他人の話をながながと聞くことはつらい。
特に、否定から入るひとと話すことはしんどい。
こちらが提案をしても「でも」
未来に向けた話をしようと思っても「どうせできない」
救いの手が届かない存在は手を差し伸べる気持ちさえ削がれる。

アンガーマネジメントを学んだことがある。
その時に響いた言葉は、他者は変えられないが自分が変わることはできる、だ。
だから自分が変わるしかない。
そうやって帳尻を合わせてわたしたちは生きている。

わたしがその他人に変わってほしいと思うこともまたひとつ、諦めなければいけないことなのだろうか。
その人のせいで、その人の大切な、たったひとりの宝物が傷ついていたとしても?
これだけ時間を割いても「相談しても無駄だった、だれも助けてはくれない」と言われることがまた、悔しい。

諦めたのならもう二度と話したくもなく、顔も見たくもないものだ。
しかし、そうはいかない。
家族であればもっとそうはいかない。
その人の怒りが小さな命に向く限り、わたしたちも手放せない。

今日話してみて分かった。
この人を変えることはできない。
だから、小さな命が力をつけていくしかない。
その怒りを回避できるような、そうやって生きていくしかないのだ。

ひどくつかれた。あたまがいたい。
こういう日はスサシを聴くに限る。
頭パッパラパーだカス ass hole!!!