余し、あたしはまたあの光景をそっとなぞり直す。
気づいた時には、遅かった。どうしようもなかった。踏ん張った。意味はなかった。
そのまま衝突する。
重たい衝撃と、詰まる息。
全身を駆け巡る激痛に、呼吸ができない。
声も出ない。
気づいたら、あたしはあたしでなくなっていた。
一瞬の出来事。
わざとじゃない。
でも、不可抗力でもない。
「……」
苦しさにぎゅっと目をつむり、唇を噛みしめたその時――。
まぶたの裏で、閃光が走った。
同時に、耳をつんざくような爆音・悲鳴が響き渡ったような気がした。
……空耳、なら良かったのに。
現実だというその証拠に――
「仕事、だ」
威圧感のある一言が、闇に響いた。
頷くなり返事するなり……の、あたしの反応を待つまでもなく、いつものように一方的に状況が変わった。
明るく開けた視界の先には、きょとんとしている老若男女が多数いた。
その人数に、胸が痛む。
※
そこは、明るかった。
ただ明るいだけの、空間。
奇妙極まりないその場所で、人々は思わず素の自分をさらけ出していた。
あたしは軽く息を整え、『仕事』の表情になり、パンパン!と手を叩いた。
「はいはーい!注~目っ!」
底抜けに明るい大声でそう言うと、数人が驚きを隠さずにあたしを見た。
構わず、あたしは自分のペースで続ける。
「結論から言うとね、貴方たち、死んじゃったから」
「?」
大多数が、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情になった。
あたしは声に出さずに、ゆっくり十秒数え始めた。その間に、錯乱したり発狂したり…….といった、挙動不審者が出て来なければ、経験上、比較的楽に任務遂行ができる。
ここ十年から二十年くらいかな?日本は随分と様変わりをした。
何がきっかけかは知らないけれど、良くも悪くも、自分で考え、自分で判断して行動に移し、場合よっては自分できちんと責任をとる、といった、あたしが中・高・大学生の頃は当たり前だった感覚が、最近の若者にはほとんど見られなくなった。
基本、受け身。
足掻く、ということをしない。
結果は覆せなくても、できることは全て全力で試した、という事実があれば、気の持ちようは変わり、気持ち新たに前を向けると言うのに……それすら気づかない。
思いつかない……みたいに感じる。
ま、言われるがまま素直に従ってくれる方が、こちらとしては楽だからいいんだけどね。
いつもと同じようなことを思いながら、数を数えていたら――。
ひとりぽつんと離れた場所で腕組みをしながら虚空を睨み据えていた、目つきの鋭い二十代であろう男が、我に返った様子で強く反応した。
「……どういうことだ?」
この場にそぐわない冷静さに、あたしは彼をまじまじと見つめた。
虚勢を張っているわけではなさそうなところに、あたしは興味を抱いた。
最終的に、コイツはどう取り乱して、どう現実を受け入れるのかな?……と。
あたしは、この場にいる全員に聞こえるよう、大きな声でゆっくりと答えた。
「聞えなかった?死んだのよ、貴方たち。全員。乗っていたバスが事故ってね」
――っっ!
あちらこちらで息を飲む気配がした。
ややあってから、お決まりの、現実否定の言葉や悲鳴が飛び交い始めた。
いつものように、彼らが疲れ果てておとなしくなるまで待つあたしへ、先程の男が歩み寄って来た。
「あんた、何者だ?」
「見ての通りよ」
あたしは冷めた笑みを浮かべながら、気取った仕種で制帽に軽く手を添えた。
男は上から下まで注意深くあたしを見ながら、胡散臭そうに言った。
「なんで、冬服なんだ?」
「――え?」
思わず、あたしは面喰っていた。
「今、お盆だろ?」
「え?――あぁ……そうなんだ今――、いえ、そうね、お盆ね。お盆だから、超格安夜行バスが横行して事故が絶えないのよねー―っ」
そうだったそうだった、と、あたしは最近、『仕事』が立て続けだった理由を思い出した。
男は胡散臭さを更に強くして、言った。
「今どき、クール・ビズやってないバス会社があるとはな」
「……」
クール・ビズ?
あたしは内心、首を傾げていた。
そんな言葉、聞いたことがなかったからだ。
「ま、バス会社の社則なんてどうでもいいけど。……あんた、俺らが乗ってたバスの運転手じゃないな」
男は警戒したまなざしであたしを見ている。
「へぇ~、いちいち運転手の確認してるんだ?」
あたしはますますこの男に興味を抱いた。
「当たり前だろ」
「なんで?」
「乗客は運転手に命を預けてるんだ。特に夜行バスなら、運転手がどんなのかよく見ておく必要があるだろ」
「見たところで、何も変わらなくない?どうぜ、乗るんだから」
「俺は乗らない」
「――え?」
「今は女性の運転手も増えてるから、男女の違いだけで判断はしないけど、男女問わず、頼りなさそうだったり、どことなく具合が悪そうに見えたりしたら、俺は乗らない」
「払い戻しがなくても?」
「ああ。.……『命』は『金』じゃ買えないからな」
「……やけに『命』にこだわるのね」
「……」
男はそっけなく視線を逸らした。
そこを見計らってか偶然か、我を見失っている別の若い男があたしへ詰め寄って来た。
「事故ったのか!?お前が事故ったのか?」
血走った眼差しで胸倉を掴もうとしてきたのをさらりとかわし、あたしは答える。
「違うでしょ。落ち着きなさいよ。貴方たちの運転手は、定年間近の、恰幅の良いオバチャンだったでしょうがっっ!」
一応、これでも、25歳のあたしなので、オマエは乗車の際、一瞬でも運転手を見なかったのか?と、くだらないところでイラっとしてしまった。
「見なさいよっ!」
ぱちん、とあたしが指を鳴らすと、何もない空間に異変が起きた。
誰からでも、どこからでも見やすいであろう位置に、思わず目をそむけたくなる阿鼻
叫喚な事故現場が無音で映し出された。条件反射で、皆、その先へ行こうとしたが、透明な何かに阻まれて進めない。
「なんだよ、これ!」
皆、全身全霊で叩いたり蹴ったり押したりしているが、立ちはだかっている見えない
壁は、うんともすんとも言わない。
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