2010年記事の書き直し「また役所と裁判所の談合判決」三権分立もまた幻想。変えるには政治から投票 | 名古屋市発、来る清須市長選、政権与党イコール悪を忘れず、投票を。

2010年記事の書き直し「また役所と裁判所の談合判決」三権分立もまた幻想。変えるには政治から投票

建築確認、愛知県の過失認めず=コンサル会社は監督責任-耐震偽装ホテル訴訟・高裁
 姉歯秀次・元一級建築士(53)=実刑確定=による耐震強度偽装事件で、強度不足が判明した愛知県半田市のビジネスホテル「センターワンホテル半田」の運営会社が、建築確認を怠ったなどとして、県とコンサルタント会社「総合経営研究所」(東京)などを相手に約2億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判が 29日、名古屋高裁であった。岡光民雄裁判長は「建築確認で県に過失があったとは言えない」として、県の責任を認めて賠償を命じた一審名古屋地裁判決を変更し、県への請求を棄却した。



「引用元:yahoo ニュース」

 



告発者の本だったんだ。参考になりそうだ。旧エディタでのピックの使い方ができるようになった。あてにはしてないが、使えそうだ。

 








 知っている人は知っている。知らない人は不謬の裁判所を信じる。







 裁判所は、役所の回し者といっても過言ではない。役所の絡む裁判に関して、個人もしくは民間団体が勝ったというのはごくごくまれ。







 裁判所と役所は談合しているのではないかという疑いさえもたれる判決内容が多い。上級裁判所になればなるほど、そうなっていく。







 行政を勝たす裁判官が出世するという暗黙の了解があるとも言われているし、予算を行政側が握っており、そのためとも言われている。







 いずれにしても、行政相手の裁判では負けることを前提で争う以外にはない。聖書の中のイエスのたとえ話に裁判官に「公正な裁判をしてください」と付きまとっても、公正な裁判は期待できない。







 行政の利権と、法曹村の利権の絡まない裁判のみが、公正な裁判をする前提となっているのだから。







 裁判官の独立は、裁判官が偏った判決を書こうと責任をとらないといった風に悪用されているのと、最高裁事務局による、出世により、公正な裁判をしたくでも出世を望めば最高裁事務局の意向すなわち行政側を勝たせるという判決を書くよう無言の圧力を受けている。







 独立した裁判官といっても、最高裁事務局の意向で出世も出来れば、左遷もある。
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 裁判官の独立は権力機構の暴走を止めるためにあるのだから、法曹村の利益保護のためのゆがんだ判決の際は弾劾裁判の対象にすべきだし、他の権力組織に対抗するときは、裁判官の独立を保護するようにしたらいい。







 権力組織同士の癒着が、公正な裁判をゆがめているのだし、まったく別の意味での憲法裁判所もあってもいいのではないかと思う。

この国に信用できるものはないな。

>この時に比べて私の知識も経験もまた増えたということだろうか?

>裁判所が行政と癒着しているのは、予算権を握っているのが行政というところは変わらない。最高裁長官人事と握っているのが内閣で、さらに、最高裁事務局がすべての裁判官の人事権を握っているというところから始まっている。

>間接的にとはいえ、行政が私法を牛耳っているのも明らかだし、さらには、判官交流で、法務省と裁判所を出向で行ったり来たりしており、時には裁判官が法務省に出向し、行政の代理人として裁判に臨んだり、そうしたものが裁判所に戻って判決を書いたりもする。

>時には、行政の代理人をしていた裁判官が裁判所に戻って判決を書いたりすることもあるという。

>こんなでは、まともな判決は期待できないのは明らかだ。利益相反が当たり前のように裏で行われているのだから。

>この国の権力システムはすべて「はりぼて」ということなのだろう。

>建前上とはいえ、民主主義、最後の砦は、選挙でまともな政治家がシステムを変えるということだが、これもまたかなり厳しい。

>毎日書いている通り、清須市だけではなく、国、地方の大半が犯罪者集団、自民党に毒されているものばかりだからだ。



 





 





 




>一人でも多くの人が気づいて、今の行政の体制を変えるものを政治家に推すため、それとともに今政治家の椅子に居座っているものらを落とすための投票に生き続けることが唯一の手段ということになる。

>私もまた、やるだけやってだめなら、とっとと日本を捨てる選択を取ろうと思う。変わるならまだ済むことも考えるが、変わらないとわかったら、見捨てるしか手はない。

 政治と行政を、取り戻すことができるかどうかは、一人ひとりの投票行動にかかっている。
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 問題は山積している。どっちにしてもダメなのかもしれない。