(1からのつづき)

このときの体験は、14歳の少女の胸に深く突き刺さったまま、10年以上経過した今も、ひろさんの中に「虐待」の記憶として残っている。

 ひろさんが言う。

「拘束されて、体中が痛くて、トイレに行きたかったのに、おむつでしなければなりませんでした。喉が渇いてお水がほしい、寝返りがうちたい、リラックスしてのびがしたいと強く深く思いました」

 だから、今は、自分の体を安全に、大切にしてあげようと思っている。トイレに行きたくなったら、身体をトイレに行かせてあげて、伸びがしたくなったら伸びを、喉が渇いたら水を飲ませることを、させてあげようと思う。それが、拘束されているときにはできなかったことだから。どれだけ、そういう寛げる、基礎的な動きが重要なのかを、知ったから……。



 自分の体を自由にトイレに行かせてあげたい……。

こうした言葉が出てくること自体、いかにあのときの経験が大きなダメージとなっているかの証だろう。

 病名は一応、家族には統合失調症と告げられていたらしい。しかし――、

「妄想ととられたのも、今から思えば、子どもの空想、人形に名前をつけて、話しかけたり、そういうことだったんじゃないかな。木漏れ日の中に天使がいるよとか、何か言われたりすると、それが頭の中でワンワンするとか、そういうことがみんなへんなふうに受け取られたのかもしれないです」

その後もひろさんは入退院を数度繰り返した。病院は別のところで、そこでは同年齢の友だちができたり、薬の量も少しずつ減っていき、医療保護入院のときのようなひどいめに合うことはなかった。

 そして、20歳になったとき、ひろさんは体調不良を感じてネットでいろいろ調べているうちに、「抗核抗体」というものを知り、病院を受診したところ、甲状腺機能低下症であることがわかった。

 それをきっかけにそれまで飲んでいた向精神薬を自己判断で断薬した。そして、甲状腺の治療を受けて、現在では漢方のみの服用で、甲状腺のほうも落ち着いていると言う。




母との距離

「あのとき、私が暴れちゃったりしたから、お父さん、お母さんももう我慢できなくなったのかな。でも、もう少し、別の手段があったはずなのに……」

「医者は、お父さんやお母さんが疲れているから入院しましょうって言ったけど、疲れているなら、お父さんたちが入院すればよかったんじゃないかな」

 ひろさんは今でもときどき、入院時のことがフラッシュバックして、とても辛い気持ちになる。薬の副作用で、頭や背中を虫が這いずりまわるような感覚も、以前より軽くなったが、いまだによみがえることがある。

 当然のことだが、「入院させられた」との思いを消すことはできない。しかし、その一方で――、

「あの入院の経験はすごくつらかったけれど、お母さんもすごく後悔しているみたい」

 入院をさせられたことで両親を責めたい気持ちにはなるが、「私が責めるよりも、母が自分を責めるほうが強い」と言う。

 そのため、現在では、お母さんは家を出て、別の場所で暮らしている。もちろん、ときどき家に来て、料理を作ってくれたりするが、

「母がそうやって距離をおいてくれるのはありがたいです」

じつは、ひろさんは入院中に中学を卒業となっていたが、その間、お母さんがサポート校を見つけておいてくれたので、高校生になることができた。その学校は通信制で、レポートを提出すればいい。母親が自分のことを理解して、そのような学校を見つけてきてくれたそのことにも感謝している、とひろさんは言う。




豊かな感受性

 こうした話をひろさんはゆっくり、ときに言葉に詰まりながら語ってくれた。それは決して私の質問に対して答えが見つからないというのではなく、むしろ、あふれるほどの感情の中、それを整理するのに時間がかかり、自分の感じていることと、実際口から出る言葉のあいだの隔たりに戸惑っているかのような印象だった。

 感受性が豊かであることは、日本の教育においても「良いこと」とされているはずだ。しかし、思春期の少女にとって、豊かな感受性はときに、自らを突きさす武器になる。と同時に、「軍隊のような学校」では、豊かな感受性は無用のもの、かえって邪魔にさえなりかねない。




 ひろさんが送ってくれたメールにはこんなふうに書いてあった。

「絶望的に激しくなった、心身を打たれたくないという怒りが、私を入院に導いてしまいました。私はまだ、こうやって怒りを安全に、言葉にすることができなかったのです。泣き叫んで、怒りと心身の痛みを表現するしかできませんでした。忍耐強くもありませんでした」

「私は、体も心もぶたれた子どもの顔を覚えています。助けられなかったことを絶望的に後悔しています。二度と、すべての人間が持つ生命の輝きを感じとれないまま、家で、学校で、精神病院で、大人たちによって虐待が行われることはあってはならない。けれど、私がいた学校は本当に残酷でした。そこで子どもたちは病まされて、精神病院へ送られていくんだと感じました」

「直感的に、子どもは大人よりもずっと多くの真実を知っていて、その真実を生きており、大人が偏ったことや誠実でないことをしていると、小さくて生き生きした子どもほど、生きた感性によってそれがわかってしまいます」




 ひろさんのいた中学校では暴力を振う男子生徒も幾人かいた。ひろさんもときにターゲットにされることがあったが、彼女はその男の子を見て――

「決して楽しそうに殴っていたわけではなくて、苦しそうに殴っているのがわかった。何か心に抱えているんじゃないかって感じました」

「直感的に、子どもは大人よりもずっと多くの真実を知っている――」

私はこの言葉に虚を突かれたような思いにかられたた。

 ひろさんのようなこうした感性を抱えながら、効率や成果や規律でがんじがらめの学校生活を送ることは、彼女の柔らかい心をどれほど痛めつけたことか。

「病院での拘束より、学校のほうが辛かった」

 と言ったひろさんの言葉がそれを如実に表している。

 画一的な学校生活のなかで、精神のバランスを崩した子どもは、結局、ひろさんが言うように、精神科へとつながれる。そしてその精神科病院もまた、学校同様、子どもの心身を虐待する場所であるのだ。

 あのとき、両親とともに病院へ行き、「相談がしたかった」と言うひろさん。「それなら、今、話をしなさい」という対応では、子どもは決して心を開かない。

「あのときお医者さんに、暴れて辛いだろうけど、どんな気持ちなの? と聞いてほしかった。何が辛かったんだいって」

それを、恐怖に震えてパニックを起こし、逃げ出した少女をとり押さえていきなり注射をし、そのまま保護室で全身拘束するという、それが医療と考えている精神医療である限り、ひろさんのように感性豊かな子どもが、感性豊かな故に問題が生じやすい子どもたちが、救われることは絶対にない。救われるどころから、さらなる傷を心に負わせるだけのことである。


現在、ひろさんは好きな絵を描いたり、フラメンコを学んだり、自分なりの生き方を模索中だ。

PTSDについてもハーマンの『心的外傷と回復』を読んでみた。また、学校についてはオランダで盛んなイエナプラン教育についても調べたりした。

「そのままでみんながステキな存在」

ひろさんの印象的な言葉の一つだ。




http://www5.hp-ez.com/hp/datelier/page2

(ひろさんのブログ、d.アトリエ)