ツィッターでは話題になっていたので、この動画ご覧になった方は多いのではないでしょうか。

もうね、鳥肌ものです。涙ちょちょぎれます。

 

ゆづが、こんな風にプル様の伝説のプログラムを表現してくれてるのをリアルタイムでみれるとか、私、一体前世でどんな徳を積んで来たんでしょう?

 

もうゆづにも、プル様にも、マートンさんにも、そして動画職人さんにも、感謝しかないです。

 

いや〜マートン、アンタ天才!というぐらい、やっぱり曲がいいですわ〜

 

そしてこの曲、確かにプル様にぴったりだけれど、ゆづにも合うんですよねえ。

 

あの頃のプルは確か21歳とか22歳とかだったと思うけど、身体性ありきのプロというか、体から滲み出る躍動感とか美しさとかそういう身体的な魅力が存分に生かされたプロだったなあと思います。

 

プルの美しさを存分に引き出してくれたプロ。

 

そもそもプルありきで、プルラブで作られたプロなんですよね。

 

ミーシンの惚れ込みよう、マートンの惚れ込みよう、新進気鋭の振付師の惚れ込みようが、全部ここにつまったような、そんなプログラムでした。

 

それを、我らがゆづが、演じる許可をもらったんですよ!

 

これを滑ることができるとすれば、それは羽生結弦以外にないと、去年の段階でプル様からお墨付きをもらっていたゆづ。

 

その言葉をきっとどこかで耳にして、早速飛びついた(感のある)ゆづ。

 

私も今シーズン、どんな犠牲を払っても見にゆく所存でございます。

 

これを生で見ることなしには死ねましぇん!

 

きっと、長野でSeimeiを見た時以上の鳥肌がたつに違いないと思っています。

 

なんかね、もう羽生結弦が滑るために神様がこの曲を用意してくれたとしか思えないですわ。

 

ちょっと前まではこの曲に込められた深くて壮大な感情を、プル以上の存在感と威厳を持ってゆづに表現できるとは思えてなかったのだけれど、動画を見る限り、普通にこの感情の中に没入してしまうゆづがそこにいることに驚嘆します。

 

この曲には、山あり谷ありの壮絶な人生をブレずに生き抜いて来て、何かを成し遂げた人間にしか表現できない、なにかものすごく壮大な感情が根底にあると思っていますし、それを表現できているゆづはすごいし、ものすごい成長じゃないですか。

 

いろんなことを経験して、体も心も成長して、本当に大人になったんだなと感じます。

 

ゆづは「男性にしかできない中性的な表現」という言葉を使いましたが、私に言わせれば「中性」というよりは「両性具有」ですよね。

 

もはや少年的なそれでもないし

 

男性でも女性でもない、というよりは、男性でも女性でもある、という感じだと思うし。

 

男性にも女性にもなれるってすごい表現の幅だと思います。

 

ソチでロミジュリを演じた時は、まだまだ幼いなと感じましたが、今はものすごく成熟した、それでいてピュアな何かを感じます。

 

表現の方向性としては、これからもこの方向性を貫くのでしょうか。

 

以前は、男の子っぽい粗雑さというか、ラフさもあったゆづですが、今はどんな女子よりも繊細で美しいと感じます。

 

今シーズンの演技は、エキシが「春よ、来い」ならなおさら、全3曲ともクロスジェンダーな方向性のプログラムになっているのを見ると

 

これが表現面において彼のやりたかったことなのかなと(これからは自分のやりたい曲をやると宣言していましたよね)思います。

 

男性的な演技は他のスケーターでもできても、こういう演技はゆづにしかできないことだろうと思うし、ぜひその方向性を極めてほしいと思っています。