先日ぶらりと一人で浜名湖に行ってきました。
その時、波打ち際でこんな物を見つけたのです。
家に帰って
「キレイなクラゲを見つけたよ」
と撮った写真を長男に見せると
「それは、猛毒を持っているカツオノエボシといういきものかもしれないよ?」
と検索して写真を見せてくれました。
クラゲ科ではなく、カツオノエボシ科の生物で猛毒を持っているから触っては危険な生物ということでした。
「なるほど・・・触らなくてよかった。」と思いました。
そして昨夜。
家の中に蜘蛛が1匹。
それを見つけた長男が
「これは家グモではないなあ。川とかにいる蜘蛛だ。」
と言ってティッシュで包んで、そっと外に逃していました。
日曜に次男が川にバーベキューに出かけていたのでその可能性ありです。
長男曰く
「家グモは家の中にいるゴキブリを食べてくれるから、そのままにしておけばいいよ」
ということなのです。
なぜこんな話をしたかと言いますと
知識は何に役立つかわからないということ、
無駄な知識はないと思ったからです。
今思うと、長男が小さかった頃の私の役に立つ基準は
「教科やテスト、学校で役立つ」
「社会や仕事において役立つ」
だったように、思いました。
だから、生物大好き、生き物大好きの長男の知識は
「何も役に立たない雑学」
だと思っていたんですよね。
20年も経った今、やっと気付きました。
「その基準、何の基準?」
ってね。
私が以前雑学だと思う知識も、役立つ知識でした。
長男に「ありがとう」と伝えながら、
「その当時は、ごめんね」と思いました。
これからはこの経験を活かして
「その基準、何基準?自分だけの思い込みではないかなあ?」
と心の中で問いかけていこう!
と思いつつ、忘れないようにブログに書いてみました。