不安ミイ子「マリカ…私、もしかして人生の最終電車に乗り遅れたかも。」

 

真顔マリカ「その前に切符買ってないでしょ。」

 

不安ミイ子「だってさ、周りはみんな昇進とか起業とか“本当の自分”とか見つけてるじゃん!こっちはまだ自分のWi-Fiパスワードすら把握してないよ!」

 

真顔マリカ「Wi-Fiはともかく、“本当の自分”って、スーパーの棚にあるもんじゃないわよ。賞味期限も書いてないし。」

 

悲しいミイ子「しかも例のプロジェクトも全部中途半端で…この前なんて『近日公開予定』ってタイトルのまま資料提出しちゃった!」

 

真顔マリカ「もはや予告編で完結してるのね。」

 

不安ミイ子「いやもうほんと、人生って完成しない呪い?私、いつになったら“完全体ミイ子”になるの?そろそろバージョン1.0にはなりたい。」

 

ニヒヒマリカ「残念。前も同じようなこと言ったけど、人間は永遠にβ版よ。アップデートは地味に自動。バグも定期的に発生するわ。」

 

不安ミイ子「そういえば同じような話したね。でも、やっぱいまだ、こんな何も成し遂げられない、中途半端なままじゃ生きていけないって思っちゃう!」

 

ニヤニヤマリカ「しょうがないわね、それなら、“未完成な自分をまあまあ愛せる方法”三本立て、特別公開するわ。」

 

ひらめきミイ子「まじで!?何それ、急に人生のインフォマーシャルみたいになってきた!」

 

ニヤニヤマリカ「まず一本目。すでにやってきたことをきちんと称賛せよ。あなた、パンケーキ焦がしたとはいえ、焼いたじゃない。納豆だけじゃなかった。拍手よ。」

 

ひらめきミイ子「えっ…たしかに!?食べれるかどうかは別として、私は確かに料理という行為を成し遂げた…!?」

 

ニヤニヤマリカ「そういうこと。次。未完成を可能性として受け入れよ。“まだできてない”は“まだできる”の裏返し。あなたの中には、明日突然フラメンコを始める可能性すらある。」

 

ひらめきミイ子「フラメンコ!?なんで!?どこから来たその情熱!」

 

ニヤニヤマリカ「人生なんてそんなもん。で、三つ目。今の“中途半端ゾーン”に、次の目的地をそっと置け。これからどうしたいか、ちょっとだけ考えてみて。」

 

知らんぷりミイ子「うーん…朝ごはんが、パンケーキ焦げ焦げじゃない日を作りたい…。」

 

ニヤニヤマリカ「そう、そういうの。まずフライパンを買い替えなさい。」

 

真顔ミイ子「そこから!?あ、でもそれならできそうかも…!私って、もしかして、まだ何者にでもなれる“半熟たまご”状態!?」

 

ニヤニヤマリカ「そう。しっかり茹でたら、もう変形しないのよ。」

 

ニコニコミイ子「じゃあ半熟でいたい!!ぷるっぷるでいたい!!!」

 

ニヤニヤマリカ「若干怖いけど、勢いは認める。」

 

知らんぷりミイ子「でもさ、雑誌のインタビューとか見るとさ、『やっと見つけた、本当の自分』とか、『夢を諦めなかった先に、光があった』とか、『ゼロから築いた私のブランド』とか言ってるじゃん?なんでみんなそんな完成してんの?」

 

真顔マリカ「あれは表紙用の人格。実物はだいたい洗濯物たたんでないわ。」

 

真顔ミイ子「じゃあ私も未完のままでいいのか…?」

 

ニヤニヤマリカ「そうよ。だって人間は、未完成の芸術作品みたいなものなんだから。ちょっと斜めで、ちょっと意味不明で、それでも立派に展示されてる。」

 

ニコニコミイ子「わたしも展示されたい…日当たりのいい場所に…!」

 

ニヤニヤマリカ「展示っていうか、それ、ただの日光浴よ。」

 

 

 

何も成し遂げていない自分を受け入れるための3つのヒント

 

1. これまで歩んできた道を振り返り、できたことに感謝する。

 もう十分、あなたはよくやってきた。

 

2. 中途半端と感じるその気持ちを、人生への好奇心に変える。

 「これから何を学べるんだろう?」「何ができるだろう?」と考えてみる。

 

3. 未達成感を通じて、次に進みたい方向を見つける。

 「どんな自分になりたい?」「次はどうしたい?」と問いかけてみる。

 

何も成し遂げていないように感じるとき、私たちは「恥ずかしさ」や「物足りなさ」といった感情と向き合うことになります。

書きかけの本、途中まで作った歌、アイディアや計画…。多くの人が毎年、「まだ完成していないから」という理由で、それらをそっと引き出しの奥にしまい込んでしまいます。

でも、もしあなたが、その“未完成のままの自分”で思い切って一歩を踏み出したら? 不完全でも、堂々と。怖くても、少しずつでも外の世界に出ていったら。
そんなとき、返ってくるのは批判よりも、案外共感や受容だったという経験、ありませんか?

実は、この「中途半端な感じ」は、すべての人が持っている、人間らしさの共通点。
私たちは誰もが、それを見せることに不安を感じながらも、本当はどこかで、「こんな自分でも、誰かに受け入れてもらいたい」と願っているものです。