※ここに
唯一、奇跡的に残ってた記事・・・・💧
。:゚(;´∩`;)゚:。。:゚(;´∩`;)゚:。。:゚(;´∩`;)゚:。。:゚(;´∩`;)゚:。
🌟
1980年代の始まりは
まさに
KISSにとってはどん底
本国🇺🇸アメリカでのツアー動員に翳りが見え
逆に
人気絶頂だった
オーストラリアに
狙いを定めた💡
オーストラリアでの
『UNMARKED』ツアーは大盛況🔥
その勢いを借りて
そのまま
本国でも
一気呵成に
逆転の人気回復を図って
ボブ・エズリンを
呼んで
バンド初のコンセプトアルバムを作成🔥
ものの見事に
大コケ⤵💀
KISS史上
最大の失敗作とまで
言われてしまう💧
そして
実は『THE ELDER』が
ヒットしたら続けて出そうと製作に取り掛かっていた
『THE ELDER II』
は
完全にお蔵入り💧💧💧
挙句の果てに
あまりにもアルバムが売れなすぎて!?
ツアーすら行われず💀
ちょこちょこプロモーション兼ねての
TV出演をしてなんとか凌ぐ日々…
そこで『THE ELDER II』作られた楽曲4曲を使って
1982年に
繋ぎとして
日本と欧州だけで発売された
変則ベスト盤
『KILLERS』
を
発表する事になる・・・・
1970年代の終わりから
華やかな筈の1980年代の始まり
KISSにとっては
ピーター・クリスの脱退に始まり
アルバムの売り上げ急降下
なんとかオーストラリア等
本国以外でのツアーで糊口をしのいだものの
とーとーゴールドディスクにも届かない失敗作を作り上げてしまい
挙句の果てにツアーも無し・・・・・・・
まさに
絶不調💀
どん底の底を
味わうことになった
更に間の悪いことに
『THE ELDER』で自身の楽曲が軒並みボツにされた事や
過度のアルコールやドラッグの摂取により
🎸エース・フレーリーは
普段の生活にも影響が出始める⤵⤵⤵⤵
1982年4月には
公私共に仲の良かった🥁ドラマーのアントン・フィグの運転する車で深刻な交通事故💥🚗💥
翌月には
自身の🚗運転でのスピード違反からの
警察とのカーチェイスで
600$の罰金&半年の免停騒動etc……
そのまま
脱退の流れになってしまう・・・
『KILLERS』の
新曲4曲でも
🎸リードギターを弾いていたのは
エースと同じくKISSの最初のオーディションに来ていた
後にKISSに加入する
ブルース・キューリックの兄
ツルッパゲ🎸ギタリストこと
ボブ・キューリックだった・・・
そう
もう
エースは
1981年の途中で実質、バンドを脱退していたのだ💧💧💧💧
それでも
『KILLERS』のアルバムジャケットには顔を出し
いくつかTVのプロモーションにも参加していた
※この時期、エース不在で3ピースバンド形態で
TVで演奏する姿も残っている💡💡
↓↓↓↓
ピーター・クリスに続いて
とうとう
バンドの顔の一人であった
🎸リードギタリスト
スペースマン
エース・フレーリー
も
どん底の状態の中
バンドを去る事になった・・・・
この時
1番底辺まで落ちきったバンドは
下の下まで
とことん落ちきったら
後は
上がるしかないと…
世の中は
🇬🇧イギリスに端を発した
NWOBHMブームからの
🇺🇸アメリカでの
L.Aメタルブーム真っ只中
今の
音楽のメインストリームは
メタル!!!
俺達も
メタル!!!!
メタルを演るしかない!!!🔥🔥🔥
と
腹をくくる
ゴゴゴゴゴゴ…
ここから
真の
KISS逆転の物語が
始まる!!!💥