訪問先 鳳凰古城(Fènghuáng Gǔchéng)その③ 〜昼間の鳳凰古城編・2〜
訪問日 2022年7月30日(土)
鳳凰古城だが、湖南省の西部に位置し、苗族ら少数民族らが作り出した独特な文化に、美しい自然とが織り交ざり、明・清代の古い町並みが残る村だ。
昼間の鳳凰古城歩きの続きです。
では行ってみましょう!
東門城楼を過ぎてちょっと歩くと「虹橋風雨楼」(Hóngqiáo fēngyǔ lóu)の橋のたもとに行きつく。通称“虹橋”と言われる橋だ。トンネル上の手すりが橋の欄干だ。写真右に見える階段を上って、虹橋風雨楼へ向かいます。
こちらは橋の欄干から見る鳳凰古城の小さな小道。
こちらが虹橋風雨楼だ。橋をあるいてみます。
※中国語での虹橋風雨楼についての説明はこちらから。
虹橋風雨楼(湘西の)「沱江」(Tuójiāng/だこう)に架かる橋だ。橋のたもとから見る沱江の流れ。
※中国語での沱江(だこう)についての説明はこちらから。
橋の両脇にはお店が並んでいる。この橋は一時期車道として使われていたそうだ。2000年、観光資源として橋をリニューアル、両端にお店を設けた。
虹橋風雨楼を渡り、対岸へとやってきた。
引き続き、鳳凰古城の街歩きをします。
虹橋風雨楼を渡ると誰かが育てている植物。その隣には牛さんの像が。かわいらしい。
今度は、沱江にそって歩いていきます。
右側で特産品やらお土産を売っています。奥に見えるのは「東関門」(Dōngguān mén)だ。清代嘉慶(かけい)十二(1807)年に造られた門だという。
ちなみにこちらが東関門にはめられていた説明書きだ。
なんの木でしょうか?お花が咲いています。
苗族の銅像の後ろには虹橋風雨楼が見えます。
船着き場に着いた。ここより観光用の木舟が発着している。そしてここからも虹橋風雨楼が見える。
観光用の木舟の発着のそばにある「万寿宮」(Wànshǒu gōng/まんじゅきゅう)。
こちらは万寿宮についての説明書きだ。では、万寿宮のなかへ進んでみたく思います。
万寿宮はいってすぐ左にある染物を干してある物干し台が目に入る。
また万寿宮はいって右側には「遐昌閣」(Xiéchāng gé/かしょうかく)という六角形の建物が立っている。あいにく中は覗けなかった。
こちらは遐昌閣の説明だが、別名・揚泗閣(Yángsì gé/ようしかく)とも言われ、清代・咸豊(かんぽう)十四(1854)年に立てられた
万寿宮のなかにある「黄永玉芸術館」(Huáng Yǒngyù yìshùguǎn/こうえいぎょく・びじゅつかん)。入ってみましょう。
黄永玉芸術館は美術家の黄永玉の作品を展示する小さな美術館だ。黄永玉の生まれは湖南省・承徳だが、先祖はここ鳳凰にルーツがある。
※中国語での黄永玉についての説明だ。中国百度百科さんより。
こちらは黄永玉の作品の一つ。
こちらは黄永玉美術館の2階だ。大小さまざまな展示がある。
美術館の展示の一つ。日本でも有名な“赤猿”の切手。この猿の絵を描いたのがこの黄永玉である。尚、この切手は1980年に発行され、中国初の年賀切手とのことからプレミアが付き、現在、高値で取引されている。
美術館を出てきました。目の前には舞台がある。この舞台の下が万寿宮への出入り口となっている。
万寿宮を出ました。引き続き、鳳凰古城の街歩きをします。
沱江に沿って歩くとまた新たな門「迎曦門」(Yíngxī mén/げいぎもん)だ。こちらも先ほどの東関門と同様に清代嘉慶(かけい)十二(1807)年に造られた。
迎曦門過ぎて沱江のそばに立つ「万名塔」(Wànmíng tǎ)。もともとは字が書かれた紙を燃やすための塔があったが、文革時破壊されてしまった。黄永玉の呼びかけにより1988年に再建された塔で、現在、鳳凰古城のシンボルともなっている。
※中国では、字を書いた紙をむやみに捨てると祟られると信じられていた。それらを紙をお焚き上げすべく建てられたのが万名塔の前身だ。
さてと、引き続き、鳳凰古城の街歩きをします。
さきほどと同じく沱江沿いの小道を歩いていきます。
沱江の流れはとっても緩やかです。
沱江沿いを歩いていると「風橋」(Fēngqiáo)と書かれた橋が見えた。対岸へと渡ってみます。
風橋を渡っています。こちらは沱江の下流側。さらに奥にも橋が見えます。
対岸へと渡ってきた。狭い路地を歩いて虹橋風雨楼のほうへと進みます。
小道をあるいていると左側に“南無阿弥陀仏”との字が見えた。ちょっと覗いてみます。
「鳳凰準提寺」(Fènghuǎng zhǔntí sì)だ。仏教寺院で、建立は明代・洪武年間(1368~1399年)と言われ、鳳凰古城内にて唯一の完全な形で残っているお寺だ。
お寺の脇には小さなお堂?がひっそりとある。
※鳳凰準提庵に関しての中国語の説明はこちらの百度百科さんへ。
虹橋風雨楼を渡り、また対岸へとやってきました。
写真に写る橋は虹橋風雨楼だ。沱江沿いを散策します。
対岸には、吊脚楼の住居が広がるが、これらどれも民宿だ。
目の前に水車があります。降りれるようになっています。降りてみます。
一段さがったところにある「紀念王湘冀烈士」(Jìniàn Wángxiāngjì lièshì)の像。曰く、1982年6月21日、当時18歳の少年の王湘冀は沱江で溺れている3人の子どもを見つけて川に飛び込んだ。3人とも無事助かったものの、王湘冀は力尽き死んでしまった。その現場にいた黄永玉は彼を称え、彼が救出へ向かおうとする瞬間を想像したこの像を造った。
王湘冀の像から沱江を眺めます。
小道にもどり沱江沿いを歩いていると見えた「田氏宗祠」(Táng shì zōngcí)。中へは入ることができなかった。清代道光十七(1837)年、鳳凰出身の軍人の田興恕らの一族がお金を出し合い、田家の宗廟を建てた。
※田牛宗祠に関する中国語の説明は、こちらの百度百科さんへ。
川辺では民族衣装を着た女の子がポーズを決めて写真撮影中。
川の奥では、川を渡る人の姿が見える。行ってみます。
川にかかる飛び石だ。対岸へ行くことができそうだ。
一つの飛び石は30センチほどの大きさだ。踏み外すと川へドブンと…。
飛び石の隣には、板が並べられた橋がかけられている。
飛び石の途中よりながめる沱江の風景。
飛び石をぴょんぴょん歩いて、対岸へとやってきた。
鳳凰古城・その③ 〜昼間の鳳凰古城編・2〜 はここまで。
次は舟に乗って沱江を渡ります。
つづく。