寒くなって来て、路上に生きるホームレスの人達も辛い季節を迎えるんだろうと、また少しだけ衣類や生活品を送ろうダンボールに詰める。

ツイッターで、あるドキユメンタリーの上映案内を見たの。

思い出した。酷い話だった。
それは「山谷ーやられたらやりかえせ」という物騒な題なのだ。

1985年に発表された日本のドキュメンタリー映画。
佐藤満夫、山岡強一共同監督。また山岡の遺稿集の書名でもあるの。

佐藤満夫氏は全共闘の闘士で、斉藤龍鳳等の影響を受け映画界へ。83年「東アジア反日武装戦線・支援連」の集会で「山谷を支援する有志の会」のメンバーと出会い、山谷の労務者の現実を撮影しようと山谷に住んだ

当時の山谷は、暴力団の支配を受けて搾取や暴力が日常だったのね。その中で、やられっぱなしの労務者達が、ついに立ち上がった。

   桃林の桃源郷

そういう、底辺で生きようとする人達の現実を、彼らと一緒に暮らし働きながら撮影を始めたの。

山谷を仕切る、山口組系・金町一家・西戸組との争いにも先に立って臨んだが。

1984年12月22日早朝、西戸組の筒井栄一に後ろから刺殺された。享年37歳。

このニュースを聞いたのは何時だったのか。

直接には知り合いではなかったけど、学生運動の大学の友人達の間では、労務者運動に行った人もいて名前だけは知っていたから、ちょっと衝撃を受けた。

佐藤は刺されながら駆けつけた仲間に「追え!」と言ったという。

その言葉どおり、その志を追って山谷の労務者であった山岡強一氏が継いだ
佐藤より七歳年上の、ヤマさんと誰からも慕われていた労務者。

佐藤のシナリオに更に釜が崎や筑豊、横浜の寿町も加えられた。

ところが明けて1986年1月13日、今度は山岡が暴力団日本国粋会系金町一家・金竜組の保科勉に新宿の路上で射殺されたの。

制作過程において2人の犠牲者を出したこの作品は、未だにビデオソフト化されていない。

けれど現在も有志の手によって年に数度、都内を中心に全国各地で自主上映会が行われているのだそうな。「YAMA-ATTACK TO ATTACK-」の英題で海外での上映も行われた。

未見なのですが・・

彼らと同時代を併走した、仲間の一人がこう書いていますの。

品川の運河に浮かんだアイヌ・酒井衛。
山谷からアフガニスタンへ飛び、その地で散った写真家・南条直子。

山谷最大のドヤ「パレス」の階段下で「野たれ死」んだプロレタリアート・梅本巧光。
山谷労働会館が最後の作品となった建築家・宮内康。

全世界の被抑圧民衆との地下水脈をさぐり、力尽きた池田修。いまでもその音色がぼくの頭の中で響いているサックス奏者・篠田昌已。

人生を見事に下放した高木淳。走る靴音とともに姿をあらわし、バイクの音とともに消え去った見津毅。佐藤満夫を含むこの10人は、もう「この世」にはいない。ほとんどがあたしと同年代。

そうしてこの当時より、今の世の中は、はたして良くなっているのだろうか。

上映は今日だったんだぁ・・

  桃林の桃源郷