京都道中膝栗毛 その1
昨年夏、京都滞在中に足を運んだ京都・錦市場。京都は京野菜がおいしいと言う。それにあやかってみようと思い、ゆるい修行と題し、精進生活もどきを体験してみた。
派手な外食を控え、京都の人たちがごく普通に暮らしの中で頂くような、言ってみれば京都の家庭料理をまねてみようという発想からだった。
2合炊きの電気炊飯ジャーを持ち込み(ドミトリー泊なので可能)ご飯を炊き、おかずはこちらで仕入れた。
のり、梅干し、そして京都のお野菜。お総菜。京都では「おばんざい」という。
京都の土地にとけ込む、をコンセプトに旅をしていて気づいたのは、京都市民は錦市場に行かない?と妙なことを感じる。この場所はいわば観光地化?している感もあった。つまり一般庶民はこのような京都の中心地でわざわざおばんざいを買わないのでは?もっと言うと、ここは旅行者か、一部のハイソサイティーな市民の場所。と、そんな感じを何度もかよううちに気づいた。
値段も・・・高い。
ならば!と思い、宿泊宿の近所のごく普通のスーパーに出没し、お総菜、いや、おばんざいを買ってみた。
思いは見事に確信に突き当たった。このときはじめて京都市民になれたような気がした。
お米は夜に2合炊き、炊きあがる間に銭湯へでかけるのだ。おにぎりを作る。そして晩ご飯で2個。朝2個。旅の手弁当(昼)で2個。 時々お地蔵様のお膝元に1個おいてくるので、昼は1個の時もあり。
京都のお野菜はほんとうに素材の味がしっかりとわかる素朴な味。みたこともない野菜が沢山あった。
名前は忘れたが、珍しい野菜の名前と味をきいたら、その野菜を知らない事に驚いている様子だった。
市場、バザールへ出かけて、その旅を知る。これって世界共通なのだなぁ、と改めて実感する。
急がず、求めず、あるがままの旅。少しは芭蕉の心に近づけるような気がする。