9月24日(火)入院25日目
今日は主治医はこないのかな~。と思って、PCやりに行こう!と立ち上がったところに
主治医が来た。
体調、どうですか?快調そうですね。
はい、見ての通り快調です
それで検査の日、2週間後って申し上げたのですが、熱がなかなか下がらなかったというのもあるので
造影剤使った検査は月曜日、来週早々早い段階に行おうと思います。
金曜日だと、もしまだ塞がり途中だった場合、また熱が上がったりしてしまうので、少し時間置きますね。
私もそれが心配だったのでその方が良いですあとは塞がってくれているか・・・。
もう本当ドキドキですが・・・。
あ、あと、もう歩いていいんですよね
はいもうこの体調ならどんどん歩いても全く問題ないです。
あとは普通に過ごしてください。影響はありませんから。
分かりました。それ聞けて安心です。出来るだけ普通に過ごします
うん。じゃぁ頑張ろうね
はい、ありがとうございます。頑張りま~す
その後、病棟周りを10周歩いた(歩数にすると1400歩くらい。)
今日は兄が面会に来ることになっている。14時半頃兄が来た。
病気を告知してから初めて会うので、しょぱななんて話そうかななんて思っていたけど
兄のほうから”大変だったね、色々気を遣って家族に言わなかったんだね。何も知らなくてごめんね”と言われた。
その後、今日に至るまでの話とか、子供たちの事とか沢山話した。
特に兄は私の夫婦関係をいつも気にしてくれていたから、この話をした。
そう、癌宣告されてすぐの時に、「癌宣告されたらローンチャラになるかもしれない」とルンルンで言われた事。
流石の兄もそれを言われた私に対して哀れみの目を向けた。
だから私は夫を嫌いなフェーズにまたもや突入した話。そこからムカつくから一切病気の事は旦那に話さなかったし、彼も聞いてこなかった。
初めの入院の時だって、普通は主人が送迎してくれたりするものだと思ってた。でもそんな事は一切なかったし、
退院の日も夕飯何にしようと悩んで帰り買い出しして帰ったからね
もう恨みつらみがヒドくて、そんな愚痴をひたすら兄に聞いてもらっていた
兄は、”一番支えないといけない、支えて欲しい人にそんな事言われたらショックだね・・・辛いわ・・・と言ってくれた。
だから、ずっと一人で抱えていた事、でも泣かないって決めていたから、一人で色々調べて突き進んでいった話。
でもいよいよ入院が決まった8月中旬頃に、私は親友と最後の晩餐で昼から飲み歩いていて、その際旦那の職場の近くだったので、旦那を呼び出し合流して貰うことに
その流れで、旦那に私が思っている事を伝えた。私の親友同席のもと
その時に、入院の時、荷物が沢山あるから病院まで送って欲しいそして手術も一人で受けるの少し不安だから立ち会って欲しい。
もう恋愛の愛じゃなくていいから、家族として私の事愛して欲しい。いつもいっぱいいっぱいだから、助けて欲しい。
私は家族の愛を沢山受けて育ってきたから、愛があるのが当たり前と思っちゃっていて、愛(思い遣り)が無いと辛いんだ。
あなたが私をどうでも良く思って、ただ家の事やってくれる人と思って愛してくれないなら、私は私を愛してくれる人を見つけるから
と言った。そして私もいつもピリピリしていてゴメンと伝えた。
その時に旦那は黙り込んでいたけども、やっと出た言葉が
『自分は愛を与えられて育っていないから、愛し方が分からない・・・。』だった。
確かにそうだなって、私の家族とは確かに違ったなって。
”愛が分からない”って彼の育った環境を考えたらそうなんだなって。しっくりきた。
もちろん彼はそれなりに愛を受けて育っていると思うけど、私が思う愛とはちょっと違う感じがしていた。
※例えば何でも買ってあげる。自立を促さない。お金の散財等
特に父親からの愛は感じられなかったのだろう・・。
そんな話を兄にしたら、兄も義理実家に遊びに来ることも多々あったので、家庭環境に関しては兄もしっくり来ていた。
だから今回私が病気になった事は、私の家族の試練なのだと思った。だからこれからまた家族の構築を頑張って行こうって
そう思っている。旦那の愚痴ばかり言っているけど、私にも悪い所はあるし、これからは努力をしていこうと思った。
そんな話をして、軽く面会時間の15分なんて過ぎていたけど、今日は注意されなかったから、話し続けてしまった。
久々に兄と話せて楽しかった
※実は最後の晩餐の日、旦那との上記やり取りの日も実は兄にlineで報告していた↓