【第一章】 廃工場街の蒲公英
モナコロスにとってタンポポの存在は特別だった。
タンポポは自分の意思で種子を飛ばしているのだろうか。否、風という大きな存在に支配されているのだ。
自分がバスの運転手をしているのは自分の意思なのか、それともプログラムなのか。タンポポを見ているとふと考えるのだ。
今日も決まった時間に事務所に出向き、部屋の奥のホワイトボードの横に掛かったモナバスの鍵を手に取る。モナバスは事務所の裏に止まっている。
モナバスはモナコ戦争以前の文明の遺産だった。
かつては銀河間をも走り抜けていたという。今では装甲も鉄板廃材だし、エンジンも焼き付いており、ふかせば煙を吹くただの廃バスである。
移動区間も廃工場の敷地内の移動に使われる程度である。もっともそうは言っても廃工場はかつてはモナコロジアの技術の中枢で従業員人口は1億を超え、工場敷地内には従業員の住居まであったので、もはや星の規模の工場街だったのである。だからモナバスは今でもちょっとした長距離運行バスなのである。
モナコロスは鍵を頭の横に着いたネジに引っ掛けてバスのところまで行くのが癖だった。
バスの前まで来るとキコロスに挨拶をするのも日課である。
キコロスはモナバスに搭載された人工知能である。彼女はモナコロスの良き話し相手だった。
キコロスの人工知能はモナコロスのそれとは違っていて、複雑な感情までは持ち合わせていなかった。それでも口を効かないこの街の住人達よりはモナコロスにとってはよっぽど人間味に溢れていて親しみを覚えていた。
キコロスと挨拶を交わし、ちょっとした会話をしたあと、モナバスに乗り込み、頭にかけた鍵を起用に頭を振ってはずし、その鍵を勢いよく鍵穴に指して回す。
そのテンポがモナバスのエンジンをかけるコツなのだ。
エンジンがかかってからもルーチンワークである。決まったバス停でいつもの乗客が乗ってきて、いつものところでその乗客は降りる。
モナバスには”次止まります”のボタンが付いているがモナコロスにとってそんなボタンは意味がなかった。どこで止まるのかは記憶しているからだ。
モナコロスにはロボットらしい一面もあり、記憶したことは忘れようとしない限り正確に記憶しているのだ。
それでも月に一度は工場停電があって、そんな日は工場街の住民達は月に一度の休日にもなるので、乗客に変化がある日もあった。
モナコロスはその日を楽しみにバスの運転手をやっている。自分の記憶と違うことが起こるということはモナコロスにとってはちょっとした刺激だったのだ。
そして、今日はその工場停電の日だった。
偶然なのか ー
モナコロスは、朝から感じていた胸騒ぎが何なのかまだ分からなかった。
これまでも工場停電の日はあったし、その度にワクワクしたものだった。
しかし、今日は違った。
胸騒ぎ、それはモナコロスにとって初めての感情だった。
モナコロスはふと思った。
ー自分はもうタンポポではない。
「第2章 新世界」につづく