朝に、夜にフランス語のラジオを聴いている。
ただ聴いているだけ。
勉強になっているとも思えない。
イメトレまたは現実逃避。
全然ちゃんと聞き取れないので、大抵の場合、聞こえてきた知っている単語をつなぎ、”こんな話してるのかな〜”、と想像する。あくまでも想像して聴いているだけ。
でも、よく全くどの言葉も拾えず、?????これほんとにフランス語か?ポルトガル語じゃない?くらい分からない事も多い。
興奮したおばさんが早口で喋ってる時なんて、?????
完全にBGM。
スカイプレッスンを同じ先生と数年(3年くらい、それ以上?)やっています。
とてもいい先生。
長年同じ先生とやっていると、、、
先生はもこすけのフランス語をすぐに理解してしまいます。
これがいいのか、悪いのか?
言葉とは、言葉そのものの理解の他に、発音の癖や、その人の背景、どんな生活をしているのか、などなど、言葉以外でその人を理解する要素が多い気がします。
長年連れ添った老父婦が会話がなくとも、何が言いたいか分かってしまう、みたいなイメージ。
なので、相当たどたどしく、変な単語を変な発音でめちゃくちゃな文法で話しても、先生は”Ah~~~”、と理解してくれてしまうのです。
もちろん、先生は正しい言い方に直してくれますが、それでも、通じてしまうとそのまま通り過ぎていく文章もあります。
このノリで、現地フランスに行くと痛い目に合います。
通じない、、、となるのです。
初対面のもこすけの事を全く知らない、もこすけの変な発音にも慣れてない人は、???となり、”英語にする?”、となるのです。
もこすけの印象では、やっぱり若い人と話した方が通じやすい。
若い人って頭が柔軟だし、努力して想像力も働かしてくれる気がします。
(老人はだめ、、、。)
いつもこんな感じで通じていたのに、、、と心折れてはいけません。
(本当はすぐ折れる)
まだまだ修練不足なのです。
いつも自分に言い聞かせるように、”フランス語の勉強を楽しもう!”とか言っている。
世の中的にも、何事も”楽しんで”やることが良い風潮もある。
今までずっと、仏検とかの試験合格を目標に勉強してきた時期が長かったので、勉強が”試験勉強”になり、楽しくない時期も多かった。
今は、そういうプレッシャーなく勉強しているので、楽しい。
→それで良い。
でも、1つ思う。
何かしらの事(語学でもスポーツでも)、”楽しい”と思える時期までにある程度、ツライ・つまらない時期があるのではないか。
楽しさを味わえるまでに、かなりの努力が必要。
だから、楽しくなるまでに、つらくてみんなやめちゃうんだよな。
、、、
さて、もこすけのフランス語。
まだまだ”楽しい”と能天気に言っていられるレベルではありませんね。
やっぱり、つらさも伴う時期がまだまだ長く続きそうです。
フランス語のスカイプレッスンは気に入っている。
(何度も言っているが)、もこすけはフランス語の学校が苦手だ。
たくさん理由はあるけど、1つはそこまでの行き帰りの時間さえもったいないし、疲れる。
もちろん、スカイプレッスンにも問題はある。
時々、つながりが悪かったり、音が悪かったり、、、これは令和の時代にもっと快適になるのだろうか。
スカイプレッスン、毎回自分に相当がっかりする。
言いたいこともうまく言えず、へんちくりんなフランス語を喋り、同じ間違いを何度もし、、、
もちろん、先生は丁寧に直してくれる。
本当に、毎回自分にがっかりするんだ。
でも、先生は必ずメールで、
”今日のディスカッション、流暢で良かったよ、ブラボ〜!”的なコメントをくれる。
”嘘だろ、、、”、と思うが、ここで考える。
じゃあ、厳しいコメントが欲しいのか?その方がやる気が出るか?、と。
自分では十分ダメだ、と分かっている、、、だからせめて(嘘でもお世辞でも)先生からは褒めてもらいたい、その方が頑張ろうと思える。
結論:やっぱり(嘘でもお世辞でも)褒めて欲しい!
どうせ趣味のフランス語。
気持ちよく勉強すれば良い。
もっと言えば、限りなく能天気に勉強した方がいいと思う。
深刻にやったってつらいだけ。
どうせ、大してうまくならないなら、限りなく能天気にフランス語を勉強する。
ネガティブな気持ちは封印。