ミイ子「……人生って、不公平じゃない?」
マリカ「それ、ケーキのサイズ見て言ってる?それとも世界全体の話?」
ミイ子「世界。というか、中学の同級生がね、なんか、ものすごい人と結婚して、港区のタワマンに住んでるって聞いちゃって…。」
マリカ「ほう。港区か。酸素、薄そうね。」
ミイ子「いやもう、なんか写真の空気も高そうなのよ!インスタのフィルターが勝ち組って感じでさ…見た瞬間、こっちは目からビーム出そうになったわ。」
マリカ「妬み、来たね。それ、突然くるよね。明太子食べてるときとかに。」
ミイ子「そう!明太おにぎり片手に『あっちはキャビアか…』って。で、気づいたら、自分を責めてるのよ。『こんなことでモヤるなんて、器ちっちゃ…』って。」
マリカ「ミイ子、それはね、感情に道徳テストを課してるからよ。」
ミイ子「え、私いつの間に教師になったの?」
マリカ「感情に赤点つけて、『こんなのダメ!』って落第させてるのよ。でも実際、感情って…無断登校してくるし、給食も勝手に食べるし、通知表に“自由奔放”って書かれるタイプ。」
ミイ子「たしかに…勝手に来て、勝手に大暴れしていくわ、あいつら。」
マリカ「だから、戦わなくていいのよ。『あ、来たな』って気づいて、お茶出すくらいがちょうどいいの。」
ミイ子「え、感情にお茶?」
マリカ「うん。妬みさんには玄米茶、不安ちゃんにはカモミール、お怒り先輩にはアールグレイ…。」
ミイ子「それめちゃくちゃ香りでごまかしてない!?」
マリカ「いや、香りは正義よ。あと、擬人化はおすすめ。“妬みさん”って呼ぶと、ちょっと親しみわくし。『あ、また来たんですね~』って、Amazonの配達くらいのテンションで、常連客として扱うの。敵じゃなくてね。どうせ毎回来るんだから、スタンプカード作っとけば?」
ミイ子「スタンプ溜まったらどうするの?商品券とかもらえる?」
マリカ「いや、自己理解が深まる。交換商品:自分への優しさ。」
ミイ子「う~ん、でもさぁ…羨ましいって感じたとき、なんか負けた気がするんだよね。あっちは成功してて、私は取り残されてるって。」
マリカ「それは、感情じゃなくて解釈の問題ね。羨ましいと思ったからって、あなたが劣ってる証拠にはならないわ。ただ、私も何か欲しいっていうサインなだけ。」
ミイ子「私も欲しい…なるほど。じゃあ、私にもタワマンが…。」
マリカ「いや、そこはまず、何に憧れてるのかを見極めた方がいい。高層階じゃなくて、“誰かに大切にされてる感じ”とか、“安心感”かもしれないし。」
ミイ子「……何に憧れてるのかを見極める、か。たしかに、私、表面的なキラキラに反応してただけかも。」
マリカ「そのキラキラ、実は“自分の中に足りない光”を映してるだけだったりするのよ。」
ミイ子「それなんか…鏡の話みたいだね。」
マリカ「そう、感情はだいたい鏡よ。たまに歪んでるけどね。」
ミイ子「それ、うっかり変顔して映ったときのやつじゃん。」
マリカ「そういうときこそ、見直すチャンス。笑いながらでも、ちゃんと見る。」
ミイ子「なるほどね。鏡に映った羨ましがってる自分も、否定しないで見てみるかぁ。」
マリカ「うん。ちょっと眉間にシワ寄ってても、いいじゃない。」
ミイ子「シワは味わいだって、前にマリカ言ってたね。」
マリカ「そうよ。感情も同じ。味わい深いほど、ちょっと苦かったりするの。」
感情は、私たちの中に自然に湧いてくるもの。嬉しい気持ちやワクワクだけでなく、羨ましさやイライラ、不安やモヤモヤも、すべてが大切な「心のサイン」です。
けれど私たちは、そうしたネガティブとされる感情に対して、「こんなふうに感じてはいけない」と、無意識に抑え込もうとしてしまいがちです。しかし、本当はその感情こそが、自分の本音や願いに気づくチャンスを与えてくれているのです。
無理に追い払わず、「ああ、今こんなふうに感じているんだな」と認めてあげること。そして、少しでもやさしく見つめてあげること。それだけで、感情との付き合い方は少しずつ変わっていきます。
感情は、コントロールするものではなく、対話するもの。良し悪しを決めずに、ただそこにあることを許してあげることで、気持ちはいつのまにか流れていきます。まるで、空を流れる雲のように。
完璧じゃなくてもかまいません。揺れる気持ちを持っている自分も、時々ネガティブになってしまう自分も、それでいいのです。
感情に振り回されず、でも無視もせず、そっと寄り添う。それが、自分自身と上手に付き合っていく第一歩なのかもしれません。
