木喰仏 魅惑の微笑み-如意輪(宝生寺) 「仏像の交響楽と呼ぶにふさわしい」と※五来重氏に言わしめた、新潟県長岡市、宝生寺の三十三観音像

右の絵は、四列のひな壇の最前列、中央脇(オーケストラに例えれば、コンサートマスターの位置)に祀られている「如意輪観音」像の一体(宝生寺の如意輪観音像は計四体)。


如意輪観音の像容は普通、坐像または半跏像で、片膝を立てた姿で座り、六臂(腕が6本)の例もありますが、ここ宝生寺仏は、すべて二臂(腕が2本)の半跏像です。


右手は頬に当て、思惟相を示し、(木喰仏では)左手は如意宝珠(あらゆる願いを叶えるという玉ねぎの様な形の珠)を持たずに、胸の前で衣のすそをつかんでいるという姿で刻まれています。


この像容の如意輪観音は、宝生寺の前に、小栗山観音堂で彫られた三十三観音像や、宝生寺のすぐ後に訪れた金毘羅堂に遺された三十四観音像、その1年後に刻まれた、大月観音堂の一体など、ほかにも多く遺されました。


さて、この新潟に遺された、大観音群像の訳はというと、

東京国立博物館のHP『仏像 一木(いちぼく)にこめられた祈り展』(平成館/2006年10月3日~12月3日)の解説では、「木喰は享和3年(1803)から2年半、越後に滞在して230体ほどの像を造りました。86歳の木喰は、享和3年8月1日から24日までの間に、小栗山観音堂(小千谷市)の中尊如意輪観音像と32体の観音像、行基菩薩・大黒天像を造立。これらは公孫樹(いちょう)の大木から造ったと伝えられます。翌年6月9日から7月13日には宝生寺(長岡市)に三十三観音像(高90cm前後)、引き続き7月14日から 8月15日は金毘羅堂(長岡市)に三十四観音像(高65~75cm)を完成させました。この3つの堂あわせて百観音、すなわち西国・坂東・秩父の観音霊場を再現した」ということなのです。 (つづく)
 

※ごらいしげる 1908-1993 茨城県久慈郡生まれ。庶民信仰、民衆宗教史などの分野で多大な功績を残した代表的民俗学者。大谷大学名誉教授。