羽生選手の国民栄誉賞表彰式。素晴らしく凛々しい仙台平の袴に絽の紋付といういでたちで登場されました。

 

もうね、この立ち姿、惚れますわ。

 

仙台平の袴は去年、大型仙台観光ポスターで伊達の若様のお姿をした折にも着ておられましたが、あの時の袴姿も素敵でしたけど、今回のはまた遠目にもシルクの光沢がひときわ美しく、大変高級な品物だということがよくわかりました。丈も長めにとっているせいか、シュッとしてよりカッコよく見えました。仙台在住の人間国宝の甲田綏郎さんが贈呈してくださったようですね。気合を入れて作って下さったのだろうなということがわかります。着付けも一分の隙のない感じで、本当に素敵でした。

 

仙台平ウェブサイト

 

袴までは無理という方も、今「羽生結弦展」(今日まで)を開催している藤崎デパートへ行けばこんな小物も売っていますよ。

 

 

ところで、国民栄誉賞受賞式の後の記者会見での羽生選手の一問一答が素晴らしかったですねえ。

 

こんな人はもう現れないと思うほど、何か発言も別次元でした。

 

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/07/02/kiji/20180702s00079000131000c.html

 

(記事抜粋)

羽生の一問一答。

 ―率直な感想を。

 「こういった賞は自分だけで取れるものではない。ここまで切り開いてくださった方がたくさんいる中で代表として、たぶん僕は環境にも恵まれながら頂いた賞だと思うので、本当にこの賞とみなさまの期待とともに、これからも進んでいきたい」

 ―きょうの袴姿について。

 「袴が仙台平という、人間国宝である甲田(綏郎)さまが直々に贈ってくださったもの。伊達藩の藩主の方々が使っていたということもあって、非常に素晴らしいものですし、自分は袴に詳しくないんですけども、身につけていて本当に快適。羽生家の家紋もつけさせていただきました」

 ―記念品を辞退した。

 「自分の中でみなさまを代表して、という気持ちがすごくあり、みなさまとともに取れた賞という気持ちがすごくあったので、僕個人の気持ちとかそういうのはあまり出したくないなと。そういった意味で記念品は辞退させていただきました」

 ―今後の目標は?

 「競技会に向けてしっかりと準備していくことが大事。ケガの具合も少しずつ良くなって、できるジャンプ、できる技がどんどん増えてきている。自分の体と相談しながら、試合に向けて準備を着々と進めていければ」

 ―最年少の受賞について。

 「自分の中では最年少という気持ちは大きくなくて、ずっと自分の気持ちの中ではここまで応援してくださった方々も含めて、みなさまの思いが背中を押してくださったと思っている。最年少というよりはみなさんがそばにいてくれて、ここで自分が受け取ることができたのかな、と感じている

 ―国民栄誉賞の受賞者としてどういう人生を送っていきたいか。

 「ここまで昨日までアイスショーなどを行ってきた。そういった中で、受賞が決まった時にたくさんの方々からおめでとうという言葉を頂いたし、日本の方々だけではなくて、一緒にアイスショーで滑っていた海外のスケーターの方々からも、おめでとうという言葉が聞けたのが、すごく印象的だった。だからこそ日本人として、誇りを持って、日本だけじゃなく海外にも目を向けてスケーターとして滑っていきたいと思っているし、海外の方から見ても素晴らしい賞であるからこそ、せっかくいただけた賞の名を背負って、これからいろんな活動のきっかけとなるような機会になればなと思う」

 ―どんなスケーターになっていきたいか。

 「スケーターとして人間として、このように素晴らしい賞をいただけるということは、普通ではいけないんだなって自分の中ではちょっとけじめをつけている。これからも私生活含めて、いろんなことに気を遣って、後ろ指さされないような生き方をしていきたい。それは自分のスケート観においても一緒で、これからも全力で自分の名に、そしてこの国民栄誉賞という素晴らしい名に恥じないようなスケートをしていくことが、まずは大事かなと今は思っている」

 ―次の五輪への意気込みは。

 「特に考えていません。今、自分が思っていることは今、自分がやりたいこと、自分がスケートを通じて磨いていきたいこと、成長していきたいこと、そういったことを自分が納得できるようにしたいと思っている」

 ―仙台の被災者へメッセージを。

 「僕は仙台のスケートリンクで当時、練習中に被災して、それから本当にたくさんの方々にご支援していただき、さまざまな形でもお力をいただいた。そういった意味で、被災地の方々からも応援されていた立場だからこそ、やはりみなさんの力になればという思いで今もいるし、また、僕は何かを作ったり、直接的に何か手助けできる立場ではないので、本当に実質的な復興の力にはなれていないかもしれないけど、スケーターとしてフィギュアスケートをやっている人間として、やっぱり自分のスケートだったり、自分がこうやって国民栄誉賞をいただいたことで、少しでも希望を抱けるようなきっかけだったり、自分を通じてみなさまの心が1つになるような存在であったり、そういう風になっていきたい

 ―スポーツ界での自分の役割、やりたいこと。

 「将来的には日本だけではなくて、本当にトップに立ちたいと思っている選手は全世界にあふれているので、そういった方々の支援ができるような立場になれればな、というふうに思っている。こういう賞をいただけたからこそ、日本人としての誇り、文化、考え方にもしっかりと思考を巡らせて、そういう立場に立ちたいと思っている。こういう五輪2連覇であったり、みなさまの評価というか、そういった結果をいただけたからこそできることって絶対にあると思うので、僕にしかできないこと、僕しか感じてこられなかったこと、僕しか学べなかったことを伝えていけるような存在になりたい」

 ―あらためて、授与が決まった時、どんな気持ちだったか。

 「まず、大変恐縮な気持ちが多くあった。ただ、国民栄誉賞をいただけると聞いた時に、やはり自分は、自分の報道とか自分の結果とかスケートとか、そういったものを通してみなさまの力がみなさまに還元されているんだなというふうに思えたので、そういった意味でも今回の明るいニュースがみなさまにとって明るい光になっていたら嬉しいなと思ったし、そういう存在にこれからもならなくてはいけないとあらためて思った。だからこそ、言葉で表すのはすごく難しいけど、1人の人間としてだけじゃなくて、1つの存在として、羽生結弦っていう存在として、みなさまの力が僕に注がれていて、その力がみなさまにまた巡っていってということになるためには、その期待に応えなくてはいけない。そして、その期待に応えられるだけの努力、技術、芸術を持っていなくてはいけないというふうに強く思っているので、これからさらに身を引き締めて頑張っていきたいなと思っている。ありがとうございました」

 

(抜粋終わり)

 

赤でマークしたところを読むと、羽生選手の物の考え方がよくわかります。

 

常日頃から思っていましたが、羽生選手は普通のスポーツ選手とか、アーチストというよりは、シャーマンに近い感じがあります。天と地と人をつなぐ存在というか、媒体というか。

 

たくさんの人の思いや祈りなどのエネルギーを受け止めて自分のスケートを通して天に届け、天からまた何らかのエネルギーを受け取ってみんなに還元する

 

そういう考えが基本にあるように思います。

 

それは他の誰とも違うところだと思いますし

 

多分、自分にはそういう役割があると彼ははっきりと認識していると思います。

 

そしてそういうことは、私心や邪心があってはできないことだし、常に自分を厳しく鍛錬して節制しなければできないことでもあります。

 

あそこまで私心のないピュアで研ぎ澄まされた演技ができるのを見ても、日頃の鍛錬がどれだけ厳しいものなのかと思います。

 

私たちファンは、五輪前、怪我をした羽生選手のために「祈祷班」を自称して色々な神社にもうで、お祈りを続けました。

 

もし羽生選手が自分だけのために演技をしていたとしたら、自分は神社にお参りまでしていただろうか?と時々考えます。

 

別の種目含め五輪金候補だった他のどの選手のことを考えても、あるいは今回のW杯のことを考えても、きっと応援はしたけれども、ここまでの熱を持って応援したとも思えないし、まして神社にまで行ってお祈りしようとは思わなかったと思うんですよ。

 

私がここまで本気でお祈りしたのは、羽生選手だからであって、彼が自分だけのためにスケートをしているのではないことを知っていたからこそ。

 

そしてそういうファンの思いや祈りや愛こそが、彼にとても大きなパワーを与えていることを、羽生選手自身もよくわかっていると思います。

 

 

羽生選手の「普通でいてはいけない」という発言。

 

多くのファンは、普通の23歳の若者らしく、たまには羽目を外したりもする、素のままの羽生結弦でいられる自由も確保してほしいと願っています。

 

私もその一人でした。

 

でも彼は「けじめをつけた」とも言いました。

 

彼は自分にはもうそれが許されないことを知っている。

 

私も二連覇後の彼の周辺の動きを見ていたら、ああ、そういうことはもう永遠に無理になったんだなと悟りました。

 

四方八方敵だらけ、隙を見せればどこに落とし穴が掘られているのかわからない状況の中で、彼は栄誉賞の名を汚すようなことは絶対にできないという人生を送ってゆかなくてはならないんです。

 

それは名誉でもあると同時に、大きな縛りでもあり重荷でもあります。

 

23歳の彼にとって、それがどれだけの大変な負担になるか、想像もつきませんが、でも確実に、これから先の人生も縛るような大きな重荷をもう一つ背負うことになるのです。

 

それでも彼はそれを、自分のためではなく、みんなのために受け取るという決意をした。

 

どれだけの覚悟でそれを受けたのか、本当に頭が下がります。

 

若くしてこんな重荷ばかりでは潰れてしまうのではないかと、老婆心ながら心配もしました。

 

ただね、今回、自分の意思で「春よ、来い」という曲を選択したこと、そしてそこに含まれているメッセージや、その演技内容を見たら、彼は大丈夫と私には思えました。

 

「普通じゃいけない」という前に、もうすでに彼は「普通じゃない」ですから。

 

羽生選手はすでに、我々常人の計り知れないような、全く別な精神的な次元で生きていて、そういう高い次元での、誰も見たことのないような次元の幸せを掴み取るだろうと、今は確信しています。

 

羽生選手の前途には、長く厳しい冬を耐え抜いた者だけが見ることができる輝くばかりの春が待っている

 

そう思います。

 

ということで、これからも素晴らしい人生をまっすぐに生きていってほしいと思います。

 

改めて国民栄誉賞受賞、おめでとうございます。