徒然なるままにひぐらしのなく頃に。 | 模型深夜最終便
2008-11-28 11:30:58

徒然なるままにひぐらしのなく頃に。

テーマ:【Toshiki】模型より面白ネタ書け。

ここ数年、周囲で年甲斐にもなく『自分探し』と称して海外や地方に逃避行する輩が
増加する傾向にあるのですが、得てして逆に自分を見失って帰ってくるパターンが多い。
現在の立ち位置が把握できてない身の程知らずが、ドコかで何か見つけられるワケなし。
間違いない。…と思うToshikiです。自戒の念を込めてしっかりしよーよ、オトナたち。

さて、今日はネタがないのでので昨今気にかかっていることを徒然と書いてみることにします。
自分のことは棚に上げて押入れに積んで、炎上上等で上から目線でいくょ。

よく訪問させて頂いていたモデラーさんのHPから流れて、初期に参加させて
頂いたガンプラ・プラモ完成品投稿サイトMG-モデラーズギャラリー
いつの間にやら、ホビー誌で賞を撮った秀作やオークションで高値をつける
ような力作といった沢山の素晴らしい作品ですっかり賑わっております。
眺めていると、そのガンプラというジャンルにかける熱意に圧倒されてきます。
ただ1つ気になったこと。

皆、同じだよねー。言うよねー。

コの字やクの字の筋彫りが施された装甲、キラキラ光る金属製のバーニア、
明度や彩度の高い奥行きのない色彩、目的の分からない大きな文字のデカール。
勿論技術の上手い下手に差はあるものの、コンセプトや纏め方は画一的。
流行といってしまえばそれまでだけど、あまりにも個性がなさ過ぎて寂しい気も。
きっと六本木や銀座の姉ちゃんに見せたら、皆同じ作品に見えるだろーなー、と。

『ガンプラ』というジャンル(ジャンルだな、既に)に限っていうと、
個人的には大きく分けて2つのアプローチがあると思います。

1つはスケールモノ的縮尺での考え方。
西暦の延長線上に宇宙世紀が存在するという論理の元、20mの巨人達が
1/100や1/144といった大きさにまで落とし込んだ時にどう見えるか、という形。
勿論そんなロボを戦争で使う時代がくるとは21世紀初頭の現在でもとても思えないので、
あくまでイマジネーションの翼をだだっ広く広げることにはなってはしまうものの、
宇宙で運用されたらデプリが当たってこう汚れるとか、ジブリの森で暴れたら
ここが剥がれるとか、AFV的な擬似リアルな表現。昔は皆こっちでしたね。

もう1つは20cm代のフィギュアであるという考え方。
ロボの形をした美少女や美青年や美オサーンと同じで、いかにキレイに美しく見せるか、
歌舞伎のようなケレン要素が詰まったポーズなどが映えるカッコ良さなどを追求した形。
現在は、あまりにもこちらばかりが目に付くようになり過ぎているような気もするのです。

『模倣は所詮モノマネでしかなくオリジナルには勝てない』
と昔の上司の叱責を浴びたことがあります。
モノをつくるというクリエイティブな作業において、参考にしたり影響を受けることはあっても
その中に自分としての主張や主義を入れ込む。著作権とかオカネ絡みの問題ではなく、
作り手の『プライド』としてその部分は良心として持っていようよ、という戒めです。
その実、プロの世界でも『インスパイア』やら『フューチャリング』という怪しげな外来語で
誤魔化されているのもまた然り、なんですけどね。

私は常々『意味のないデザインはデザインではない』と思っております。
航空機のランデングギアが白色なのはオイル漏れがすぐ発見できるためであり、
収納蓋の断面が赤いのはキッチリ閉鎖されたことを視覚的に判断するためであります。
ならばデンドロビウムの20m大のウェポンハッチに張られたデカイデカールは誰のため?
そのザクのシールドにある大きなジオンマークは誰のためにどうやって描く?
その装甲版に彫ってある溝は、1/100にすると2cmもの巨大な隙間になるんだよ?とか。
そんな風に考えると、擬似リアルでもエセフィギュアでもない新たな方向性がいくつも
出てくる気もするよねー…とか身の程知らずにいろいろ思うことはあるのです。
そう思いつつも自身も流行の手法にお手軽に乗っちゃっている矛盾もあるんですがネ。

ま、所詮趣味の世界。仕事にしている人はまた別の悩ましい問題もあるでしょうが、
自分が思うように好きなようにやればイイワケで他人がとやかく言う問題でもないし、
どーこー言われる筋合いもない。他人に迷惑をかけずにモラルさえ守れば良い訳です。
でもデザイナーの端くれとしては、いろんな方のいろんな作品がみたい。
Let's Fly Fly大冒険でも、実験、実験♪でも沢山のハケーンをしてみたい。
そんなことを思ったりもする待ち時間なのでした。

以上、長文ご静読ありがとおございました。

カナカナカナ…。ウソダウソダウソダ…。