地蔵寺縁起書 『地蔵寺釈厄外伝記』

地蔵寺縁起書 『地蔵寺釈厄外伝記』

地蔵寺守護神、白旗稲荷大明神が語った昔話。
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「地蔵寺釈厄外伝記 六部殺しの村編」を最後まで読んで下さった皆様、誠にありがとうございました。

数奇な縁で僧職でも神職でもない、在家の父が書き記す事になった縁起書は、ひとまずここで終わりますが、本編はまだまだ続きます。

今後、玉圓尼と白旗稲荷の話をこの場で発表出来るかは分かりませんが、私としては父が残したこの物語がどんな形であれ世に出る事を願っております。

思い返せば、このブログを上げる時、様々な苦労がありました。間違いがあると保存が出来なかったり、一度更新すると、修正が二度と出来なかったりすることはざらでした。

テーマ「本編」が間違えて「ブログ」となっているのに訂正してないのは、何度試みても直せなかったからです。ブログに問題があるのか、はたまた言霊の力か、稲荷の霊力か・・・。

故に分かりにくい箇所がありましたが、御容赦下さいませ。

最後になりましたが、これをお読みの方で、「私の地元にも玉圓尼や白旗稲荷に纏わる昔話がある」と云う方は、もし負担でなければ、管理人までメールを頂けると有り難いです。玉圓尼の行動はまだまだ謎の部分がありますので・・・。
どうぞよろしくお願い致します。

管理人 もみじ



□あとがき

 

この度、数奇な縁で浩月山地蔵寺の縁起書を染手することになりました。地蔵寺の奥の院、白旗稲荷大明神と、紅葉屋守護神、紅葉稲荷大尊天の御力を御借りして、御玉転がしの秘行となりました。それは言葉の持つ不思議な不思議な世界であります。


御玉転がし、この聴き慣れぬ言葉は名古屋地方では狐の御文(おふみ)とも申します。所謂、御筆先であります。御玉の対象は霊狐に限りません。草木や森の梢の精霊や神々の声までも文字に写し書き取ります。ここでまたもや御転玉となりました。

 

浩月山地蔵寺の

木漏れ日差し込む奥の院

白旗稲荷の御神殿

脇の立ち芽の七枚を

しらはたいなりと綾勝って

御祭神と成りまする

密かに覗けば摩訶不思議

黄金に輝く金毛の

宝珠の色ぞ有り難さ

御札となって見えまする

おんしらばった

りにうんそわか

 

御玉のお文には昼日中のお文と「夜文」と称して深夜の闇の中で書き上げる「真暗の御文(まくらのおふみ)」と言うのがあります。寝たままで、どうやってと思いでしょうが、方法は以外と簡単です。


横長のボール紙に白紙をセロテープで張り付けておきます。それを夜具布団の上に置いて眠るだけです。勿論、筆記用具も用意致しますが、稲荷の真言を三度唱えます。真言の力は人智では計る事が出来ない叡知と神秘に満ちています。観た夢、感じた事は決して忘れる事はありません。神々や精霊の話す一字一句も、紙面に残ります。寝たままの暗闇の中での筆です。一枚の紙に幾重にも筆が重なり判読も困難になります。


でも心配御無用、真言を三回、最初はゆっくり、次は中くらい、最後は早く唱えます。文字は必ず解読出来ます。夢観た直後はこれ又必ず目覚めます。勿論、夢現の状態には変わりありませんが、文字は確り残されております。心静に読みますれば、言葉もころころ転がって、心も軽く身も軽く、弾む言霊身体に所狭しと飛び跳ねて、観たり聞いたり感じたり不思議な世界と豤日話。思えば七、八歳頃から毎日こんな状態でありました。

 

最後に平成十七年十二月三十一日の大晦日に起った不思議な体験を紹介します。それはNHKは紅白歌合戦の真盛りでありました。行く年来る年、テレビより流れる除夜の鐘、毎年恒例の氏神さまへの初参り…。

 

煩悩を 落す鐘聞く 新年に 氏神参りて 命あるを知る

 

氏神、白山神社への初詣を終え、その帰りの道すがら家内が突然、


「地蔵寺の白旗稲荷、お参りに行こうか。」


とのこと。時間は午前一時をゆうに回っております。夜のしじまは深閑と辺りも冷え冷えとして、怖いような雰囲気となります。白旗稲荷の参拝を終え、綿入半纏を身体に巻き締めるようにして歩きだせば、「えっ」と異様に背中が熱く感じます。「はっ!」と後ろをゆっくり振り返ると、大柄で骨太の男が白衣白袴に白足袋姿で立ち、横には縞柄の小紋に、三本独鈷の献上博多帯、金高麗の帯締を締めたお色気たっぷりの女性が立っていました。



小紋の女…「あたいのこと、忘れちゃ否とよ。」



白衣の男…「どうでぇ。汗が出るほどあったけぇだろ。でぇじな瑠須庵に風邪ひかれちゃあ身も蓋も無ぇからな。これから始まる大仕事に支障が出るといけねぇ。」

 

それは白旗稲荷と狐童女でした。

 

狐童女…「万延元年からの半田行き。霊力送るから筆に残してよ。」


白旗 …「あんまり無理言っちゃなんねぇぞ。瑠須庵に筆返しな。次は○○の里姫よ。」


狐童女…「○○の悪神にやられて死んじまったらあたいが稲荷にしてやるからね。」


白旗 …「おいおい。突拍子も無ぇ事言うなよ。今の言霊打ち消しとくからな。死なせる訳にはいかねぇぜ。おう、瑠須庵よ、おめえの事一等心配してんのは狐童女だからな。全く、惚れられちまったな。えれぇこった。稲荷にされねぇよう気をつけな。用あるときゃ、いつでも呼びな。狐童女、差し向けっからな。」


狐童女の顔を見る白旗稲荷。


白旗 …「呼ばねくども狐童女、勝手について行くな、こりゃ。」


白旗稲荷、位を改めゆっくりと言葉を口にする。

 

終わりに 始まりの塵界無き神威を申し渡す

 

すめろぎの国ぞありての おほかみ宝

神に愁い文の賜わりけるに

さ庭の力 姫ありてと申しつける

心せよ 闇に止まるべからず 妄誕聞くべからず

筋道見えずとも 狐法庵紅葉稲荷が 庵の篝火炊くと言ふ

驕れるなかれ 力はさ庭 其は今ぞ

 

重い、重いお言葉です。勿体無い程のお話です。白旗稲荷と狐童女に深々頭を下げて帰路につきます。時計は午前三時近くになっておりました。奇妙なことに家内もあの二人を見たと言います。しかし口は動けども声は聞えなかったと言うのです。


翌日、目覚めれば家内は「あれは夢だ。幻想だ。」と言いきっておりましたが、その目はそれを否定しておりました。






※○○・・・現実の町名が入りましたので伏せました。







~其の3-29からの続き

◎「六部殺しの村」終幕。旅立ち

 

恐ろしき一夜も明け、翌朝は快晴となった。村の古寺の須弥壇の修復も終え、いよいよ不動明王像の入魂式と、御開祖の供養を残すのみとなった。


唱える経も朗朗と、玉圓の姿は誠に凛とし、御法衣、袈裟は浅萌黄の大燈金襴目に染みて、御念珠菩提の粒揃、供養も滞りなく進んだ。村人総出で合掌し、心静に満面笑顔であった。




白旗 …「玉圓さま、供養も済んでよござんしたね。」




犬のお花も白旗を見上げ、尻尾を大きく横に振っている。お千代も水車の爺も、皆安心の心持ち。誠に目出度い限りであったが、白旗だけは厳しい顔を隠すような、どこか思案の陰が見え隠れしていた。


白旗稲荷はまだまだ尸位素餐(しいそさん)と己を責めていた。そう思わねばならぬ澱(おり)のようなものを感じていたのである。

 

いよいよ玉圓一行の旅立ちである。村人総出で見送りとなった。陽はもうじき落ちそうである。また夜掛けの旅となりそうだ。でも白旗稲荷、この村に入った時とは大違い、堂々と巨大な稲荷のままである。


姿を消してはいない。日本中その姿のままで歩けると良いのだが、知らぬ人が見れば吃驚仰天、腰を抜かすことになるだろう。




白旗、やはり人前では姿を消す事にした。だが狐童女と財賀稲荷は人の姿で玉圓と共に夜道を歩いていた。



 

地蔵寺縁起書釈厄外伝記 

「六部殺しの村」    終幕


~其の3-28からの続き


鬱頭の言霊が終わると同時に、白旗稲荷を突然金縛りが襲い、身動きがとれなくなった。


その時、脳裏に何かが観えたのか、白旗一点見据え、金毛逆立て唸り声を出す。

歯を食い縛り「牙――牙――」と耐えるが精一杯。


そこへいきなり「跋折っ!」と弾き飛ばされた。先は薑、所狭しと咲き誇る真っ只中…。白旗は薑を払いのけながら苦々しく起き上がる。


白旗 …「これはまたでぇ嫌いな薑の中に、

     ご丁寧なるご挨拶、痛みいるぜ。」




顎髭をひくひくさせ、白旗は眼光鋭い白狐の姿となっていた。その手には注連縄と紙四手がしっかりと握られている。


白狐は気を据えて塚の周りに結界を張り巡らすが、突如容易ならぬ風が吹き、紙四手は千切れんばかりに揺れ動く。


「怒さっ!」白狐は又もや弾き飛ばされ欅の巨木に叩きつけられたが、直ぐに起き上がり、風轟々と吹き荒れる中、二重回しで注連縄を巻き終えた。白狐は一点を見据え、後ずさりにゆっくりと下がる。


白狐 …「吽なことはさせねぇぜ!

     ある訳ゃ無ぇだろ…。吽なことは…。」


怒りの風は止まることを知らず。白旗白狐は銀毛を棘に掻き乱し、牙を剥いたその形相は凄まじく怒鳴り声を出した。


白狐 …「吽なことはあってたまるかぁ!」


一体、白旗は鬱頭に何を見せられたというのであろうか…。

 

おんそらそわてい えいそわか

おんそらそわてい えいそわか

 

辨財天の真言を唱え、顔面蒼白で力無く山を降りる稲荷であった。

 

□「田」の字、瓦気の覚え

平成十八年二月、愛知県安城市にある歴史博物館にて愛知県埋蔵文化財センター共同企画展「畏きものたち ―東海地方のまじないと文化― 」があった。


そこで思わぬ出土品に目を奪われた。大量の「田」の字の墨書土器である。同展の図録によれば、鹿乗川流域には古代より遺跡群があることが知られ、彼岸田遺跡はその一つである。まずその「彼岸田」の地名である。


図録には『この遺跡内の北東から南西に流れる川の南岸から「田」等と墨書した奈良・平安時代(8~9世紀頃)の須恵器灰釉陶器三十六点が纏まって出土した。他の遺構等から出土したものを含めると、彼岸田遺跡から出土した墨書土器は九十点にものぼる。』とあった。


しかも『何らかの記号や文字の断片のみで全体が分からないものもあった。』とある。こうした文字が何を意味するか分かっていないとあったが、今やその意味目的の総てが地蔵寺釈厄外伝記によって明らさまになったと言える。


其の3-30へ続く~





~其の3-27からの続き

白旗 …「うううっ、おめぇ此処に居ったか。どうやって気配を消したか。おれさまがそう簡単にやられると思うのか…。いってぇ何もんだ?」


鬱頭 …「分からぬか?読んだであろうに。『藪眇目鬱頭首掻切不生石上座』 と…。」


白旗 …「げっ! あの鬱頭か!」


鬱頭 …「人間なんぞ…よくもまぁ…。ところで頼みがある。この頭塚の戌亥の下に辨財天の瓦気(土師器)が埋められておる。

 

     それに胴塚、足塚の針金、鉄四手を断ち切り、四方其々の瓦気を掘り出してはくれぬか?


     ならば、玉圓共々この村から無事に出してやろう。素直に玉圓の供養を受けても良いぞ。」


白旗 …「おめぇ…。玉圓さまの名を何処で知ったか?」


鬱頭 …「人間なんぞ…。」


白旗 …「…そうか。土師器はそれぞれ四つか。その一つがまだ戌亥に残って居るのだな。後の三つはどうやって掘り出したか?」


鬱頭 …「造作も無きこと。道に迷いて此処に来た者に掘り出させたが、そやつは恐ろしさのあまり、気振れて死んだ。

     残るは戌亥の一つ…。」


白旗 …「辨財天の気配と言ったな。どうして知った?」


鬱頭 …「掘り出された土器や瓦気には文字にならぬ書きかけの断片や墨痕鮮やかに『田』の字が書かれてあった。奴の見たもの総て読み取ったのさ。」


白旗 …「どういうこった?」


鬱頭 …「文字の断片は文字にならぬ言霊にならぬ。つまり成就させぬこと。ここから出ることは出来ぬ呪術儀式よ。

 

     ここに埋められた時、奇妙な瓦気を四方に埋められたが、その直後身動きならぬようになった。奴らの呪法が見えて来た。『田』字だったとは。


     そこに市杵島姫命による封じが掛けられ、言霊浴びせ後手で埋められた。唐土(もろこし:中国のこと)から辨財天渡来後はもっぱら寺も建ち、辨財天も祀られた。

 

     死んだ奴は瓦気を掘り出し、田の字を見た時だ。何やら訥弁になったと思いきや、瘋癲となった。死骸になったには某の所為ではない。」


白旗 …「鉄針金の注連縄の結界はどうやって切った?」


鬱頭 …「鉄なんぞ錆びれば切れるがこの世の常。白旗とやら、残る戌亥の一つ、取り出してはくれぬか?」


白旗 …「玉圓さまはな、おめぇなんぞ供養しねぇ。生憎紙四手、注連縄しか無ぇが結界張り巡らそう。」


鬱頭 …「おのれぬかしたな!注連縄なんぞ直ぐ怒腐って切れるもの、無駄だ。稲荷如きに礼を尽くしたのが間違いであった!

 

     よくも藪眇目だ、鬱頭だと※下賤下根の奴婢(ぬひ)以下の法名を位牌にしてくれたな!

 

     望み通り人も恐れる鬱頭の祟り神と成りて人間なんぞ目にもの見せてくれるわっ!」

 

※下賤下根(げせんげこん)

卑しく、仏道を修行する力の乏しいもの


其の3-29へ続く~