こんにちは

雨ですね。
次女は朝から「パパの誕生日ケーキをつくる!」と、買い物に。
雨なので、スーパーの駐車場までは車で送りましたけど。
偉いなぁ。。。
私はナニモプレゼントヨウイシテナイ…
長女は定期テスト前でもあり、明日漢検という、まぁまぁ追い込まれているスケジュールです。
今のところ、不機嫌ではない。
昨日、小学校の教頭と話し、そのあと小規模多機能で代表とはなし、そのあと中学校に昨日期限の書類提出物を出しに自転車で行きました。
職員室で体育の先生が受け取ってくれ、そのまま帰ろうとしたら、
「お母さん!」と呼び止められた。
別室の先生でした
「送り迎えとか無くなったし、全然会えなくなって、話す機会がなくて、良いことなんですけど」て。
本間、あんだけ毎日毎日私はタクシーか!とか、召使いか!とか思いながら、朝も午後も学校や適応や駅まで車をだしていたのに、凄い成長やわ。
先生は、別室での長女の変化や、他の子への関わり、他の子に与える良い影響を教えてくれ、そして存在が頼りになって、スタッフ側みたいだと。
それ、適応指導教室の先生にも言ってもらってて、うちの子の良いところなんだろうなぁ。
少人数だと、その中で自分はどのように過ごせば良いか、考えて行動できるんだろうな。
それが、教室になるとキャパオーバーで、怖い先生とか、自分より圧の強い子とか、強引な子とか、無神経な子や、暴力的な子とかがいるし、全体を見ているから、それに対抗できないメンバーも目に入り、何もできなくなってフリーズする。
だから、少人数ってのが、長女の生きやすいポイントなんだろうなぁ…
私、ずっと長女は賢い子だと思っていて、ここにも書いていると思うんだけど。
いや、親バカだなって思われるかもしれないけど。笑
私の言う賢いは、成績とか、偏差値とか、IQとか、そーゆーのではないのです。
赤ちゃんのころから、身体は虚弱でしたけど、目が違ったように思う。
めちゃくちゃ小さいのに、大人が話している内容を理解している目をしていた。
そして、理解したからこそする反応を見せていました。
それは、親族一同が一目置いていて、明らかに他の子と違ったのです。
職場の少人数院内保育園(0から6歳で50人前後)では、その賢さを保育士さんが認めていて、こんなことがありましたと、よく教えてくれていた。
わかりやすく言うと、ざまざまな大人からの説明に対して、理解力がめちゃくちゃ良いのです。
だから、みんなの前に呼ばれてお手本となることが多かったそうです。
で、小学校に上がる時も、保育士さんから
「(長女)ちゃんだけば、本当に心配がない。」と送り出されたのです。
が、現実はその逆!
長女だけが、登校しぶりを始め、不登校になりました
その時の私のショックは本当に大きかった。
なんで??の連続でした。
で、私は周りにも状況を話し、相談したのですが、誰も理由はわからない。
私も、先生も、保育士さんも、親族も、誰も彼もわからなかった。
お母さんの大先輩みたいな、ずーっと長女と私のことを心配してくれた人でさえ、長女が学校に行けない理由は最後までわからなかったって、卒業式の後に言われました。
今になるとわかる。
長女は生まれつき筋肉疲労から回復する力や、体力が無かったなって。
保育園は少人数だし、体力の消耗の程度が長女に合っていて、そこは隠れていたんだな。
そして、長女はその保育園で理不尽なことを言う先生に出会ったことなかったんだ。
小学校一年生の時の、あの軍隊のような、キムタクの教場のような教室で、初めて体験する理不尽。
他の子がとりあえず言われた通りに従う、適当に聞き流す、先生が言ってるしそれが正しいと思う。
そーゆー事に、全て疑問を持ち、ただ一年生なのでそれを整理して言葉に出せなかった、言葉に出して親から先生に伝わったら、毎日教室でどんな顔で先生と関わったらよいかわからない。
そんな日々だったと思う。
付き添い登校を始めてから、初めて知った教室の異様さ。
ただ、その時の私は、怖いと思いながら、
「ゆとりが終わって世の中はこんなに厳しくなったんだ。私は、あの保育園が良い保育園だと思っていたけれど、温室育ちにしてしまったのかもしれない。」と思ってしまった。
私自身、皆さんご存知のように理不尽が大嫌い。
だから、子供達も1人の人間として対応していて、騙したり、約束を破ったり、無理なことを言ったり、そーゆー理不尽なことはしてこなかった。
だけど、社会に適応するには、理不尽を受け入れる人間にならないと生きていけないのか…と思ってしまった。
だけどね、その先生がおかしかった。
その学年の学年主任(次女の小2の担任)もおかしかった。
私は管理職に訴えるべきだったのに、私は最初自分の子供をその先生の理不尽に適応させようとしてしまったのだ。
長女は態度と行動でおかしいって示していたのにね。
まぁ、先生が変わっても、次は私の仕事が地獄に突入したり、様々の要因が重なり、完全不登校になったんだけど。
お勉強が得意だった長女。
メンタルが落ち、それができなくなり、成績が下がり、さらにメンタル落ちた長女。
自分は優等生と、勝手に認められていたのに…。
私も、この子は本当は賢いのにって、悔しくて。
あの時の私に、今の私が何て声をかけるかな。
「大丈夫。だって、賢いんだから、いつでも短時間で挽回できる。それより、今大事なことは何?この子を知ることだよ。
元々、体力ないよね?
色んなことに気付くから、気力もすぐにエネルギー切れするよね?
それが、この子なんだよ。
教室で勉強するだけが、勉強じゃない。
成績とることだけが勉強じゃない。
友達は学校じゃないとできないわけじゃない。
あなたが普通に戻そうと、この子を追い詰めることが、結局一番孤独にさせている。
この子は、自分に合った環境なら、実力を発揮できるんだよ。
あなた仕事で家にいられないのなら、適応指導教室って知ってる?
そこに一度、子供達といってみなよ。」
こんな風に、ズバっとヒントや答え、大丈夫の理由を教えてくれる人がいたらよかったな。
もちろん、長女は適応指導教室があったけど、他の子は違う居場所があうだろうし、それは家でもフリースクールでも別室でも、支援級でも、おばあちゃん家でも、どこでも良いんだけど。
どうして、体調を崩して、メンタル崩壊しても、学校の中の居場所を目指すのか。
行きたいのに行けないのは、
心の奥、脳の奥で、危険だから行かないというシグナルが出ているのだ。
行きたいけど行けないは、
本人も親も信じたくないけど、
行きたくないと魂が訴えているのだ。
行きたいけど行けないは、自分や親のたてまえなんだ。
本音は、身体が動かないこと(様々な身体症状も含む)が証明してる。
勉強する、友達をつくる、真っ当な人生を歩むためには学校は行くものなんだという洗脳、心の奥の、もっと奥を自分で見ようとしない限り、
そこを認めないかぎり、前には進めない。
身体や心に、一生取り返しのつかない病気を発症しても、それでもよいと、普通のレールに戻そうとし続けますか?
私はそうではないと思う。
まずはそこから。
そして、その先に子供達の幸せな道が見つけられるのだとおもう。