今なら素直な気持ちで書ける気がするので、自分の気持ちの変化を。
※※※スピリチュアル要素の入る話なので、苦手な方はご留意ください※※※


私は元々、【〜すべき】、【〜であるべき】、という考え方をしがちです。

そしてそれは、幼少期の経験からくるものだと思っていました。

母からの愛を受けそこなう、そして、母も私からの愛を受けそこなう。
私の記憶に残っているのは、「うっとおしいから、やめて」、と手を振り払われた出来事。

その時、母はただしんどかっただけかもしれないのに、私のなかでは鮮烈な記憶として残ってしまっています。

そして、脳が辛かった記憶ばかり拾い集めます。細々書く必要はないので、割愛しますが、
母は私を嫌っているんだ
という、合ってるのか、間違ってるのかわからない回答を導きだしました。

それが、ずっと、私の心を沈めてきました。
全く関係ない出来事からも、その思いが引っ張りだされる。

私は愛されていないんだ。

・・・寂しいですね。
自分も母になった今、娘がもしそんな気持ちを抱いていたとしたら、居た堪れない気持ちになります。


先程、アドラー式心理学の記事をあげましたが、自分は愛されていない、という感覚が、自己肯定感を下げ、自分は何をやっても駄目な人間だという思い込みを作りあげ、何かをしようという勇気をもてず、自分に自信がないから、他者からの評価を気にして、他者との信頼関係を結べない。

そういう負のスパイラルを作っていました。

それは母のせいでしょうか?

・・・いえ・・・。
私が作り出したものです・・・。

こうあるべきことが、そうならないんだから、こうでないとおかしい。こうのはずだ。

書き出しをするとわかります。ちょっと窮屈ですよね。
四角四面な考え方、と言いますが、それだな、と。

数秘術の話を度々出すので、純粋に本のレビューを読みに来てくださった方のうち、スピリチュアル的なことが苦手な方は眉をひそめたくなるかもしれないので、私は本のレビューを自己啓発と本というカテゴリ分けをして、一般書は作家名を明示しています。

それは、ブログにきてくださる方に対する配慮でありつつ、私自身がそうすることで安心するんですね。いわゆるマイルールというものです。

数秘術でいうところの、LP4。
保守的、安定を好みます。

自分のなかで、ザワザワした気持ちがでて、居心地が悪いと感じる時、そのマイルールが崩されたときに起こります。

私は、マイルール=みんなの共通認識、と思い込んでいたので、それに従わないひとは、クビ!!的な、かなりの専制君主ぶりを発揮していたわけです。

数秘術を伝えてくださったあさこさんにマイルールを話したら、マイルールというのが私には何かわかりませんが、というお言葉を頂いて。目からウロコでした。

私は、ニュートラル(中庸、白黒はっきりつけず中立)なひとに惹かれる傾向にあります。
そして、柔らかい雰囲気のひと。
あと、固い話の合間に、大笑いじゃないちょっとクスリと笑ってしまうユーモアがはいるのが好きです。(この笑いのセンスのツボを、娘は上手についてきます😊)

なので、ブログではそれを意識して書いています。そして、私はブログにおいてだけでなく、自分という存在にもそれを望んでいるんだ、と気付きました。

だから、削除しないといけなくなった記事を書いてしまった、ということが胸をざわつかさせました。それは、自分のなかでの調和が崩れたからです。

最初、ブログを削除しないといけなくなった理由を相手に求めました。
・・・しっくりきません。

じゃあ、自分か、と問いかけました。
そしたら、これ以上自分を虐めないでっていう気持ちが湧いてきました。

相手か、自分。どちらか二択の選択に悩む心を感じて、
ああ、白黒ハッキリつけたくないんだ。
と、気付きました。


今、私は、変わりたい。やっと変われる。やっと肩の力を抜いていいんだ。
その気持ちを大切にしたいんだ、と、気付きました。

そして次にきたのが、
ブログをやめたくない!!

という気持ちでした。その気持ちが大きすぎて、自分でもビックリしました。

それは、文章を書くことで癒される自分。ひとと繋がれる幸せ。
を覚えて、毎日更新したことで習慣化し、それが心地よい、と脳が覚えたからだと思います。


元々文章を書くことが好きでした。
でも、ひとからどう見られるか気になる私は、構成や言葉遣い、考え方が偏ってないか、を意識してしまい、なかなか素直な文章が出てきませんでした。

今は、さらさら書いています。
頭を使うのではなく、心に浮かぶことを書き留めていっている感じです。

私はすぐ肩や首や背中が凝ったり、頭が痛くなったりしやすいのですが、これだけ長時間携帯を触り、文章を書いていても、疲れません。

興奮してるわけでもなく、気持ちが穏やかです。

文章を書く、というよりは、言葉を紡ぐ。
という感覚です。

この感覚は、書道をしている時にも出てきます。
ただ、筆を動かすことに集中する。
私はあれやこれや考えるので、脳が疲れてしまって、趣味にもちたいのは、他の誰にも邪魔をされず、【今、ここ】に集中できるのです。

サイクリングも、のんびりと、ただ漕ぐこと、風を感じること、街並みをみることに集中します。
自転車がペースが早すぎる、と感じた時は、歩きます。

・・・長い長い山道を歩いて、やっと家に帰れるときの安堵感。

今の自分を表すと、その言葉が一番しっくりきます。
でも、山は越えましたが、まだ下りがあるので、転ばないように気をつけないといけません。

・・・もう強がらなくていいんだな、と肩の力が抜けました。

私は、 ひとから見られた時の印象であるP8が、大物感、プライドが高そう、頑固そう
という数字です。
でも、自分自身は、自分に自信が持てない、と感じているんです。

過大評価されている気がして、居心地が悪いし、騙しているような気持ちになるし、何が自分をそう見せているんだろう、と気になります。

私は、ひとからの評価と自分自身が思う自分像にギャップを感じるたび、時にはひとに合わせてみたり、時には撥ね付けてみたりしました。

でも、どっちのときもなんだかしんどいんです。

自分が見せたい自分と、ひとから見られる自分が違うのが、安定しない感じがして嫌なんだ!!

と、気付きました。

今日、2年ぶりくらいに髪型を変えました。
多分みんながビックリするくらいの変化です。


それは、こうありたい自分と、ひとから見られる自分を一致させたいから。わかってもらいたいから。愛してもらいたいから。


・・・愛してもらいたいから、は、すっと浮かんできたんですが、書くのに少し抵抗がありました。
勇気を出して打ち込むと、ストン、と落ち込みました。

私は愛して欲しかったんだ。

愛されてない、はスラスラ書けたのに、愛されたいで引っかかるのに、我ながら苦笑しました。
だって、ずっと愛を拒否してたもんね。
愛することばかりしてたもんね。
でも、それに疲れたんだよね。

考えてみたら、愛されたい、なんて、ひととして当たり前のこと。
でも私はどこかで私は自分は愛されてはいけない存在だから、それを求めてはいけない、と自分に言い聞かせてたんだな、と。

だから、そこが満たされないから、ひとに過剰な愛をむけたり、手に入らないならいい、と孤独を好んでいたんだな、と気付きました。

Instagramが苦手なのも、私を見て見て!と言えるその無邪気さが、羨ましくもあり、眩く感じるから。

ひとは、劣等感を感じると、気持ちが刺激される、と、何かで読みました。

なんだかザワザワするときは、自分のなかの何かが刺激されているのです。

正直、記事を削除するとき悲しかったです。記事を書いたのは、伝えたいメッセージがあったからなので。
でも、一部分だけ見ると、そこまで言わなくても、という部分があったのは確かです。

私は、そこを書かないと、私の言いたいことが伝わらないと思い込んでました。
でも、違ったな、と思いました。

その部分を書かなくても、伝え方がしっかりしていれば伝わったんです。
私は、伝え方を間違えてしまいました。

ブログは、記事を書いて投稿した瞬間に、読み手に判断が委ねられます。

私は、伝えたいことが全て伝わるように、と欲張ってしまいました。

欲がでると、だいたい失敗しますね・・・。

先の記事にも自分で書いていました。
余韻を残す文章を書きたい、と。

それは、過剰に言葉を重ねたり、白黒思考では難しいことで、読み手にある程度判断を委ねる、空白の部分を残さないと余韻は残りにくいと思います。

でも、読み手に判断を委ねる、ということは、書き手としては怖いことでもあります。

それは、自分の伝えたいことがうまく伝わらない可能性があるからです。

私は、誤解されたくない気持ちが元々強いので、空白をつくるのが怖かったのです。

でも、記事を一度削除したことで、逆に、自分が伝えたかったことが自分のなかで明確になりました。

私はいつも本の力を借りて自分の気持ちを表現しています。

リブログ記事を書かせていただいたのも、こんなことが書かれていた、と、私の言葉で伝えるよりも、書かれた方たちの言葉のままで、読んでくださる方に伝えたかったからです。

近いうちに、削除した記事は、本当に伝えたかったことに絞って書き直したいと思います。

インパクトを与えることにこだわってしまいましたね。

こだわりを捨てると楽になる。

それに気付きました。

そして、記事を削除したことで、人生最大であろう夢ができました。
でも実はその夢は、今の段階で半分くらいは叶っているので、叶っても叶わなくても大丈夫、と思っています。

引き寄せの法則で書きましたが、思いが本当に強ければ叶うと思います。

長々私の独白にお付き合いいただき、ありがとうございました。

私がブログを始めていなければ。
あさこさんとの出逢いがなければ。
今、私はこんなに穏やかな気持ちではいられず、この心地よさを知ったら、窮屈な世界にもう戻りたくないな、と思っています。

あさこさん、ありがとうございます。

そして、いつもブログに遊びにきてくださる皆様と、私に良い気付きをくださるブロガー様にも感謝です❤️❤️❤️

ありがとう。

いい言葉ですよね😊😊😊