こんばんは

あっという間に夜だー。
今日、娘達はそれぞれの場所へ笑顔で歩いて行きました。
休日に心の充電ができたのかな。
私は家事を済ませて、テキストを読み進める。
発達てね〜
子供達から大人になるだけが発達じゃない。
受精から息途絶えるまで、ずーっと発達。
で、40歳前後の今の私は
「人生なかばの過渡期」らしい
自分の今までしてきたことは何であったのかを考える時らしい。
そして、生き方を大きく変える時でもあるらしい。
本間、その通りかも。
親の会で出会ったメンバーも、ブログを読ませてもらって、同じように生き方を考えているように思う。
この発達のお勉強。
私は一度、絶対やってる。
母性看護、小児看護、成人看護、老年看護。
それぞれで、「〇〇期とは」なんてレポートを書いていたよね。
でも、その時の私はまだ19〜21歳の若者。
机上の学びでしかないよね
育った家庭が核家族ではなかったので、姉や両親以外にも祖父母や曽祖母の発達も肌で感じて育った。
こんな風に歳を重ねるのかって。
でも、それは人間を外からみた客観的なもの。
実際に自分が成人し、就職して、結婚し、子供を産み育て、親も弱ってきた今、人生半ばに来て、色々思うことこそが、人間を内側から感じた主観的な発達なのだ。
この歳になり、やっとこのテキストを読んで納得できること、多いかも。
また、発達障害についても、わりと詳しく書かれている。
自閉症当事者の著書から、「どんな世界で生きているのか」を抜粋して載せてあったりもする。
自閉症の方が自ら、世界は自閉症と自閉症以外の世界にわけられるという程、同じ空間にいながら違う世界に生きる感覚だと。
以下、この本のp119抜粋
保育士や教師、心理士、医師などは、その体験世界を知ることが必要不可欠です。
相手の生きる世界を知らずに、その子どもに職業人として接するのは、専門家として失格です。
厳しい言葉だけど、それは、自閉症以外の発達障害や、最近ではHSCについても、同じかなぁと思う。
自分の肝に銘じよう…
そう思うとさ、やっぱり
不登校どころの話ではない。
不登校が問題なのではないのよ。
そもそも、不登校の原因は様々だから、一概に待てば良いとか、根拠もなしに言うのもおかしな話。
(↑これ、私何度も言ってる。)
小学校に入って、学校に通うことができなくなって、
不登校
と、大きな問題がのしかかるんだけど。
いや、そもそものところ、
学校に行けないことが問題なのではなくて、
行けなくなった原因こそが生きづらさの根本なんだから、そこをクローズアップして見ていかねばならないのよね。
だから、私は前から不登校になった原因探しを全くしないのはどうかと思うと言っていたし、この本を読んでさらに強くそう思ったな。
友達関係が上手くいかなかった
いじめがあった
先生に集中的に叱られた
完全に相手に問題がある場合もあれば、根本に生きづらさがあって、それの跳ね返りでそうなっている場合もある。
それは、親の自分達が子供の頃にも同じようなことがクラス内で起こっていたはずで、それが記憶にないってことは、その事に関心がなかったか、当たり前のことだからなのか、自分のことしか興味がなかったのか、そんな感じなのかな?
不登校の原因探しをしても、子供を追い詰めるだけって良く言われるけれど。
それは、子供達本人に対して直接
「なんで学校いけないの?」
「何が嫌なの?」
などと問い続けることが良くないのではないかな。
親が自分なりに自分の子供を良くみて、知ろうとし、本や講演会や親の会やブログで様々な知識を吸収していくことは、大事なことなんじゃなかろうか。
そして、親が己を知る。
これも、大事ですよね。
親が子供への関わり方を間違えていて、子供達の不安を強くしたり、成長を妨害していることもある。
そう思うと、親って大変ね
今更だけども。
本間、大変だわ。
だってさ、私達の時代って、男女雇用機会均等法で男の人と同じ土俵に立とうと結婚を諦めてバブリー時代にガムシャラに戦った女性の、一つ後の世代。
就職氷河期ながらも、専業主婦はあまり見かけない世代で、勝ち組や負け組とかの失礼な言葉がテレビでも言われた世代。
仕事をして、結婚も諦めず、育児時間を実際使えるようになった共働き世代。
しかし現実は、育休明けの女性に仕事と家事と育児がガッツリのしかかる構造になっていた。
左腕には下の子、右肩にはお昼寝布団とオムツと大量の着替え入りバッグ、右手は上の子も手を繋ぎ、歩いているのが現実。
帰宅すればギャーギャーしている空間で晩御飯やら風呂入れやら。
やっと寝かしつけたら旦那が帰宅し、一人で悠々晩ご飯食べとるし、食器は食洗機に入れない。
こちらのベッドは左右に子供達
あちらはお一人でお風呂入って寝とる
育メンって言葉が流行ってたけれど、今育メンどこいったー
消えたのか??
マボロシ〜
女性は結婚しても責任ある仕事についている場合が多くて、早く帰らねばならないジレンマと闘っているのに、男性に帰宅を早くするようお願いしても「無理」の一言で話を終える。
そんなギリギリの生活に突如現れた
不登校。
1秒たりとも無駄にはできない朝の時間に、お腹痛い、吐き気が止まらない、泣く、登校班で行けない。
私には、長女の気持ちを考える余裕は、一切なかった。
困る
まさに、それでした。
今から考えると、本当に酷いと思うけど。
だけど、あの時の私は、その状況に置かれていて、本当に困っていた。
仕事を投げ出すわけにはいかない。
だから、早く元の長女に戻ってほしい。
それだけを祈ってた。
小学校一年生から登校しぶりが始まって、仕事を辞めたのが六年生になる時だったから、長い戦いだったな。
辞めてからも、色々あったけれど、長女のペースに合わせられるのだから、平和なものです。
私の生きてきた時代背景が、世の中の多くの不登校を作り出しているのかもしれないなぁ。
家族の余裕のなさね。
昔のように専業主婦が多い方がよいとは思わない。
だって、女性も仕事を持たないと、男の人に対等に物言えないもん。
仕事することで人として成長できることもあるし。
だけど、やっぱりあれもこれも手に持つことはできなくて、何かを手に入れたら、何かを手離さなければならないことも、知っておかねばならないな。
そして、一度手離したものも、また手に持つことができると、自分で証明していけたらよいな。
今は人として、中身を成長させられたら良いなぁ。
難しいけれど。
こんなことを長々考える
まさに
人生半ばを生きる中年でしたー
